第18話 導入その3
プレイヤーのほとんどが訪れている島の、その比較的大きな港の一画。そこに停泊しているいくつもの貨物船の中の一隻。その一際大きな船の甲板に、一人の女性が静かに周囲を見渡していた……。今現在は陽も沈み、月明かりとかすかな星明かりが空を覆う夜空の下、その停泊場は濃い霧に包まれている。
その女性は、腰に届きそうなほどの髪をポニーテールにまとめていた。髪色はピンクで、癖っ毛なのか無秩序に跳ね返っている。目線は鋭く、瞳の色は青…いや碧眼と言った方が近いだろうか。その整った顔立ちは美しくもありつつも、人を寄せ付けないようでもあった。ラフな格好……オレンジ色のシャツを着て、その上に白衣を纏い、カーゴパンツ。さながら研究者といった風体であった。
彼女はもう一度周囲をしっかりと見回したのち、
『……よし、船を出してくれ』
と、通話の向こうの人物へと告げた。
錨はすでに巻き取ってあり、帆も張っていた。わずかな風がその布を膨らませ、静かに船を岸から遠ざけた。周囲をあらかじめ広く間隔をとっていたこともあり、船首を回すことも容易かった。
滑り出しは好調であり、衛兵などにも見つかったような様子もない。
「ふぅ……」
緊張していたのか、溜めていた肺の空気を吐き出す。
(これで王国ともおさらばだな……)
もう戻ることはあるまいと、船内へと戻った。
慌ただしく歩き回る仲間の間をぬって進み……船長室、とプレートが設置された一室にて、自分たちで作ったフッカフカの椅子へと深く腰をかけた。
彼女はわずかな波の揺れを感じつつ、天井を見上げる。
その女性……ナツメというプレイヤーはここしばらくの憂鬱な出来事を振り返った……。
きっかけはなんだったか……。そもそもの始まりからして間違っていたのかもしれない。とある女性の貴族の依頼を受け報告に行った時に、つい親切心で自家製の薬効ハンドクリームを譲ったのがいけなかった……。彼女らNPCが普段使っているものよりも香りが良く、効果も高かったらしい……すぐに顔と名前を覚えられた。
貴族からの依頼は報酬がとても多く、出来るだけ受けていた。
別の貴族からの依頼の際には、以前のこともあり今度からは消耗品の方がいいだろうと、菓子折りを持っていった。……これもまた喜ばれた、見たこともない造形で香ばしく味も良いとのことでまた食べたいと願われてしまった……。それらまぁ良い、自分の作ったもので喜んでくれるのは素直に嬉しいし。
これらの出来事の後、彼ら貴族の中でそういった……プレイヤーの作る高品質で珍しい生産物の話が広まったらしい。覚えが良い私、が立ち上げたクランに度々注文が入るようになった。金払いもよく、作り手としては大変喜ばしくも思ったものだが……代表者である私個人との会談を望む声が次第に増えていった。私個人としても対応できる時間帯というものが存在する。リアルで仕事に追われることもあるからだ。なのでサブマスやらそういった商談事に得意な面子に対応をお願いすることが段々と増えていき……なおさら私を指名する輩が増えていった。
どうやら貴族界という世界の中で私は、一種のステータスとなっていたらしい。最近現れた腕のいい職人で、出会う機会が少ない人物。直接対面出来た者は優遇されているのでは……?といった具合で。私は客に優劣はなく、優先することと言えば、注文してきた順番くらいにしかこだわることがない。あっちよりもこちらを優先して欲しいだとか、山吹色の菓子折り(箱の底に金銭入り)を送りつけてきたり……果てには、自らの息子との婚姻にまで話が及んでいき……。
「はぁ……」
盛大なため息であった。
その時、部屋のドアをノックする音がする。
「入ってくれ」
「しつれいしま〜す」
よっ!っと片手を上げて入ってきたのはクランメンバーであり幼馴染のミズキだった。
「最近はお疲れだったねぇ〜なっちゃんの人気がすごくてさー」
