22話 重すぎる証明···
空間がズシッと軋む。
音じゃない。圧だ。
空間そのものが、一瞬だけ“重く”なる。
「……ッ!?」
下級兵の一人が息を詰まらせる。
俺の手元から、じわりと“何か”が広がっていく。
見えないはずのそれが、確かに“ある”と分かる。
石の床に、細かいヒビのような光が走る。
淡い、逆流するような輝き。
まるで——時間が逆流してるみたいに。
「……なんだ、これ……」
シルが、初めて息を呑んだ。
余裕の表情が崩れる。
ヴァルクは一歩も動かない。
だが、その目は完全に見開かれていた。
「全員、動くな!!」
叫ぶが——遅い。
もう始まっている。
床から壁へ。
壁から天井へ。
“それ”は一気に広がっていく。
バキ……ミシ……
どこかで軋む音。
——壊れてるんじゃない。“戻ってる”。
削れた角が、滑らかに元に戻っていく。
擦り減った床が、元の形へ戻る。
薄汚れていた壁の色が、じわじわと新しくなる。
空気が——巻き戻る。
机も椅子も——変わらない。
そこだけが“干渉されていない”違和感を生み、逆に異常さを際立たせていた。
「……嘘だろ……」
誰かが呟く。
廊下の方からも、ざわめきが広がる。
「何が起きてる!?」「おい、見ろ……!」
別の部屋にいた連中が異変に気づき、騒ぎ出す。
鉄格子の向こう。
遠くにいたはずのオレオが、こちらを見ていた。
「……ルイ……?」
ただ、まっすぐに。希望を見ている目。
(ちゃんと見とけよ)
俺は小さく笑った。
さらに力を込める。
——ゴンッ
建物全体が、わずかに鳴る。
時間が“繋がる”。
ここから先——
俺の認識の中にある構造すべて。
入口、廊下、壁、床、柱。
全部が一斉に——巻き戻る。
「……っ、止めろ!!」
ヴァルクの声。
だが、もう止まらない。
胸に、じわりと違和感。
視線を落とす。
胸の奥——心臓から。
黒い痣が、脈打つたびに伸びていく感覚。
肩へ、腕へ。
肘を越え——手首へ向かう。
寿命が削られている証。
(……これな!)
重い。確実に“持ってかれてる”。
そして——
「……はは」
口元が緩む。
(けっこういいんじゃねぇか?)
削ってる実感。
自分の命を燃やしてる感覚。
それが、たまらなく高揚する。
グッと力を押し込む。
光が一段、強くなる。
そして——ピタリ。
すべてが止まった。静寂。
床は新品のように整い、壁は傷一つなく、空気すら澄んでいるような錯覚。
(……こんなもんか)
ゆっくりと手を離す。
立ち上がり、腕を見る。
痣は手首手前までで止まっていた。
軽く振ってみる。——その瞬間。
ドクン、と心臓が脈打つ。
黒い痣が、ゆっくりと“引き戻されていく”。
手首から——肘へ。
肘から——上腕へ。
まるで血が逆流するみたいに、痣が内側へ吸い込まれていく。
やがて胸元。心臓の奥へと、すべてが収まった。
外から見れば、何も残らない。
(……やっぱ、戻るか)
削られた感覚だけが、確かに残っている。
だが、見た目には一切わからない。
顔を上げると——
全員、固まっていた。
シルは目を見開いたまま。
さっきまでの余裕は跡形もない。
「……マジ、かよ……」
小さく漏れる声。
部屋にいた下級兵は完全に言葉を失い、一人は後ずさりして壁にぶつかり、もう一人はへたり込んで座っている。
ヴァルクだけは——同じ場所で立っている。
だが、その表情は崩壊しかけていた。
俺は軽く肩を回し、何でもない顔で言った。
「で?これでいい?」
まるで、ちょっとした芸を見せた後みたいに。
あっけらかんと。
空気だけが——まだ、追いついていなかった。
その静寂を——
最初に破ったのは、ヴァルクだった。
「——っ……」
喉の奥で何かが詰まるような音を漏らすと、膝から崩れ落ちた。
だが——ただ崩れたわけじゃない。
その目はまだ死んでいなかった。
床に手をつきながらも、ほんの一瞬——
ヴァルクは“考えていた”。
(……今のは、何だ)
感情ではなく、事実をなぞる。
建物全体の時間干渉。局所ではない。広域。しかも——全て同時。
(あり得ない)
通常の魔法では不可能。
