第2話:効率化こそが、最大の癒やしです
王宮を飛び出し、私が最初に向かったのは、慣れ親しんだ公爵邸ではなく王都の北側に位置する職人街だった。
ここには魔力を持たない平民の職人や、魔力はあっても家柄のない下級魔導師たちがひしめき合っている。
「まずは拠点の確保。それから人員の調達ね」
私は手元の手帳に、淀みのない動作でタスクを書き込んでいく。
公爵令嬢としての貯金は十分にある。
王宮での無給労働が続いていたとはいえ、個人的に開発した特許術式のライセンス料を、こっそり自分名義の口座に流し込んでおいたのだ。
これくらいの退職金は、当然の権利と言える。
私が選んだのは、目抜き通りからは少し外れた、古い石造りの二階建て物件だった。
元は時計職人の工房だったらしく、建物の造りは頑丈で、何より地下に大きな魔力貯蔵庫があるのが決め手となった。
「ここを、私の新しい戦場にする」
看板に記したのは、『アステリア・ソリューションズ』。
この世界の貴族たちが聞けば、首を傾げるような名前だろう。
彼らにとって魔法とは「祈り」であり、解決策などという実利的な言葉とは無縁なのだから。
翌朝から、私はさっそく工房の「仕様変更」に取り掛かった。
この世界の魔法具は、どれもこれも一点物の芸術品だ。
例えば、魔法のコンロ一つをとっても、製作者によって魔方陣の形状が異なり、規格がバラバラ。
壊れたら最後、作った職人を呼び出すか、高価な新品を買い直すしかない。
「そんなの、メンテナンス性が最悪じゃない」
私は工房の中央に、真っ白な魔導板を広げた。
前世の知識を総動員し、魔法の基本構成を分解していく。
燃料となる魔石、出力を調整する回路、そして発火の実行命令。
これらを独立した「モジュール」として設計し直し、誰でも部品交換ができるように術式を再構築する。
私の『構造解析』の魔法が、複雑に絡み合った既存の術式を、整然としたコードのように視覚化していく。
無駄な冗長性を削り、魔力伝達のボトルネックを解消する。
この作業をしている時が、私にとって何よりの癒やしだった。
「すみません……。こちらで、魔法具を直してくれると聞いたのですが」
作業に没頭していると、工房の扉が控えめに開いた。
立っていたのは、くたびれたローブを着た一人の青年だ。
手には、火が点かなくなった魔法灯を持っている。
「ええ。拝見しますわ」
私は彼の手から魔法灯を受け取った。
王都の二流工房で作られた、典型的な「手抜き」の品だ。
装飾だけは豪華だが、内部の魔力伝達経路がグニャグニャに曲がっている。
貴族的な「優雅な曲線」を優先した結果、効率が著しく落ちているのだ。
「これでは、魔力を半分も活用できていませんね。少し待っていてください」
私は作業台に向かい、あらかじめ量産しておいた『汎用魔力基板』を取り出した。
魔法灯の外装を素早く分解し、複雑すぎる回路をごっそりと抜き取る。
代わりに、私の作ったシンプルな基板をパチンとはめ込んだ。
「はい、完了です。動作確認をお願いします」
青年が戸惑いながら魔力を流すと、魔法灯は以前よりも明るく、安定した光を放った。
彼は目を丸くして、何度もスイッチを入れ直している。
「すごい……! あんなに一瞬で? どこの工房に持っていっても、最低一週間は預かると言われたのに!」
「工程を標準化していますから。それより、あなた。魔導師としての資質は悪くないのに、ずいぶんと魔力が枯渇していますね」
私の指摘に、青年は自嘲気味に笑った。
「わかりますか。僕はこれでも、ある伯爵家の専属魔導師だったんです。でも、そこでは一日中、庭の噴水の魔力を維持しろだの、主人の部屋の温度を微調整しろだのと言われて。休みもなく魔力を吸い取られるだけの、魔法の電池扱いですよ」
まさに、この国の悪しき伝統だ。
魔力を持つ者を、使い捨ての道具程度にしか思っていない貴族たちの傲慢。
私は青年の顔を真っ直ぐに見つめた。
「名前は?」
「……トーマス、です」
「トーマス。もしよければ、うちで働かないかしら?」
私は準備しておいた『雇用契約書』を差し出した。
トーマスがそれを受け取り、内容を確認していく。
一分もしないうちに、彼の顔色が劇的に変わった。
「な、なんですか、これ! 基本給が伯爵家の三倍? それに……週休二日制? 有給休暇あり? 残業代は一分単位で支給? こんなの、お伽話の中の条件ですよ!」
「いいえ。これが、労働者に提供されるべき最低限の『ホワイト』な環境よ。私は無駄な労働が大嫌いなの。だから、あなたにも効率よく働いてもらって、定時に帰ってもらうわ」
トーマスの瞳に、希望の光が宿るのがわかった。
彼は震える手で羽根ペンを握り、契約書にサインをした。
「信じられない……。僕、頑張ります。何でもやります!」
「歓迎するわ、トーマス。まずはそのボロボロのローブを脱いで。新しい制服と、福利厚生の『特製魔力回復ポーション』を支給するわ」
こうして、私の会社に初めての社員が加わった。
一方で、私たちが新しい人生の一歩を踏み出していたその頃。
王宮の片隅では、最初の「バグ」が発生していた。
「おい! どうして噴水が止まっている! 庭園の温度管理もデタラメではないか!」
カイル王子の怒号が、暗くなった執務室に響く。
ベアトリスがこれまで、無意識のレベルで行っていた「魔力網の自動調整」。
そのライセンスが失効したことで、王宮内の魔法インフラが、少しずつ、確実に崩壊し始めていた。
しかし、カイル王子はまだ気づいていない。
自分たちが、どれほど優秀なエンジニアを失ったのか。
そして、これから訪れる「業務停止」の恐怖を。
「ふふ、明日も忙しくなりそうね」
私は、定時に工房の鍵を閉めると、夜の街へと歩き出した。
カバンの中には、次なる事業拡大の計画書が詰まっている。
私の人生のプロジェクトは、まだ始まったばかりなのだから。