「本当にまいったよ。社交界とか誘われてもさぁ……リアルで経験したことない一般人だぞ?無理無理」
はいっ、と手渡されたホットココアを受けとりつつ幼馴染の彼女と愚痴る。
う〜ん……いい香り。
「それにお仕事も段々と忙しくなった〜って言ってたし、こうなっちゃうのも仕方ないよ〜」
「そう言ってくれるか……」
「言う言う〜」
人好きのしそうな柔らかい表情と声に癒されつつ、ココアを一口含む。うめぇ……。
リアルでは伸ばすのを嫌がっていた、腰まで届く黒髪を揺らしつつ、ミズキはこちらへと近付き、しっかりとした机の端に腰をかける。
「なっちゃん昔から優しいからなぁ〜そこが魅力の一つではあるのだけれど」
はいはい。
「でもなぁ、慕われていたあの子には申し訳ないかもねぇ」
「……………」
「ま、生きていればこういうこともあるでしょう!というわけではいこれ」
と、トレード申請で押し付けてきたのはお弁当であった。
「ふふん、私が作りました」
このクランの内で主な食堂、といっても食事効果のバフくらいにしか利用されないのだが、を手掛ける彼女が作るお弁当は普通に好評であり、美味しいものであった。
「さんきゅ」
「いえいえ〜。……よかったら食べてね」
もういい時間だからと先にログアウトした彼女を見送り、アイテム欄から取り出した。
夜食用なのか少食な私に合わせたのか、食べやすい大きさの箱の中には色とりどりの野菜や葉物に加え、小ささおにぎりが二つと大きなミートボール、半分に割られたゆで卵が入っていた。
「……いただきます」
もそもそと口を動かし、先ほど言われたあの子について思い浮かべる。
時たま現れる謎の美少女。その時に会談していた貴族が畏まるほどの存在……。
「思っている通りなら、だいぶややこしい事態になりそうではあるが……」
私個人としては多忙になってきた中、ゲームの中でくらいはゆとりが欲しい。
いつの間にか好かれていたが、仕事人間な私のどこを好意的に見ていたのやら……。
ゆっくりとした動作ではあったが、受け取ったお弁当は大変に美味であり、あっという間に空になる。
「ごちそうさま」
今度、現実の方でもなにか作ってもらおうかなと思いつつシステムにある時刻を確認すると、もうそろそろ日付が変わる頃であった。
明日も仕事がある、早めにログアウトすることにした。
実家までは、手が空いている仲間に私の船を預けておけばいい……明後日辺りには到着しているだろうさ。
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話は変わるが、本土からある程度離れているとはいえその小さくない島の所有者は王国である。表立って敵対関係……というわけではないが、帝国と呼ばれるところが支配している地域がすぐ隣にあり、またどうやら慌ただしくも軍備をおこなっているらしいとの風の噂が絶えない。
さて、本土より隣国に程近いその島にも……もちろんではあるが警備隊というものがある。二人一組の編成で水上警備を行っている。四、五人乗れるほどの小舟に乗り込み、船首にてカンテラを掲げる者と視界が確保された操舵室にて船を操縦する者と分担されている。この辺りの海では夜になると濃霧が発生することが多く、今夜も数隻の小舟で警備を行っていた。
涼しい海風を微かに受けてゆっくりと巡回をする一隻。大変立派な仕事だが、仕事中ずっとだんまりというもの人間難しいもので……。
「……全然前が見えねぇ」
「なにかあったら言えよ?急には止まれないんだからなー」
「ういー」
だるそうに灯りを持った人物はそう答えると、懐から紙タバコを取り出し……カンテラの蓋を開け、火を借りる。高級な葉巻と違い、値段抑えられた紙タバコはいつの間にか庶民の娯楽物となっていて、彼もまた葉巻より手に取りやすいとのことで、乗り換えた口であった。
「ふぃ〜……」
「あ、おいこらずりーぞ!」
「へっへっへ」
彼らも長いこと一緒に組んでいる者同士であり、ゆるい関係であった。