いや、王家に仕える“時間魔法師”であっても。
(王都の記録ですら……ここまでの規模は見たことがない)
聞いたことはある。時間に干渉する魔法。
寿命を削る代償。
だが——“この規模”は別次元だ。
建物単位。構造を把握した上での一斉巻き戻し。
誤差すらない精度。
脳裏に浮かぶ。限られた存在。
この国で——
時間魔法に関わる血統。その能力の全てが公になっているわけではないと聞く。
「……三大公爵家……」
無意識に、言葉が漏れた。
背筋が凍る。
(馬鹿な……)
だが、それ以外に説明がつかない。
あの規模。あの精度。あの余裕。——“あの態度”。
(……この男は、自分が何をしているか理解している)
寿命を削る力。
使った瞬間、即死でもおかしくない規模。
王家の命令でのみ行使されるような力を——躊躇なく使った。
思考が、結論に辿り着く。
——触れてはいけない存在。
——この場にいていい人間じゃない。
その瞬間、ヴァルクの中で全てが切り替わった。
迷いはなかった。抵抗もない。
ただ、その場で両手をつき——額を床に押しつける。
「ルイ様の剣をこの場へお持ちしろ」
「…………」
下級兵士は言葉も出ない。
震える足でなんとか立ち上がり、部屋から飛び出していった。
ヴァルクはそれ以降、押し黙ったままだ。
言い訳も、弁解もない。
(私の判断で——)
一つの街が消える。
そんな現実が、はっきりと見えた。
(部下だけではない)
領主。この街の統治者ですら——無事では済まない。
爵位の差。権力の差。能力の差。
“逆らっていい相手ではない”
(……終わった)
詐欺師の言葉は全て事実だった。
自分の選択で。自分の判断で。
ここまでの事態を招いた。
だから——
あとは、裁きを待つだけだ。
その姿を見て——下級兵が遅れて気づく。
「はっ……!」「……っ!」
外で見ていた者達にも一瞬で理解が広がる。
そして——次々と膝をついた。床に額を打ち付ける。
カタカタカタ……と、震えが止まらない。
恐怖が、身体を支配している。
どこからか「ひっ……」と息が漏れる。
皆、顔色は真っ青だ。
その光景を見て——シルが後ずさる。
一歩。また一歩。
完全に、距離を取ろうとしている。
目の前の存在を、無意識に“危険”と判断している。
「あたし……え····」
声が震える。
自分が言った言葉——不敬罪。首が飛ぶ。全員許されない。
それが——全部、現実になった。
(……冗談じゃねぇ)
顔が引きつる。
(こいつを貴族に仕立て上げて、この場を切り抜けるための作戦だったんだぞ?)
自分の今までの態度が、走馬灯のようにシルの頭の中に蘇る。
(まさか本当に貴族……いや、ただの貴族じゃねぇ……三大公爵家って……)
コイツに”あんな話”をしちまったレイグのおっさんも終わりだ。
詐欺師としての勘が全力で警鐘を鳴らす。
“触れるな”
“関わるな”
“逃げろ”
だが、もう遅い。
外から——ざわめき。
扉の向こう。
先程飛び出して行った兵士が、剣を手に戻ってくる。ブルブルと震える手。
顔は青ざめ、目は泳いでいる。
仲間達がひれ伏し顔を上げずに小さくなって震えている。
その間を縫うように部屋に入る。
視線は合わさず、俺に一歩ずつ近づく。
膝をつき、頭を下げ、両手に乗せた剣を差し出す。
自分が差し出すこの剣が、今から自分たちの首を跳ねることになる。
頭の先から足の先まで震えが止まらない。
部屋の外で一部始終を見ていた若い兵は、まさか今日、自分が処刑されるなどと思っておらず、
「……っ、ぁ……」と涙を零す。
「いやだ……俺……まだ……」
嗚咽。
その言葉を周りにいた仲間が慌てて止める。
そんなごく当たり前の感情すら不敬に当たるらしい。
完全に、心が折れていた。
憲兵達に広がる——絶望の渦。
詰所にいた奴らは、機能が止まった詰所で固唾をのんでその光景を見ていた。
自分達に裁きを与えようとしていた憲兵達が、今、自分達の前で裁かれようとしている。
とんでもない光景だ。
俺は下級兵から剣を受け取ると、張り詰めていた空気がさらに冷えていくのを感じた。




