第2話「読者の死は、誰のせいでもない」
スイの部屋は、静かだった。
だが、その静けさは、血の匂いで満ちていた。
昨日、書いた文章のせいで、誰かが現実で死んだ。
スイには、名前も顔もわからない。ただ、彼らが消えたという事実だけが、胸に刺さった。
「俺……何をしているんだ……」
机の上の原稿を見つめる。ページはまだ、白く残っている。
白紙――ではない。文字が、勝手に滲んでいた。赤く、ゆっくりと。
ページをめくるたびに、現実世界の“誰か”の死が、そこに刻まれていく。
――自分は加害者なのか。
それとも、ただの道具なのか。
スイの頭の中で、声が響いた。
「違う、スイさん。あなたは道具ではありません。選択した者です」
影の声は、昨日よりも冷たく、より鮮明だった。
「選択……?」
「はい。あなたが書くたびに、読者は運命を決められます。生かすか、殺すか。それは、あなた次第です」
スイはペンを握り直した。震える手。だが、心は動かない。
書きたくない。誰も死なせたくない。
だが、書かなければ、物語は続かない。ページは自ら動き、彼を促す。
――逃げられない。
その時、部屋の隅から、光が差し込んだ。
光の先に、一冊の本。昨日の本だ。表紙には、今日の日時と、スイの名前。
ページを開くと、そこには彼が書いた文章の続きを示す、未完成の物語の断片が浮かんでいた。
「死ぬのは、誰ですか?」
—読者の問い
文字が震え、動き出す。まるで、ページの中の人間が、問いかけてくるようだ。
スイは息を呑む。
「俺に聞いてる……のか?」
ページはさらに続く。
あなたは、読者を知っていますか?
彼らの名前、顔、人生――
それでも、読む手を止めますか?
スイはペンを握り直す。
答えが出ない。胸が痛む。だが、物語は進む。
ページをめくるたび、血の匂いが強まる。
部屋の影が、スイの耳元で囁いた。
「さあ、今日も物語を書いてください。読者は、あなたを待っています」
スイは立ち上がり、窓の外を見る。
街灯に濡れた道路、傘を差した人々――そのすべてが、彼の書く物語に影響される可能性がある。
彼は初めて理解した――この物語は、現実と紙面の境界を破壊するものだと。
震える手で、ペンを握る。
「書く……書くしかない……」
スイはページに文字を刻み始めた。
文章は、彼の意志を超えて、独り歩きするように紡がれていく。
読者の運命は、ペン先に委ねられた。
その時、ページの端に、小さな文字が浮かんだ。
「ありがとう――あなたが選んだのです」
スイは息を詰めた。
誰かが死んだ。確実に。
だが、読者はまだ生きている。次の選択は、スイ次第。
物語は、今日も彼を支配する。
そして、読者の死は、誰のせいでもない――
ただ、物語が動き続ける限り、止まることはない。