表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第3話「紙の向こうの罪人」

鳴上スイは眠れなかった。

夜の静寂の中、部屋に積まれた原稿の山が、まるで息をしているかのように見えた。

文字はまだ生きていた。

ページをめくるたび、昨日書いた物語が、現実の世界の誰かを殺している――その感覚が、彼の心を締めつける。


「……もう、やめたい」


しかし、手はペンを握っていた。

机の上に開かれた原稿が、彼に問いかける。


「今日も、誰かを生かすか、殺すかを決めますか?」


文字は震えている。

スイは息を詰め、ペン先を見つめる。

書くべきなのか。止めるべきなのか。


――止めれば、物語が勝手に進む。

――書けば、読者が死ぬ。


部屋の影が、低く笑った。

「スイさん、選択の重さを感じていますね。素晴らしい」


「な、何が素晴らしいんだ……」

スイは声を震わせ、目の前のページに向き直った。

文字が動き、彼に語りかける。


「あなたは知っていますか? 読者の人生を、完全に理解できると思いますか?」


スイは息を止め、首を振った。

知らない。誰も知らない。

それでも、文字は迫る。迫られるまま、彼は書き始めた。


ペンが走る。文字がページを滑り、血と悲鳴が染み込む。

文字を打つたびに、読者の心臓が止まる――その映像が、彼の頭の中に浮かぶ。

だが、スイは止まらない。

止められない。物語が、彼を支配している。


窓の外、夜の街灯が雨に濡れて光る。

人々は傘を差して行き交うが、彼らの影は、紙の中の文字に飲み込まれそうだった。


「あなたは罪人ですか?」

ページから問いかけが聞こえる。


スイは手を止めた。

「違う……俺は、ただ……書くしかないだけだ……」


だが、影は冷たく笑う。

「罪人かどうかは、他人が決めます。あなたは、ただ選んだだけ」


――選んだだけ。

言葉は軽いが、重い。

誰かが死ぬ。誰かが生きる。

選択した瞬間、現実と物語の境界が、音もなく崩れ落ちる。


スイはページを閉じた。

目を閉じ、深呼吸する。

心臓の鼓動が、夜の静けさに吸い込まれる。


――だが、原稿は開かれたままだ。

文字はまだ、彼を待っている。

ページは微かに揺れ、まるで呼吸しているかのようだ。


「もう……これ、やめられない……」


スイは悟った。

物語は、彼の意志を超えて存在する。

そして、読者の死は、紙の向こうで、確実に起きている。


ペンを握る手に力を入れ、スイは小さく呟いた。


「……今日も、書くしかないのか……」


部屋の影が、笑った。

「ええ、鳴上スイさん。あなたの物語は、止まらない――」


夜は深まる。

そして、物語の血は、紙の上で乾かないまま、読者の心を穿つ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