29話 不滅の魔法士···
足音は静かで、けれど確かな重みがある。
エレナだった。
胸のあたりまで伸びた茶色の髪は、艶を取り戻している。それを横で一つにまとめて、すっきりと流していた。
粗末な服はそのままなのに、そこから伸びる手足にはもう“弱さ”がない。
あれだけ細く、折れそうだった腕も脚も——今はしっかりと肉が戻り、白い肌には血色が差している。
頬にはわずかな赤み。
そして、その瞳。
オレオと同じ色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
名前:エレナ TM:60/85
特徴:オレオの母/働き者/朗らか
(……完全に戻ってる)
どこからどう見ても、もう病人じゃない。
自分の足で立っている。
それだけで、十分すぎる答えだった。
エレナは何も言わなかった。
ただ——
ベッドの上に胡座をかいて座る俺と、その隣にくっついているオレオを、じっと見ている。
まるで、その光景を一瞬も逃さないように。
その瞳に焼き付けるみたいに。
口は固く結ばれている。
けれど——
次の瞬間、その唇がわずかに震えた。
堪えていたものが、崩れるみたいに。
そして——
瞳が小刻みに揺れ、瞬きをすると、静かに涙があふれ出した。
震える唇が、ゆっくりと開く。
言葉を探すように、一つずつ、途切れ途切れに紡いでいく。
「……ありがとう……ございます……」
か細い声だった。
けれど、その一言に込められているものは——あまりにも重い。
エレナはその場に立ったまま、視線を逸らさない。
まっすぐに、俺を見ている。
まるで——祈るみたいに。
「……オレオに……希望を……」
「……この子に……未来を……与えてくださった」
言葉が震える。
息が乱れる。
それでも止まらない。
胸元で手を強く握りしめる。
「私の、この身体も……命も……」
「……救っていただいた……」
ぽろり、ぽろり、と涙が頬を伝う。
拭うこともせず、そのままに。
「こんな……こんな奇跡……」
小さく首を振る。
「言葉なんかじゃ……とても……」
「感謝なんて……とても……足りない……」
声が詰まる。
それでも——必死に、絞り出す。
「……あなたは…、私たち親子に···神が遣わした人……」
そう言って——
ゆっくりと、膝が折れた。
床に崩れ落ちるように、座りこむ。
祈りを捧げるように。
目を瞑って俯いた。
その姿はまるで——
目の前にいる存在を、人ではなく“それ以上の何か”として受け止めているかのようだった。
「神が遣わした……」
その言葉を聞いた瞬間——
オレオの目にも、じわりと涙が溜まっていく。
何も言わないまま、ゆっくりとベッドから降りた。
小さな足が床に触れる。
そのまま静かに歩いて、母親の隣へ。
そして——
同じように、膝をついた。
頭を下げる。
迷いのない動きだった。
シルはその光景を、何も言わずに見ている。
いつもの軽口も、茶化しもない。
ただ真顔で、じっと。
何かを測るように、考えるように。
「……はぁ」
俺は、小さく息を吐いた。
「冗談はよしてくれ」
呆れたように言いながら、オレオに歩み寄る。
そのまま軽く抱き上げて、ベッドの端に座らせた。
「助けたのはお前の力だ。俺一人じゃ無理だった」
視線を合わせて言う。
「俺は神の遣いでもないし——」
少しだけ間を置いて、
「神なんて、大嫌いなんだよ」
ふっと緩く笑った。
そのまま踵を返す。
エレナの前に立ち、腕を掴む。
細いが、昨日までの弱々しさはもうない。
「ほら、立て」
ぐいっと引き上げる。
無理やりじゃない。
でも、遠慮もしない。
「せっかく作った料理が冷めるだろ?」
「感謝って言うなら、早く食わせてくれよ」
「それで十分だ」
なんとも言えない神妙な空気を——シルがあっさりと崩した。
「不滅の魔法士……」
そう口にすると鼻で笑う。
「とんでもねぇ魔法で、不治の病すら治しちまう」
「しかも、自分の寿命をごっそり削ってるはずなのに——未だにピンピン生きてやがる」
「正直、化け物か──」
肩をすくめる。
「神の遣いとでも思わなきゃ、説明つかねぇだろ?」
わざとらしく言いながらも、その目はどこか冷静だった。
だが——すぐに、軽く息を吐く。
「けどよ、エレナ。考えるだけ無駄だ」
少しだけ視線を逸らしてから、またこっちを見る。
「こいつにとっちゃ、“不治の病を治す”ことなんて、“昼飯の礼”くらいの感覚なんだぜ?」
「つまり、常識が通用しねぇってことだ」
あっさりと言い切った。
「それに——」
顎で俺を指す。
「性格も悪ぃし、態度も悪ぃ」
「こんな奴が神の遣いのわけねぇよ」
そこでニヤッと笑う。
「……誰が性格悪ぃって?」
俺は即座にシルに睨みを利かせる。
「あと態度な。どっちもお前にだけは言われたくねぇよ」
「は? アタシは自覚あるからいいんだよ」
ケロッとした顔で返してくる。
(こいつ……)
言い返そうとした、その時——
「ルイは性格悪くないよ!」
横から、勢いよくオレオが口を挟んできた。
「助けてくれたし、見捨てないし、優しいし!」
指を折りながら、必死に言い並べる。
「それに、ご飯も分けてくれるし、ちゃんと話も聞いてくれるし……!」
どんどん出てくる。
止まらない。
「あと、すごい魔法もたくさん使えるし! 頭もいいし!」
「……はいはい、もういい」
思わず手で制する。
(なんだこれ……)
元はと言えば、面倒事を回避するために行動してきた。
それなのに——オレオの言葉が、まっすぐ刺さり、心を抉ってくる。
シルが横でニヤニヤしてるのが、余計に腹立つ。
「ふーん?頭もいいだってよ?」
完全に馬鹿にしてやがる。
「……ったく」
俺は軽く頭を掻いてから、オレオの頭をぽんと叩いた。
「お前はいい奴だな」
素直に言う。
「そういうとこ、嫌いじゃねぇよ」
オレオは一瞬きょとんとして——すぐに嬉しそうに笑った。
そのやり取りを、エレナは静かに見ていた。
一つ一つの言葉を、大事に受け取るように。
そして——
ふっと、柔らかく笑みがこぼれる。
目の前にいるのは、神様でもなく、大貴族様でもなく、友達と冗談を言い合って笑っている
ごく普通の青年だ。
不滅の魔法士様···
エレナは心の中で唱えると、張り詰めていた空気が、温かくゆるんでいく。
「……それじゃあ」
涙を拭い穏やかな声で、言った。
「ご飯にしましょうか」
優しく、日常に引き戻すように。
その言葉にオレオは、笑顔でギュッとエレナに抱きついた。