「ん?」
「どうかしたか?」
舵をとっていた人物が違和感を持った。操舵輪を少し回してみるが反応がない……。
「あー参ったな、舵が効かねえ……。おい、一旦止めるぞ。錨を下ろせ」
「わかった」
錨を降ろし、停泊する。
「どうする?」
「しゃーねぇ、日が昇るまではここで凌ぐぞ。波は穏やかだし流されたり転覆することもなさそうだ」
「まじかぁ……朝飯は美味しいものが食べたかったぜ」
「そう言うな。レーションがあるだけマシだ」
彼らが乗っている小舟には一応の備えとして、各種の非常食や飲み水なんかも備え付けられているため、しばらく遭難しても問題がないようになっていた。
操舵室から出た彼は、もう一人から紙タバコを分けてもらい一服。あとは夜が明けるまで二人で駄弁っていた……。
そんな中……他の船はというと、
「ちゃんと基地に戻るまでには酒抜いとけよな?」
「わかってるって〜」
操舵室からは心配する声と、船首には呂律が怪しい人物がいた。
「ったく。仕事前にそんなに飲んでんじゃねぇーっての」
カンテラの明かりが薄らと見える中、操舵輪を緩やかに回す。相方がバランスを崩して落ちないようにするためでもあった。
「いやぁ〜店に入ったらいい酒が入ったて言うからしょうがないってば〜」
「……はぁ」
やれやれとため息を吐く。こいつとも長い付き合いだが、酒癖が悪いのが玉に瑕であった……。自分だけでも任務に集中しようと、操舵室の左右の窓枠から周囲を見渡していた時。
重いものが水面に落ちたような音がした。
「あ、おい!大丈夫か!?」
まさか相方が落ちたんじゃないかと思い、視線を前に向ける。
「うぉ?」
「すごい音がしたなぁ……俺は大丈夫だぜぇ」
カンテラを掲げ、こちらを見上げる顔が見えた。彼は船の上で座っていて……つまり別のものが近くで落ちたのか?
彼はゆっくりと相方の方へと近づき、カンテラを借りて周囲の水面を確認した。
「なにが落ちたんだ?」
船の周りを探すことしばし……彼はちぎれたロープを発見した。
そのロープの先端にあるはずの錨の部分が無くなっていた……。
「おいおい……もしかして千切れたのかこれ」
「一度整備に出してるからそこで点検されてるはずだぜ?ってことは?」
「手抜きでもされたか?いやいやいや……まぁこの船も長いこと使ってるし、寿命だったのかもなぁ。点検した奴らも見落としたんだろうさ」
しょうがないと言って、彼は操舵輪に手をかける。一度基地へ戻って船を借りなくてはならないのだ。それと修理の報告も必要だ。
「呂律が回るように治しておけよ〜?」
「マジかよぉ……こんなことならもう少し押さえておけば……」
「ははは、自業自得だろうが」
ゆっくりと船の先端を陸の方へと向け直し、まっすぐに港へと戻っていった……。
この日はそういった事が多く発生した日であった。舵が効かなくなったり、錨が海へ落ちてしまったり、いつの間にか岩礁に乗り上げていたり、強い潮の流れに流されていたりと……不幸な出来事が重なってしまった日でもあった。
明朝。濃かった霧が薄らと晴れ、朝焼けで空が染まる頃合いに警備の任務は終了していた。不幸が重なったとはいえ、誰も怪我をすることもなく、無事に朝を迎える事ができた。基地に戻り、一旦報告会を皆で済ませたあとは三々五々に散らばっていった。そんな中、ふと気がついた者がいた。昨夜の時点で見かけた船が見当たらなかったということに。だが彼はそういうこともあるか、と結論づけ、朝食を摂りにに向かった。
彼らNPCの中での常識であった。プレイヤーを名乗る自由人とも呼べる彼らの生態を……。彼らは自らの船を所有し、どういう原理か……仕舞い込む事ができるということ。そして、自由を愛する彼らはふとした拍子に姿をくらますということを。
消えた貨物船の所有者は自由人の物である事は把握していた。つまり持ち主はなんらかの理由でこの付近から移動したのだ、と彼はそう結論づけたのだった。




