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10話 一人が如何に楽か身に染みる···


「よし! 決まりだな」


俺はそう言いながら、オレオの肩越しに遠くを見つめた。


残された時間は、もう多くない。


オレオは静かに母親の元へ歩み寄る。

さっきまでわずかに残っていた血色は消え、顔は白く、苦しそうに歪んでいた。


俺の言葉が、オレオの中で確信に変わったのだろう。

――もう母親は、自分ひとりで食事を摂ることすら難しい。


「待ってて、絶対に母さんを治せる人を見つけるから」


オレオは優しくそう告げると、古びたカバンを手に取り、

俺が作ったサンドウィッチ、パン、チーズ、果物を中へ入れようとする。


「おい、ちょっと待て! そんな小汚いカバンに食べ物を入れんのかよ!」


慌てて俺が止めると、オレオはキョトンとした顔でこちらを見た。


俺は黙ってカバンに手をかざす。


すると、くすんでいた布がみるみるうちに色を取り戻し、擦り切れていた部分が消え、まるで新品のような輝きを放った。


真新しいカバンを肩にかけるオレオを見て、俺は顎に手を当てて首を傾げる。


……なんか違和感がすごい。


俺はオレオの服に手を添えた。


ボロボロで穴だらけだった服も、靴も同じように時間を巻き戻す。

布は張りを取り戻し、靴の色は鮮やかになり、ほのかに新品の匂いまで漂い始めた。


オレオはもう驚かなかった。

きっと、自分の想像を超えた魔法はまだいくらでもあるのだと確信している表情だ。


そしてそれは、母親の病気も、治せる人がいるかもしれないという希望の綱でもある。


俺は少し皮肉を込めて呟いた。


「……オレオが服を新しくすると、なんか不自然な感じだな」


オレオはすぐに頬を膨らませて言い返す。


「ルイだって身なりはボロボロじゃないか!」


「……あ」


言われて気付いた。


俺は慌てて自分の服にも手をかざす。

擦り切れていた布が元の状態へ戻り、汚れも消えた。


そして、ずっと気がかりだった事をオレオに尋ねた。


「隣街には普通に入れるのか?

まさかこの村に来た時みたいに裁判にかけられたりは……しないよな?」


オレオは少し笑って答えた。


「ルイはヴェルノート森林から来たから裁判にかけられたんだよ」


「帰らずの森、他にも魔の森なんて言われてるからね。そこからこの村に来る人なんて、普通はいないんだ」


魔の森……そりゃああなるはずだ。


「じゃあ、身分証とかは? いらないの?」


「身分証なんて、ほとんどの人が持ってないよ? ギルドに登録してる人なら持ってるけどね」


ギルドがあるのか!


だが今はそれはどうでもいい。


「街に入る時はどうするんだ?」


「門兵さんにどこから来たか聞かれて、腕に焼印がないか確認されるだけだよ」


「焼印……?」


「そう。犯罪者は焼印を入れられるんだ」


また一つ、この世界の常識を知った。

面倒くさそうだが、少なくとも街の出入りは出来そうだ。


俺は小さく息を吐いた。


オレオは再び母親のそばへ歩み寄る。


「いってきます」


小さな声だった。

その声には、決意と同時に、心配と寂しさが混ざっていた。


母親はかすかに微笑んだ。

だが、体は動かない。


オレオはしばらくその顔を見つめてから、静かに立ち上がる。


そして、そっと家の扉を閉めた。


俺は歩き出しながら聞いた。


「聞くが、村から街への道はわかるのか?」


「うん。行商人が荷馬車で行き来してる道を辿れば大丈夫」


「隣街までどれくらいだ?」


「多分荷馬車で6時間くらい。行商の人は朝早く街を出て、村につくのはお昼頃だから」


「だから歩いたら、その倍かな?」


(思ったより遠いな)


「どこかで荷馬車に乗せてもらえるのか?」


「行商の人は暗くなる前には街へ帰っちゃうよ。それに、行商の人が村へ来るのは月に一度だけなんだ……」


俺は空を見上げた。


すでに空は薄暗い。

今から出発して、寝ずに歩けば街に着くのは明け方だろうか。


しかも街道とは言えない田舎道。

夜の森だ。モンスターは出なくても野生の獣に出くわす可能性も高い。


(俺は死なないが……オレオは違う)


暗がりを進むのは危険だ。


考え込んでいると、オレオが何かを察したらしい。


突然走り出し、家の横にある小さな蔵へ駆け込んだ。

しばらくして戻ってくると、手にはランタン。

もう片方には、オレオの体の大きさに不釣り合いな錆びた剣。


「これを……」


差し出してきた。


その瞳には、不安も恐れもある。

だが、それ以上に覚悟があった。


俺は小さく頷く。


「よし」


剣とランタンを受け取り、手をかざす。

ほんの少しだけ時間を巻き戻す。


錆びついていた剣は、一瞬で光を取り戻した。

刃は鋭く、軽く触れただけで怪我をしそうだ。


ランタンにも火を灯す。

油が切れても、また時間を戻せばいい。何度でも使える。


俺は剣を鞘に収め、剣帯で腰に巻き、ランタンを手に取った。


オレオは食料の入ったカバンの紐をぎゅっと握る。


そして俺たちは、薄暗くなり始めた空の下、村を後にした。


木々の影が長く伸びる。

風が頬を撫でる。


やがて夜の闇が、俺たちを包み込んだ。


月明かりは弱く、林の影が道を覆っている。


俺はランタンを掲げ、剣を握りながら先頭を歩く。

剣は少し重いが、手には妙に馴染んでいた。


ランタンの光が、前方の道を淡く照らす。

揺れる光が木々の影を歪ませる。


オレオは俺の後ろを歩いている。


怖がっている様子はない。

むしろ、俺の背中を頼りにしながら、目を凝らして周囲を見ていた。


母親を救う――その覚悟が、足を止めさせないのだろう。


歩くたびに、枯れ枝の折れる音が響く。

草むらがわずかに揺れる。


俺は剣を握り直した。

いつでも振れるように。


「油断するな。暗いだけじゃない。野生の獣に出くわすかもしれない」


俺が低い声で言うと、オレオは小さく頷いた。


風が木々を揺らす。

枝の影が揺れるたび、神経が反応する。


自分一人なら、こんなに警戒しない。

さっさと進んで、死んだら安全な地点からやり直せばいい。


だが――オレオの命は一つだ。


そんなオレオを連れて危険な場所を進むことが、こんなにも神経を削るものだとは思わなかった。


もしオレオが殺られて、うっかり俺が生き残ってしまったら、当然、強制ジャンプは発動しない。


こんな旅をするはめになった原因は、結局俺だ。

街へ行こうと言い出したのは、俺なのだから。


だからオレオに、そんな最悪の結末を迎えさせたくはない。


どれくらい歩いただろう。


体は疲れているが、眠気はない。

神経は研ぎ澄まされ、ほんのわずかな物音も聞き逃さない。


オレオも同じだった。


だが、オレオの体は明らかに限界に近づいていた。


肩で息をしている。

歩くペースもどんどん落ちていた。


途中で何度も休憩を提案した。

だがそのたび、オレオは首を横に振る。


母親を想う気持ちが、朦朧とする意識を必死につなぎ止めているのだろう。


重い足を、前へ。

ただ前へ。


俺はその歩幅に合わせながら、周囲を警戒し続けた。


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