ベタな乗客
ーーベタ過ぎるだろ。
フロントガラスに映る後部座席に座る姿を見て思わず笑いそうになった。
一つ前の乗客のおかげでえらく遠い辺鄙な所に来たと思ったら、雨が降る夜の中で突っ立って手を挙げるこの女が現れた。正直無視してやろうかとも思ったが、少しでも稼ぎたいという欲が勝った。
タクシー。後部座席。赤いワンピース。ずぶ濡れの長髪女。これはもうベタベタのベタだ。
「どちらまで?」
「××まで」
俯き加減で女がぼそぼそと告げた行き先を調べるとこれまたえらい山奥だった。ダメ押しのベタ。幽霊確定。
金持ってんだろうなこいつ。タクシー怪談は様々なパターンがあるが中にはちゃんと金を払っているケースもある。幽霊だとしても無賃乗車は許さない。その時は幽霊だろうとぼこぼこしてやる心意気と共に車を発進させた。
「しかしこんな夜中に女性が一人傘もささずにどうしたんですか?」
全ての疑問を一文にまとめて投げかけてみる。
「……別に」
沢尻かお前は。何が別にだ。別になわけがねぇだろどう見ても。
「そうですか。それならいいんですけど。何かトラブルにでも巻き込まれてないかとちょっと心配だったもので」
巻き込まれているというなら幽霊を乗せたこちらこそ巻き込まれている側だろうが、彼女が一体何の目的でわざわざ山奥まで行きたいのかは気になる所だ。
「はやまっちゃダメですよ。まだまだお若いんだから」
よくあるパターンとすれば山奥に墓があるといった感じか。はたまた彼女の首吊り死体がそこにあるとか。考えると少しばかり怖くなってきた。
「しかしすごい雨ですね。寒くないですか?」
「……寒い」
寒いのかよ。その寒さは雨のせいか? クーラーのせいか? それとも死んで失われた体温のせいか?
「失礼、クーラー切っときますね」
毛布でもあればいいが、生憎夏の時期でそんなものは持ち合わせていない。
「……ありがと」
礼儀はあるんかい。可愛いなおい。ちらっとフロントミラーを確認する。
……いや、こえーよ。
だらりと垂れ下がった髪。ぽたぽたと落ちる雫。隙間から覗く生気のなさそうな顔。それになんだその真っ赤なワンピースは。どうしてそんな鮮血ほとばしるような深紅の赤なんだよ。
「素敵なワンピースですね」
思ってないけど褒めてみる。ほぼ嫌味。
「……汚れちゃった」
自慢のワンピースも雨でずぶ濡れですねドンマイ。
「お気に入りなんですか?」
興味もないけど聞いてみる。
「……これしかないから」
そんなわけあるか。服のレパートリーがレッドワンピース一択ってどんなクローゼットだよ。ん? 一着だけ? それともジョブズよろしく赤ワンピずらりな感じ? どっちでもこえーよ。
っていうかこいつ何歳だ? 顔が見えないから分からないが背はそこまで高くない。声はぼそぼそしていて少女と大人の間ぐらい。読めない。少なくとも三十は超えてないと思うが。
「おいくつなんですか?」
気になったので聞いてみる。
「……デリカシーないですね」
平気でずぶ濡れで乗り込んでシート濡らす奴よりましだろ。
「……でも、嫌いじゃないです」
何がだよ。強引な男がお好みですかこの野郎。
「あなた、ろくな男と付き合ってきてないでしょ?」
ノンデリで畳みかける。これが俺のstyle。
「……さすがに傷つく」
めんどくせぇな。難しいよ塩梅が。
「……あなたこそ、良い出会いに恵まれてるとは言えなさそうですけど」
かましてくんじゃねえよ幽霊の分際で。
「バツ2だけど、どっちも良い女だったよ」
「……じゃああなたがダメ夫だったんですね」
めっちゃ容赦ないんですけど。負けず劣らずノンデリなんですけどこいつ。
「お互いろくでもない存在って事で、仲良くしましょうよ」
「……トモダチ」
宇宙人かよ。ならねぇよ。あんたを目的地でおろして金もらったらそこで終わりだよ。
「っていうか、お金持ってますよね?」
「……なめんな」
なめるだろ。持ってるわけねえもん幽霊が。じゃあ俺も乗せんなって話だが。
「信じていいんですよね?」
「……好きなだけ検めるといいわ」
なんで俺が漁る前提なんだよ。てめぇが自分で出せばいいだろ。
『目的地に到着しました』
女とよく分からん会話を続けてなんやかんやしてたら着いた。
ーーえ、もう二時間も走ったの?
