5話
「おはよ……ってすごい顔してるね」
「おう……」
「もしかして、会えなかった?」
翌日の朝。
心配そうにこちらを覗き込んで来た夕凪に、何と返答すれば良いのか分からず、思わず言い淀む。
昨日、夕凪からメッセージが来ていたのは知っていたが返信に困り、そのままスルーしてしまった。それが余計に夕凪を心配させてしまっていたようだ。
「ごめん、余計なことしたよね。私が昨日、行けなんて言わなければ」
「いや、違うんだ」
「違うって……じゃあ会えたの?橘さんに」
「会えなかったよ、橘さんには。でもそうじゃないんだ。そうじゃなくて」
「……新太?」
何て言えば良いのか、やはり言葉を詰まらせてしまう。
昨日あったこと、蒼井さんのことを夕凪に伝えるべきか。
伝えるとして、どこまで伝えればよいのか。
俺自身、まだ混乱している。こんな状態で夕凪に話したとしても、余計な混乱を招くだけな気もする。
「上手く言えないんだけどさ、夕凪のせいじゃないから――」
「おはようございまーす。あ、いたいた!」
「……は?」
ガラガラと大きな音を立てて教室に入ってきたのは、蒼井蜜その人だった。
思わず身構えたが、クラスメイトたちの反応に違和感を覚える。なぜなら彼女の姿を見た途端、皆が一斉に距離を取り始めたからだ。
どうやら蒼井さんは色々な意味で一目置かれているらしい。
しかし彼女自身は周りの反応など気にもせずに、真っ直ぐ俺の席に近付いてきた。
「おはよう、皆川君」
「お、おはよう」
ずいっと距離を詰められて、思わず普通に挨拶してしまった。
俺と蒼井さんのただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、夕凪は俺たちを訝しげに観察している。
「昨日は、ありがとうね」
「ありがとうって、何が」
蒼井さんの口角が上がるのと、俺がしまったと思ったのはほぼ同時だったに違いない。
彼女はわざと教室中に聞こえるように声のボリュームを上げる。
「アタシの家、来てくれたでしょ。男子を家にあげるの初めてだったから、緊張しちゃった」
「お、おい!それは――」
「それにキスも。いきなりだったから驚いちゃったけど、意外と悪くなかったよ?」
「あれは蒼井さんが急に――」
「どういうこと?」
聞いたことのない、冷たい声だった。
恐る恐る声の主に視線をやると、同じく見たことのない表情を浮かべた夕凪が俺たち、正確に言えば蒼井さんを見つめている。
いつもの落ち着いた雰囲気の彼女からは考えられないほどの無表情。ただ怒っているより、ずっと恐ろしかった。
「……誰か知らないけど、勝手にアタシたちの会話に入ってこないでくれる?」
「私のこと知らないなんて、嘘」
「はぁ?何を根拠にそんなこと――」
「この学校で私たちの仲を知らない人なんて、いないはずだから」
「……ああ、アンタがそうなんだ」
夕凪の少し、いやかなり過剰な発言に何故か蒼井さんは納得したようだ。
いくらなんでも俺たちの仲を知らない人がいないなんて、あり得ないと思うんだが。
「それにウチのクラスに勝手に入って来たのは、貴女の方ですよ。隣のクラスで不登校気味の、蒼井蜜さん?」
「アタシのことも知ってるんだ。たーちゃんに聞いたとおりだね、夕凪凛」
「呼び捨てしないでください、不愉快です」
「そんなカリカリしないでさ、仲良くしようよ?」
蒼井さんが差し出してきた手を、夕凪は不愉快そうに払いのける。
こんなに感情を、しかも負の感情を露にする彼女は見たことが無い。
「あらら、嫌われちゃったみたい。まあいいや、皆川君」
「え、俺?」
「他にいないでしょ、もう。今日の昼、第二視聴覚室に来て。一緒にお昼食べようよ。昨日の続きの話もあるし」
昨日と同じように不敵な笑みを浮かべる蒼井さんを、夕凪は黙ったまま睨み付ける。
本当は言いたいことが山ほどありそうだが、これ以上騒ぎを大きくしたくないんだろう。ぐっと堪えているのが伝わってきた。
「そろそろいかないとだから、じゃあね。お昼、忘れないでよ?」
「あ、おい!」
言い逃げしたまま、蒼井さんは教室を飛び出して行ってしまう。流石に異様な雰囲気を察したのか、周囲から痛いほどの視線を感じた。
「……行かないよね、新太」
「え、何が?っていうか大丈夫か、夕凪」
「私のことはどうでもいいよ。で、勿論行かないでしょ、昼休み。私と一緒に食べるもんね?」
有無を言わせない圧力に、思わず首を縦に振る。その返答に満足したのか、夕凪はそれ以上追及してこなかった。
もしかしたらここで聞くのは教室ではない方が良いと思っただけかもしれないが、今の俺にはどちらでもよいことだった。
昨日と言い、蒼井さんは一体何のつもりなんだ。
こんな風に俺の日常を壊そうとするのが、彼女の目的なんだろうか。
とりあえず触らぬ神に祟りなし。夕凪に釘を刺されずとも、蒼井さんのところに行くつもりはない。
「はぁ……昨日から、一体何なんだ」
橘さんに振られてから、心が落ち着く暇がない。
そんな現状を嘆く俺の呟きは、教室の喧騒の中に消えていくのだった。