避難命令
半年が経過した。
ケインさんからの連絡はなく、私といえば日々の業務に追われていた。
この数か月、精力的に研究しているのが事象の地平面の入口だ。
ここトネリコが居座っているM104ブラックホールは、他銀河の例に漏れない超巨大ブラックホールだ。穴の中心には事象の地平面はあるものの、巨大なブラックホールほど特異点までが遠く、物質のすべてが重力に引っ張られて間延びするスパゲティ化が起きにくい。それでも、安全を考慮して私たちは接近を避けていた。
だけど、ミレイヤさんは危険を避けながらも確信に迫るプロジェクトを進めた。
リスクを高めても、特異点に接近する調査を進めたのだ。
おかげでほとんどのフェアリーがやる気を見出し、ミレイヤさんを信望した。解析班の仕事は以前の3倍に増え、プライベートの時間はよくぐったりした。
私とユーリちゃんは小休憩に、紙コップの入った紅茶をストローで吸っていた。デスクには指先くらいの小さなクッキーがあり、私はぼーっとそれを頬張っている。
ユーリちゃんは画像を眺めながら、指をぐるぐると回し始めた。
「ブラックホールの中は、時間も空間もない場所があって、超人的な力が手に入るらしいよ。もしツクモちゃんがその中に入って、未来を見通せる力が手に入ったらどうする?」
「わかんないよ。欲しいとおもったことないし」
未来がわかるってすごく怖い。でも、私とミュートさんがこの先あるのかどうか。一人でピアートに行くか、そればかり考えてる。
暗い未来しかみえてこないので、ユーリちゃんに話を合わせよう。
「トネリコだって宇宙と比較したら時間の流れが遅いから、ある意味で未来を視ているかもしれないね……」
ユーリちゃんは、それそれ、とストローをくわえながら動かした。
「そうなんだよねぇ。政府は時間軸が外れた場所に私たちを置くことで、人類の進化的なものを狙っているし。もしブラックホールの中に入って、生きて戻ったら、タイムワープなりテレポーテーションなり超能力みたいなものを手に入る気がするんだけど……」
それはオカルトとは否定できない、現に天然のワームホールもあるし、ケインさんもテレポーテーション能力もある。
「でもユーリちゃん、なんでそんなこといいだしたの?」
「最近のタスクは、ブラックホールから発生する周波数を音に変換しているでしょ」
相槌を打つ私。
「そのなかに少しだけ違和感があるんだよね。ほとんどノイズにかき消されちゃうけど、不規則かつ高音の波が飛ぶの。それがブラックホールの中の摩訶不思議な力というか、過去も未来も飛び越える4次元的な何かかなって想像しちゃうわけ」
ユーリちゃんの語りに熱がこもる。少女漫画をススメられてるときみたい。
「ブラックホールの高音域を一か所にまとめられないかなぁ。未知なるエネルギーの結晶になるかもしれないのに」
おもわず一瞬だけ目をそらした。
ミュートさんが持っていたブラッドゴールド。ピアートからの帰り道にどこで拾ったか聞いたら、探査中だとおしえてくれた。もしかしたら、あれはブラックホールの近郊で作られたものかもしれない。
業務を再開する時報が鳴ったので私とユーリちゃんはデスクに戻る。
モニターで事象の境界面の距離までの距離を測り始める。数値が変動しているのを見ていたら、
『警告、警告、艦内のフェアリーはただちに作業をやめて中央ロビーに集まってください。繰り返します――』
突然の音声にびくっとする。流れているのは、避難訓練みたいな艦内放送だった。
「え、なに? 」
普段は温和な先生の声が機械的なものに変わる。
『現在、トネリコは攻撃を受けています。フェアリーたちはただちにシェルターのあるロビーへ』
「え、ええ? 宇宙海賊??? こんなところに?」
動揺する私をよそに、ユーリちゃんは真顔だった。
「やっと来た……。ツクモちゃん、いますぐ格納庫に向かって」
こういうときに慌てそうなユーリちゃんが、冷静にいう。
「反対方向だよ? それに緊急時は通路にシェルターがかかって動けなくなるし――」
「私がなんとかする。いいからすぐに向かって。ミュートさんが待ってるの!」
一瞬頭が真っ白になった。どういうことだ。
「ま、待ってて!! 攻撃ってミュートさん!?? そんなことしたらほんとに死刑になるって」
「動揺するのは後! いますぐ行け!! あの人はツクモを待ってるの、早くしないとミレイヤさんや先生が勘付くよ!!!」
ユーリちゃんの気迫に押され、とにかくラボを抜けた。
ミュートさんが反旗を翻したのか? いや、無謀なことはしないはずだ。……たぶん。
考えられるとすれば、ケインさんから連絡がきたのだ。私宛だとすぐにばれるから、あえてミュートさんに送ったのかもしれない。
彼はフェアリーじゃない。兵役はとっくにすぎているし、何より宇宙圏からきた普通の人間だ。だから外部ソースはいくらでもあるはずだ。私に隠れてこっそり連絡をとっていてもおかしくなかった。
――いっそのこと私を置いていけばいいのに。
そう思った瞬間、足が止まった。
なんであの人はバカなことをしたんだろう。捕まったら殺されるかもしれないんだ。
ピアートの再生は私がやつ必要ない。ミレイヤさんもケインさんも賢い。悔しいけど政府のいうとおりにすれば丸く収まるはずじゃないか。
通路の前後にシェルターが上から閉じていく。そうおもったら前方のシェルターは半分まで下がると、逆に上がった。遠隔操作で開いたのだ。
ユーリちゃん、私に行けってこと?
よくわからないけど、大好きな友人が背中を推してくれている。
涙をぬぐって降りていくシャッターを睨んだ。
そうだ。立ち止まっても意味はないのだ。ユーリちゃんは私のためにこの作戦に乗った。ミュートさんを止めるのも、二人で逃げるのも、再会してから決めればいい。
駆け出す。次のシェルターがゆっくり降りてきて、滑るように中へ入る。ユーリちゃんの遠隔操作でも、コンピュータの中枢は先生が握っている。乗っ取られるのも時間の問題だ。
ミュートさんと会う。
正直、あの後からずっと話せていなかった。真実を聞くのが怖かった。
フェアリーではない、外の世界の人間。その事実が私の中ではっきりと線引きされた。
人として生まれた以上はバックボーンがある。
生まれ育った場所、交錯した人間関係……。ミュートさんは過去を捨てて、フェアリーの一員としてやってきた。
でも、その背景はフェアリーが欲しているものだ。それがないだけで、私たちは人間でない悟る。遺伝子や肉体の組織は同じでも、人に似た何かなのだ。
ミュートさんは私を受け入れてくれる? 都合のいい人形として見ない?
拒絶されたときの怖さが足を震わせた。
最後のドアにくる。
ドア横のスペースに手を入れると、最初はピピピとエラー音がでたものの、すぐに開いた。
格納庫は嵐みたいに風が吹いている。船外へのゲートを開けているのだ。ブラックホールの漆黒が見えていて、いくつかの部品が外に流れていた。
「近くの探査機に乗って!」
天井に設置していたスピーカーから、ユーリちゃんの声が聞こえた。




