もうひとりの聖女ではない女 ※聖女主軸
聖女。
そんなふうにイルミテラを呼ぶ人間は屋敷の者ではない。
「よかった!よかった……ッ!いらっしゃったッ!!」
男はイルミテラの細い肩を、締め上げるように掴んだ。
「おーい!みんな!ここだ!ここにいらっしゃったぞ!今連れて行く!」
「い、いや……ッ!触らないでッ!!離してえッ!!」
逃げようと暴れても力の差は歴然。
噛みつこうが引っ掻こうが男は手を緩めず、イルミテラは階段を引きずられていく。
「逃げないでくれ!みんな聖女様を待ってるんだ!」
無我夢中で手足をばたつかせているうち、裸足の指先が土を掻いた。冷たい夜気が肌に触れ、松明が視界に入り込む。
――外だ。
あっというまに、泥だらけの群衆に取り囲まれた。
せいじょさま!せいじょさま!
「この子を診てやってください!必死に馬車を乗り継いでやっと王都まで来たんです!」
「うちに来てくれ!おふくろが死んじまう!このへんには医者も病院もなくなっちまって薬もない!もう聖女様しかいないんだ!」
「お願いします、聖女様! どうか助けてください!」
「治してくれ!」「お願い!治して」「治せ」「治せ」「治せ」
イルミテラは周囲から絡みついてくる手を、死に物狂いで振りほどく。
「いやあああああッ!!やめて離してッ!できないッ!わたくしにはできないわッ!!聖女じゃないのッ!!聖女じゃないから奇跡は起こせない……ッ!!」
ぴたりと怒号が止んだ。
「聖女じゃない……って」
大きな包みを抱きかかえた女が問う。
「――どうして」
呆然とした一声を皮切りに。
「どうして!?どういうこと!?」
「聖女だと書いてた!お触れをちゃんと見たんだぞ!!あんたが真の聖女だって、お貴族様だって言ってたんだ!」
「ウソよ!ウソをつかないでください!本当は聖女なんでしょ!?印があったもの!」
ネグリジェは泥と土埃でしわくちゃだ。
「……ッ!やめてよッ!汚い!」
「あ……ッ!」
イルミテラは目の前の相手を渾身の力で突き飛ばした。
確かな手応え。相手の身体がぐらりと傾ぎ、ごとんと音をたてて何かが地面に落ちる。それを踏まないよう群衆は慌てて飛び退った。
落ちたのは、さっきの女が持っていた包み――生まれて間もない赤ん坊だった。
しゃがんだ女が赤ん坊をかき抱いて、わあっとむせび泣いた。眠っているのか、それとももうとっくに息をしていないのか。赤ん坊は泣きもせず、静かに母の胸で目を閉じている。
「ごめんね、せっかく来たのに……ごめんねぇ……!」
我が子に謝る女を見て、イルミテラは立ち竦んだ。




