26話 誤算···
ラドゥナ村が見える手前で、俺は馬車を止めさせた。
こんなもんで突っ込めば、間違いなく警戒される。
「ここでいい。戻ってくれ」
御者は静かに頷いた。そのまま手綱を返し、馬車は滑るように方向を変えて闇の中へ消えていく。
あっさりしたもんだが、こっちとしては助かる。
馬車の音が完全に遠ざかったのを確認してから、俺は村へ視線を向けた。
「行くぞ」
言うより早く、オレオが走り出す。
疲れた様子はどこにもない。あいつの中ではもう繋がってるんだろう。
詰所で見せた俺の魔法と、母親が助かる未来が。
期待で動いてる足だ。
俺とシルも、その後を追う。
夜の空気は冷たくて、やけに澄んでる。足音だけが妙に響くが、村が近づくにつれて、それすら吸い込まれていくみたいに静かになる。
ラドゥナ村は完全に寝静まっていた。
灯りはほとんどなく、家々も息を潜めたように沈んでる。生活の気配はあるのに、音がない。虫の声だけが耳に届き、妙に落ち着く静けさだ。
入口の柵の前では、見張りの男が座ったまま寝ていた。軽く口を開けて、完全に夢の中だ。
シルが横で鼻で笑う。
「見張りの意味あんのか、これ」
呆れ半分、皮肉半分って顔だ。
まぁ、気持ちは分かるが——この村に限っては、それで成立してるんだろう。緊張する必要がない場所ってのは、こういうもんだ。
俺は特に何も言わず、そのまま中へ入る。
止められることも、呼び止められることもない。
そのまま入口を抜けられるのは正直ありがたい。
ちらっとシルを見る。
焼印持ちのこいつが普通に入れる状況ってのは、かなり都合がいい。余計な説明も、面倒なやり取りも全部すっ飛ばせる。
今はとにかく時間が惜しい。
「こっちだよ!」
オレオが小さな声で先導する。迷いのない足取りで、狭い道をどんどん進んでいく。
夜の村は昼と別物だが、一切躊躇しない。身体で覚えてる道なんだろう。
俺たちはその背中を追いかけた。
曲がり角をいくつか抜けて、見覚えのある家が視界に入る。
次の瞬間、オレオは減速もせずに玄関へ突っ込んだ。
扉を両手で勢いよく押し開ける。
「母さん!!」
静まり返っていた空間に、その声だけが強く響いた。
俺とシルも遅れず中へ入る。
家の中は静寂で、まるで空き家に入った時のような感覚だった。
暗がりの奥の方——薄い布で仕切られた手前の戸棚に、小さな灯りが揺れているのが見えた。
頼りない光。
あれは——出発前にオレオが灯した火だ。長く持つように、俺が新品に戻したはずの蝋燭。
それが今は——形もなく、芯の先で今にも消えそうな弱々しい火が震えているだけだった。
ここに人なんかいるわけない。そう思えるほど、この家の中に生気を感じない。
「母さん!」
オレオが布を払い、そのまま中へ飛び込んだ。
一直線にベッドの脇へ。
俺もすぐ後を追う。
布をくぐった瞬間、空気の冷たさを感じた。
静かすぎる。
——嫌な静けさだ。
視線をベッドの上に向ける。
そこに——オレオの母親がいた。
一目で分かる。
普通じゃない。
痩せ細っている、なんて言葉じゃ足りない。
首元は骨が浮き出ている。
頬は深くこけ、皮膚は乾いて張り付くように薄い。
腕は枝みたいに細く、布団の上に置かれた手は軽すぎる影みたいだった。
まるで中身が抜け落ちたみたいに、体に厚みがない。この状態で生きてこれたのが不思議なくらいだ。
オレオの母親は目を閉じたまま、微動だにしない。
「母さん……!」
オレオが必死に呼びかける。
肩に手をかけて揺する。
だが——
反応がない。
指先すら動かない。
まるで——
(……死んでる)
音も、気配も、何も返ってこない。
生きている人間の感じが、まるでしない。
喉の奥が、わずかに詰まる。
その時——
後ろから、シルの声が落ちた。
「手遅れだ」
低く、はっきりした声。
「一日持つんじゃなかったのか?」
感情を抑えた言い方だったが、その分だけ重かった。
昨日、オレオの母親のステータスを見た時——確かに、あと二日は猶予があったはずだ。
まだ一日しか経っていない。
なのに——
ステータスを開く。
視界に浮かび上がった表示を見て、息が詰まった。
名前:エレナ TM:000*/85
「嘘だろ……」
意味が分からない。
なんでだ。
何が起きてる。
横では、オレオが母親の細い手を握っていた。
その手を自分の額に当てて、声も出さずに泣いている。その姿が、余計に現実を突きつけてくる。
その時——
一瞬だけ、母親のゲージの色が微かに光った気がした。
「……っ!」
俺は反射的に、ステータスの下へ視線を落とす。
名前:エレナ TM:000*/85
特徴:オレオの母/働き者/朗らか
【死期:15分後】
【死因:細胞が悪性化し死に至る不治の病】
まだ……生きてる……!
だが、絶命寸前であることに変わりはない。
さっきまで真っ黒だったゲージが、今はかすかに点滅している。
まだ間に合う。
俺は慌てて、細く折れそうな腕に手を当てた。
そして、イメージする。
細胞の一つ一つを。
正常な細胞の姿は、知っている。
地球にいた頃、目にしてきた。
教科書、保健室、病院、ネットの広告——何気なく目にしていた。だが、しっかりと刷り込まれている知識。
もしこの不治の病が、地球でいう癌みたいなもので、全身に転移するタイプの病なら……
「……全部、戻す」
全ての細胞を。
全ての臓器を。
骨も、血液も。
正常な状態まで、巻き戻す。
(俺なら治せる!)
イメージを固めた瞬間——
胸の奥が、じわりと光り出した。
光は胸から腕へ、首へ、顔へ、背中へと広がっていく。
血管のように、体中を巡るように。
その模様は、痛みと共にどんどん拡張していく。
(よし、発動した。いける!)
横で、シルが低く呟いた。
「……おい、まさか……本気で死んだ人間を蘇らせる気かよ」
信じられないものを見る目だった。
「違う」
俺は即座に否定する。
「エレナは、まだ生きてる」
その言葉を聞き、オレオは俺の邪魔にならないように母親から少し離れ、祈るように座り込む。
触れている箇所に、わずかな光が宿る。
そこから、ゆっくりと全身へ広がっていく——
だが、次の瞬間。
「——っ!?」
それまで何の反応もなかったエレナの顔が、苦痛に歪んだ。
喉を鳴らし、顎で息をする。明らかに、苦しんでいる。
嫌な予感が走る。
俺は能力を使いながら、ステータスを確認した。
さっきまで点滅していたゲージが——
止まっている。
完全に。
動きが、ない。
そして——
【死期:5分後】
「は……?まだ10分も経ってないぞ?」
思考が止まる。
そのまま、死因の項目を読む。
【死因:激しい細胞の生成による体力消費】
「……っ!」
反射的に、手を離すと光が途切れる。
それと同時に、オレオとシルが俺を見た。
細胞の巻き戻し自体はできる。
だが、今この衰弱状態でやれば、確実にエレナの体力が尽きる。
回復させる前に、殺す。
「なんでだよ……」
すべて上手くいくと思ってた。
「俺には……無理だ……治せない·····」
俯き、そう告げることしかできなかった。




