脱出
格納庫へ入ると、両翼の伸びた宇宙船が眼前に広がっていた。
正面下にはステップが置かれ、段差を上って船内へ入る。狭い廊下を過ぎると、操舵室が目に飛び込んだ。室内には、巨大なディスプレイと、二つの座席があって、左側にミュートさんのくたびれた後ろ髪が見えた。
ミュートさんが振り向くなり、凄んだ眼で開いた座先の後ろを指した。うぅ、怖い……屈めということか……。
膝を抱えていると、スピーカーから喧噪が鳴りだした。
「警告。警告。ミュート。発進の中止を提案します」
「休暇の申請はだした。お前に止める義理はない」
「――NO .99ツクモのID記録の最後が、ここ格納庫にあります。船内にいませんか?」
「…………」
喋らない。元から無口なのもそうだけど、無視を決めていた。それとも、私に関わってないふりをしているのか。
「発進の許可を。でなければ船に穴をあける」
ミュートさんはそういうと、くたびれた髪が前に消えた。途端にピロピロとシステムが変更されるメロディと、背後からぷしゅぅとエアーが吹き出す音が聞こえる。この船の出入り口を閉めたのだろうか。
「熱反応感知。ミュートですね、やめなさい」
先生のアナウンスとともに、レーザーが充電するような高圧的な音が流れ始める。それは運動中の心臓の鼓動のように、段々と早く、音の間隔が狭まってくる。
先生の警告をガン無視していた。すごい、こんな反抗的な人がフェアリーズにいるのか。
「――相変わらず強情ですね。仕方ありません、搭乗口を開きます。戻ってきたら審問会を開きます。よろしいですか?」
先生の声は必要以上に抑揚がない。ミュートさんの設定だろうか。トネリコを管理する先生は、人にあわせて人格も補正しているという。政府の犬だけど、やはり優秀だ。
ミュートさんはやはり喋らなかった。決意を固めているみたいだ。
ここまで拒絶できる人、初めて。
レーザー音が次第に高まっていく。発射寸前をぎりぎりで踏みとどめているみたいだ。
え?ほんとに大丈夫なの? 船を壊したら監禁懲罰どころの話じゃなくなりそうなんだが。
『ゲートを開きます。整備員・AIは速やかに退避してください。繰り返します――』
サイレンのような音がして、船内の証明が消える。おそらく発進に集中するつもりだろう。
人口重力が解き放たれ、純粋なブラックホールの引力が後方へ引っ張ろうとする。
怖い!
おもわず座席のソファに両腕を抱えて堪えた。
「0番ミュート機、発進する」
渋く微かな小声が聞こえると、背後への引力が反転したかのように前方になり、胴が押しつぶされそうになる。床下が激しく振動している。宇宙船の底部に装着した加速レールが稼働し、この船を押し出しているんだ。
視界の端にある外部モニターが一瞬でブラックホール圏の漆黒を映し、わずかな照明の船内が暗くなった。直後――白い光が虚空を穿ち、闇に溶けて消えた。
威嚇用の充電していたレーザーをようやく解き放ったようだ。
加速のGが止み、まったくの静寂が船内を包む。
ミュートさんが座席の横から顔を出して、無言で隣の席に顎を向けた。
もう隠れる必要はないってことか。
ブラックホール圏は光通信が阻害されるため、先生もこの船に通信ができないはず。
私は立ち上がると安堵の息をついた。




