3話
学校から歩くと20分。自転車なら10分以内に着ける、閑静な住宅街。
駅やスーパーなども近くにあり住みやすい分、ある程度の金銭的余裕がないと住めないと噂されるその一画に、橘さんの家はあった。
「前行った時も思ったけど、橘さんって結構なお嬢様だよな」
息を整えながら記憶を頼りに橘さんの家を目指す。
たまにすれ違う人たちの出で立ちから、この辺の噂は本当なんだなと確信する。セレブな橘さんと一般庶民の俺、どこまでも釣り合わない二人。
「……ネガティブはいけないぞ、皆川新太」
ここに来た目的を忘れてはいけない。
若干ストーカーちっくではあるが、もしかしたらという可能性もある。何より、どうして引っ越すことを教えてくれなかったのか。
それを聞くまでは納得することなんて出来ない。
「確かここを曲がれば、橘さんの家だったよな」
不審者を見るようなセレブたちの目に耐えながら、朧げな記憶で辿り着いた俺を待っていたのは――
「……あれ?」
――まっさらな新地という残酷な現実だった。
「間違えた、か?」
自問自答してみるが、それはない。
朧げな記憶といえども道順は比較的分かりやすかった。それに周囲には見覚えのある建物がある。
そもそも彼女の家にお呼ばれされたのはつい最近のことだ。間違えるわけなどなかった。
つまり、間に合わなかった。
もうすでに橘さんは引っ越してしまっている。
「結局、何にも分からず仕舞いかよ……」
昨日、振られた時に食い下がっていればまた違っていたのだろうか。
この半年間、橘さんが本気だったのか遊びだったのか、それはもう分かりはしない。
こんな呆気ない、締まりもないような結末が、俺の初恋の終わりだなんてなんて情けないのだろう。
「……てる?」
「…………」
「もしもーし!聞こえてるー?」
「……え、俺?」
「そう!って言うかこの辺にはアンタしかいないんだから当たり前でしょ?」
怠そうな声の主は、声に反して目立つ外見をしていた。
背は俺より少し低いくらい、おそらく170センチくらいで女性の中では高身長だろう。
細身でスタイルも良く、キリッとした顔立ちが印象的だ。
ただそれ以上に目立つのが暗めではあるが、腰ほどまでもある青色の髪だった。
そして全体的に着崩した制服が、どことなく不良っぽさを想起させる。
不機嫌そうにこちらへ近寄ってきた彼女に、まさかこの令和の時代にカツアゲか、と思わず身構えた俺への質問は予想外のものだった。
「アンタが、皆川新太?」
「そ、そうだけど……何で俺の名前」
「聞いてたからね。たーちゃん……ああ、橘さんから」
「橘さんの、知り合い?」
「そう。私はアオイ。蒼井 蜜。皆川君とは同じ学校、学年も同じなんだけど……その感じだと、全然知らないって感じ?」
「えっと、ごめん。全然分からなかった」
同級生だと言った彼女、蒼井さんはよく見れば確かにウチの高校の制服を着ている。
色んな意味で目立ちそうな彼女のことを、全く知らなかったことに我ながら驚いてしまった。
これだけ目立っていれば校内で一度くらいすれ違っていても可笑しくなさそうなものだが。
「あっそ。まあ、そんなことはどうでもいいか。それより皆川君さ、たーちゃんに会いに来たんだよね。その格好、学校サボってわざわざ会いに来た感じ?見かけによらずアツいんだー」
「そうだけど……そういう蒼井さんだってサボってるだろ」
「アタシはいいの。別に学校とか全然行ってないし。それよりさ、案内してあげようか」
「案内?」
「たーちゃんの居場所。アタシ心当たりあるんだよね」
「……なんで蒼井さんが引っ越した橘さんの居場所なんか知ってるんだよ」
俺の疑問に、蒼井さんに不敵な笑みを浮かべながら答えてくれた。
「だってアタシ、彼女の親友だから」
「親友、だって?」
その答えは俺にとって完全に初耳だった。
親友?橘さんには大勢の友達がいたのは知っている。現に付き合っていた時にその内の何人かは紹介してもらったこともある。
けれど親友、しかも目の前にいる彼女を紹介してもらったことなんてない。
「あー、その顔は疑ってるなぁ。でもアタシは知ってるよ、皆川君のこと。付き合い始めたのは半年くらい前、告白したのはたーちゃんからで、最近君がプレゼントしたのは……ふふ、雑貨屋で見つけたネックレスでしょ。君、つまんなそうだけど可愛いとこあるよねぇ」
「な、何でそんなこと……!」
「だから、親友だからだよ。いつも聞かされてたの、色々とね」
付き合って半年記念で俺があげた物まで知っている。
ただの当てずっぽうじゃ絶対当てられないことを知っている蒼井さんの言葉には、かなりの説得力があった。
「ほら、着いておいでよ。会いたいんでしょ?」
「……わ、分かった」
正直、ついさっき会ったばかりの奴にのこのこ着いて行くなんでどうかしてる。
でも俺には目の前の彼女が嘘をついているようには思えなかったし、何より他に橘さんに会う方法がない。
藁にもすがる思いで、見ず知らずの彼女に着いていくしか選択肢はなかった。
「素直でよろしい。じゃあ行こうか?」
「ああ、よろしく」
――今思えばここから間違ってしまったのかもしれない。
未練がましく橘さんを追いかけなければ、あんなことにはならなかったのだから。