時間を見て驚く。体感時間としては三十分程度だったはずだが。
あーこの感じもあれね。幽霊的なせいのやつね。時間軸ずらされた感じのやつだ。
はいはい、どうせ幽霊。どうせ無駄なタダドライブ。
振り返ったらそこにはーー。
「……消えないっつうの」
消えてねえのかよ。
「はい、じゃあ深夜割増なので一万二千円ね」
無視。
「ちょっと、ここまで来て払えませんはなしですよ」
無視無視。
「いや、ちょっとマジで洒落にならないですよ」
無視無視無視。
「あのさ、振り向いて消えてて幽霊でしたならしゃあないかってなりますよ。もう半分その覚悟で走ってましたから。でも消えてねえじゃないですか。じゃあ払ってもらわなきゃ」
無視無視無ー視。
ーーえ、マジで検めろって事?
「そういうことなら失礼」
運転席から一度外に降りて後部座席の扉を開く。女の右側から様子を窺うが、鞄もなければワンピースなので男みたいに尻ポケットに財布ぶっ刺してる感じでもない。
「お客さん。ねぇ、お客さんったら」
俺は女の身体にすっと触れた。
「は?」
思わず声が出た。女の身体は冷凍庫の中みたいに冷たい。ワンピースに触れるとぐっしょりと濡れているが、水気以外の滑りもあった。
ーー血、なのか?
「あの、大丈夫ですか?」
女は俯いて全くの無反応だった。
「あ、あの」
女の肩をぐっと揺らす。女はぐらりとそのままシートの上に倒れ込んだ。
「え、え?」
何これ。どういう事。
幽霊では、なかった。でも、この女は間違いなく死んでる。
「け、警察……」
訳も分からず震える手で俺は警察を呼んだ。
*
長い拘束と尋問の末、ようやく俺は釈放された。
訳の分からない乗客を乗せた。ただそれだけの事だったが、本当に訳が分からなかったのはその後だった。
「死体と二時間もドライブとはどういうつもりだ」
警察が言うには俺があの女を乗せた段階で既に女は死んでいたというのだ。
そんなわけがない。あの女が俺のタクシーを停めて、そして自分から乗ってきた。その後しっかり会話もしている。
記憶だけではない。防犯対策として搭載されている車内カメラにも間違いなく証拠が残っている。それを見ればわかると抵抗したが、映像の中では俺がただ一人で喋り続けているだけだった。
更に女の素性を聞いて血の気が引いた。
あの日女は人を殺していた。付き合っていた男が相当にヤバい奴だったらしくほぼ監禁に近い状態だったそうだ。隙を見て逃げようとした際に女は男を刺して逃走。
そこで出くわしたのが俺だった。ただこの時点で女も致命傷を受けておりとっくに絶命していた。女が自分でタクシーを停める事は現実的に不可能。つまり俺が何らかの事情で死んだ女をタクシーに乗せ運んだというのが警察の解釈だった。
しかし実際調べてもそんな証拠はどこにもない。結局証拠不十分で釈放された。
間違いなく人生で一番意味不明な出来事だった。
“……消えないっつうの”
ただ思い返すとひどく切ない気持ちになる。
監禁から死に物狂いで逃げ出した彼女との短いドライブ。
最初は不気味な幽霊が乗り込んできたと思ったが、今となれば女との会話は妙に心地良かった。根明なタイプではなかっただろうが、元来はきっと楽しい女性だったのだろう。それだけに壮絶な最期を迎えさせた見ず知らずの男に対してどうしようもなく怒りが湧いた。
あの時間が彼女にとっての本当の最期だったとしたら。
そう思うと悔やまれる所も多かったが、せめて天国で楽しくやっていて欲しいと心から願った。
ちなみにあの彼女が告げた目的地の山奥にもう一度行ってみたが、そこにはずらりと墓石が並んでいた。自分が死んでいるという事を認識していたのか、肉親の墓がそこにあるからなのか、理由はもう分からないがこれもまた怪談的にはベタだなと思って怖さより笑いが込み上げた。
後にも先にも、ベタみたいな女幽霊を乗せたのはこの一度きりだった。