第8話:元婚約者の、盛大な自爆
リゾートから戻った翌朝、王都の空気は重く、淀んでいた。
工房の扉を開けるなり、窓の外から立ち上がる不気味な紫色の煙が目に飛び込んでくる。煙の出どころは、あの忌々しい王宮だ。
「……休み明け早々、とんでもないトラブルが発生しているようですわね」
私は眼鏡をかけ直し、手帳に『王宮の異常事態確認』と書き込んだ。
隣に立つレオ様は、不快そうに鼻を鳴らす。
「おぞましいな。無能が分不相応な力に触れた時の、特有の腐敗臭がする。ベアトリス、あんな場所は放っておけばいい」
「そうもいきませんわ。あの煙、魔力の『未燃焼ガス』です。このまま放置すれば王都全域に魔力中毒が広がり、うちの社員たちの健康被害にも繋がります。経営者として、労働環境の悪化は見過ごせません」
私が状況を分析していると、工房の扉が悲鳴のような音を立てて開いた。
現れたのは、かつて私と一緒に王宮で働いていた下級魔導師の一人だ。
「ベアトリス様! 助けてください、もうあそこは終わりです!」
「落ち着いて。まずは要件を簡潔に。何が起きたの?」
「カイル殿下が……あの方が、地下宝物庫に眠っていた『太古の共鳴石』を持ち出したんです! ベアトリス様がいなくなったせいで動かなくなった王宮の魔力炉を、強引に再起動させようとして……!」
「……なんですって?」
私は思わず絶句した。
『太古の共鳴石』。それは、三百年以上前の古い規格で作られた、高出力だが制御が極めて困難な魔導具だ。
現代の洗練されていないスパゲッティコードのような術式でそれを繋げば、どうなるか。
今の王宮のシステムに、最新の超高圧電流を流し込むようなものだ。
「……当然、過負荷が起きますわね」
「はい! 炉は暴走し、制御室は炎上。リリアーヌ様は『熱いのは嫌』と言って、真っ先に実家へ逃げ帰りました。カイル殿下だけが、まだ炉の前で『俺の魔力が足りないはずがない!』と叫んでいます……!」
あきれ果てて言葉も出ない。
自分を天才だと信じ込み、安全装置を無視してアクセルを踏み抜いた結果がこれだ。
かつて私が「これには触れないでください」と残した警告書を、彼はきっと読みもしなかったのだろう。
「レオ様、出張修理の準備をお願いします」
「……本気か? 自業自得という言葉を知っているだろう」
レオ様は心底嫌そうな顔をしたが、私が真剣な眼差しを向けると、すぐに折れた。
「……わかった。ただし、特急料金は高くつくぞ。あいつの命で足りるかどうかは知らんがな」
王宮へ向かう道すがら、街の至るところで魔導具が暴走しているのを目にした。
街灯がチカチカと不規則に点滅し、家庭用の魔導コンロが勝手に火を噴いている。
すべては、王宮の魔力炉から漏れ出した「ノイズ」が原因だ。
王宮の魔力制御室に辿り着くと、そこは見るも無残な有様だった。
焦げ臭い匂いと、行き場を失った魔力が火花となって散っている。
中央では、カイル王子が真っ赤に熱を帯びた『共鳴石』にしがみついていた。
「動け! 動けと言っているんだ! 俺は選ばれた貴族だぞ! こんな卑しい石ころ一つ、制御できないはずがない!」
「殿下、いい加減になさってください。それはあなたの手には負えませんわ」
私の声に、カイルがぎょっとして振り返る。
その顔はすすで汚れ、かつての王子の面影はどこにもない。
「ベアトリス! 貴様、どの面下げて……! いいところに来た、早くこれを直せ! この石を俺の魔力に同調させろ!」
「お断りします。そんなことをすれば、あなたの脆弱な魔力回路は焼き切れてしまいますわ」
私は冷淡に告げた。
その隣で、レオ様がさらに追い打ちをかけるように冷笑する。
「脆弱、か。ベアトリス、随分と優しい評価だな。俺から見れば、その男の魔力は、たった今暴走している石の火花の千分の一にも満たない。ただの塵だ」
「な、なんだと……貴様のような素性の知れない男が!」
カイルがレオ様に掴みかかろうとした瞬間、制御室の壁が轟音と共に崩れた。
『共鳴石』が一段と強く輝き、周囲の魔力を強引に吸い込み始めたのだ。
これがいわゆる『魔力暴走』の最終フェーズだ。
「ひ、ひいっ……! 助けてくれ、ベアトリス! お前の仕事だろう! 何とかしろ!」
カイルは先ほどまでの威勢をどこへやら、腰を抜かして私に縋り付こうとした。
だが、その手は私に届く前に、レオ様の不可視の障壁に阻まれる。
「不潔な手で触れるな。……ベアトリス、要件定義は済んだか? 俺がこの石ごと、この不愉快な空間を虚無に送ってやってもいいんだぞ」
「いえ、レオ様。それは最終手段です。まずは、この無残なスパゲッティコードを解きほぐさなくては」
私はカイルには目もくれず、激しく発光する『共鳴石』の前に立った。
眼鏡の奥で、『構造解析』を全開にする。
見える。
無数に絡み合った、古臭くて、非効率で、独りよがりな術式の残骸。
これが、この国の貴族たちが「美しい」と称して積み上げてきたものの正体だ。
「さあ、デバッグを始めましょうか」
私は右手をかざし、レオ様の膨大な魔力を「演算リソース」として自分に接続した。
背後に立つレオ様から、優しく、それでいて抗いようのない力強いマナが流れ込んでくる。
「定時までには、片付けてみせますわ」
私の指先が空中で魔方陣を書き換え始めた。
それは、王宮の誰も見たことがない、幾何学的で無駄のない、究極の「効率化された魔法」だった。




