海の中
当たり前の話だが、強酸性の海に生命などいるはずがない。
まして大気圏もなければ、海の温度は零度で酸素もない。生命がいるなんて絶望的だ。
――でも、私の見解は違った。
海底にある地熱や地下火山が活発であれば熱や酸素が生じ、動植物が生きていける環境が整う。
問題の強酸性の水質は、酸に耐える硬い装甲であれば生存可能だ。テラの生命には貝類の仲間で石を摂取するフナクイムシ(和名)が存在する。この貝類は木材を栄養にしていたが、進化の分岐に石を摂取するタイプが生まれた。石を養分にし、それを糧に岩のような装甲を手にいれれば、酸の海でも生きられる。
奇しくも数百年分の宇宙望遠鏡のデータで、氷の中を移動する十数メートルのヘビみたいな何かがサーモグラフィーの画像でとらえた。私はこれをピアート内で生きる岩の龍と思い、政府に調査の嘆願者を出したのだ。
その成果を奪われそうになっているけども。
ゴゥンゴゥンゴゥンとのっぺりした重低音が船内に広がっている。
いまは地表から40キロを過ぎたところか。
トライズは薄い氷の膜を割り、念願だった海の中にゆっくりと沈んでいく。
星の輝きも太陽光もない水中は紛れもなく漆黒で、周囲をライトで照らしても闇が広がるばかりだ。プロペラが回る音だけが装甲と海から伝わって部気味な雰囲気が漂っている。
潜水をして間もないが、もはやここは深海だ。トネリコで何度も見たバーチャル水中とはわけが違う。ましてこの水は皮膚が焼けるほどに熱い液体。水底へ進むほど圧力がましていくので心臓が鳴りっぱなしだ。
さきほどまで仮眠していたミュートさんは、じっとモニターを見つめている。
むしろ笑っているように見えるのは気のせいか?
「ツクモ、何か発見したか?」
「え、暗くて全然わからないんですけど」
「そうだな、思った通りだ」
なにが!? こっちは予想外なんですけど!
ピアートにきてからミュートさんがよく喋る。これまで相槌一つしない人が、自分から声をかけてきて、なんとも背中がムズ痒い。
「やはり静かで重い場所は落ち着くな。重力のないところはどうも性に合わない。ツクモはどうおもう?」
「知らないよ! 私はずっとトネリコの中にいたんだし。それよりいきなり喋り出して怖いよ。別人だよ。どっかで頭を打ったの?」
「心外だな」
「日頃のあんたのせいだよ!」
なんでこうも生き生きしているんだ。まったく。
ちょっと反省しているのか、また真顔で船首の画面を眺めている。ゴウンゴウンゴウンと水をかくプロペラが回って重低音が響いている。
政府の所属する潜水艇もいるのかな。
光が拡散する海の中では視認するのが難しく、古い時代はソナーなどを使って音や振動を頼りに魚やクジラやイルカの群れを探したんだっけか。
人間が培養液で生成できる今日、魚や哺乳類をわざわざ自然環境で飼育することもないため、海の調査はだんだんと減った。それがゾンブレロ銀河の歴史だ。
宇宙での暮らしが当たり前になり、海だの山だの豊かな自然は低次元のド田舎扱いだ。進化といえばそれまでだけど、同時に人の持つ情緒の豊かさを失ったようにおもう。
「思わしくなさそうな顔だが、想像していたよりつまらないか?」
「そんなことないよ……。ただ、どうして私たち人間は生きているのかなって。原初の海を飛び出して、銀河の海に出ていろんな星を開拓した。でも、それにも飽き足らなくて、私たちフェアリーを作った」
ふむ、とミュートさんはわずかに伸びた顎髭に手を置いた。
「俺の場合は、居場所が欲しかった」
不意にミュートさんがじっと私を見つめた。
「ツクモも感じたことないか。自分はどうしてここにいるのか。自分の居場所はもっと違う場所じゃないかって」
その言葉は、たしかに私の心臓を掴んだ。
「俺は目が覚めた時から、世界のすべてが緩慢におもえた。人も、街も、宇宙も、全部軽かった。欲望も考え方も浅はかで、世の中が表面の幸せばかり求めている。それが妙に引っかかって抜け出せなかった」
合間をぬって包装紙にくるんだチョコを一口食べ、もう一粒を私に渡す。
促されるまま口に含むと、甘苦い味と焦げたような香りが口の中で溶ける。
「ツクモも水族館くらいは知っているだろう? 俺は自分自身が、あのなかの深海生物と同じじゃないかって思える。本来の生きる場所は重圧のある深くて暗いところなのに、他人の事情でぬるい場所に生かされる。それがどうしようもなく耐えられなかった。
だから俺はブラックホールの中を選んだ。無重力ではない、もっと重い世界。そして、そこが唯一の居場所だと思えた」
そう語るミュートさんの声は、この重苦しい深海でずしんと響く。
「せっかく居場所を見つけたのに、どうしてついてきたんです?」
私の問いに、ミュートさんはモニターを向いてしんみりという。
「知りたかったんだ。ブラックホールと同じ場所かどうか。たしかに別物だけど、似た感覚がある。いや、もしかしたらここが本来の場所かもな」
――――。
トネリコを飛び出して半年。ようやくこの人の心を内を理解した。
私に協力したのは善意だけじゃなかった。自分のアイデンティティを確かめたかったんだ。
なんだか拍子抜けしたけど、それでいいのかもしれない。
他人に無頓着な彼が、私に関わったこと。そんな私が彼に惹かれていたこと。
私たちは根っこのところで同じなんだ。
「ところでこの船はどこまで潜る?」
「地底を目指したいです。そこに行けば水中火山や地殻の隙間から酸素が出ているかもしれないので」
「わかった。だが、操縦席は渡さん。政府の潜水艇に警戒する必要があるし、ここは俺の庭のようにおもえるからな」
「好きにしてください……」
別人すぎて呆れるんだけど。普段からこれくらい口数が多いとイライラせずに済むのに。
「なんだか楽しくなってきたな」
ちょっとにやついている彼に苛ついた。
私が彼を連れて来たんじゃなくて、彼が私を連れて来てるじゃん!




