190 魔王の居ない世界
僕がナハトを殺して、名実共に雷鳴の覇者に相応しい最強の存在になってから六年の月日が流れた。
僕の雷鳴で始まり、僕の雷鳴で幕を閉じた神授大戦は、この世界に多くの転換期をもたらしている。
三日月が下界を照らしている中、元サンダーパラダイス本拠点の豪邸最上階にある自室で、ライムは目を覚ましてベッドから立ち上がる。
「ライム様、およそ一時間後にはルミナス商会社長室にてユキネ様と会食です」
ライムの影からディストラが現れる。
ディストラは、格式ある黒のスリーピーススーツに身を包み、両手には白い手袋を付けている。
長身細身で整った顔立ちのディストラは、さながらイケメン俳優の様な風貌になっていた。
「会食って、ただ依頼内容を整理するついでに夜ご飯奢ってもらうだけだ」
ライムは鼻で笑いながらディストラの方に首だけ振り向いた。
「それより、魔界での仕事はもう片付いたんだな」
背伸びをしながら、ライムは窓から見える三日月を眺めている。
「はい、私は『ヘルホワイト』や『自由彗星』、そして救援に駆けつけてくださった『烈日之帝王軍』の皆さんに協力しただけですので。魔物掃討後は、直ぐに帰らせて頂きました。私の本職は、ライム様及び、ライトニング様の執事ですから」
ディストラは軽く頭を下げて嬉しそうに微笑んでいる。
神授大戦終戦から時は過ぎ去り、春風そよ吹く明るい季節。
時刻は夜の十時頃。
ライムは爽やかな表情でクローゼットまで歩みを進め、ハンガーに掛けてあるライトニングの衣装を見て不敵に笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
時刻は戻り、朝九時。
同日のヒストア王国。
部屋の正面にある机の前にはオスカー王が座り、その右隣にクロエが座って、二人で協力して大量の書類に目を通す日々を送っていた。
優しく下界を照らす春の日差しが窓から差し込む執務室には、ペンの音と紙が擦れ合う音だけが聞こえる。
そんな執務室に妖艶かつ可愛らしさのある声が広がった。
「クロエ王女、フォティールからの食材提供による対価として、以下の書物を貸し出す為の書類です。こちらにサインを」
エマは淡いピンク色の前髪を右手で耳に掛けながら、前屈みになってクロエの机に書類を提示した。
エマは赤と黒基調の軍服を着こなしており、グラマラスな体型のまま厳粛さが合わさっているイケメンお姉さんになっていた。
そんなエマは、執務室と言えど警戒を解かず、海賊時代と変わらずに赫と黄色のフリントロックピストルと、黒と紅色のサーベルを腰に携えている。
「う〜ん。ずっと座ってるの疲れたー。……、またアシュラさんと居た時みたいなドキドキを味わいたいな」
クロエは目を擦りながらあくびをした。
まぁでも、職人や兵士が少ないヒストア王国は周りの小国や大国に、今でも多大な援助を貰っているから、私が少しでもお父さんの負担を減らしてあげないとね。
こうしてクロエは気合を入れ直し、書類を片付けていった。
数秒後。
ペンの音や紙が擦れ合う音、そして鳥の囀りが奏でる心地の良い音楽が流れている落ち着いた雰囲気の執務室に、自信に満ち溢れた少し大人びた男の子の声が割り込んできた。
「クロエ王女、エマと書類に囚われている様ですね。宜しければ、ボクと退屈な日常から抜け出しませんか?」
声の主は、赤と黒の軍服を着こなせる程背の伸びた少し大人なスズリだった。
執務室に入った後、スズリはソファーに腰掛けてくつろぎ始める。
「こら、スズリも仕事をしなさい。海軍の元帥なのに、ここに来てる暇があるの?」
エマは深い紺色をした瞳でスズリを見ながら、呆れ顔で言った。
「姉さん、舐めないでくれる? ちゃんと終わらせてから来るに決まってるじゃん」
ソファーに座ったまま、エマを見上げて自信満々にスズリは言った。
「ふふっ、少しぐらい多めに見てあげましょうよ。スズリ君が海軍設立を提案してくださり、元『紡ぐ者』に所属していた殆どのメンバーが入隊してくださったお陰で、ヒストアは武力的にも他国に劣らない大国になったんですから」
暖かな春の日差しに照らされているクロエは、お淑やかに口元を右手で隠し、優しいお姉さんな暖かい表情で微笑んで赤と水色のオッドアイでスズリを見つめている。
「あぁ頼もしい限りだ。なぁ、エマ大将」
オスカーは、誇らしそうにエマを見上げている。
「神授大戦が終わった後直ぐ、オスカー王様や、クロエ王女が迅速に対応してくださったお陰です」
エマは丁寧な口調で謙虚な優しい笑みでそう言った。
「では、失礼致します」
エマは綺麗なお辞儀をして、執務室から退出した。
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ほぼ同時刻。
暖かい日差し差し込むラスファート中央区は、六年前に巨大な丘が消滅し、巨大な大穴が空いたとは思えない程平坦な大地に修復されて穴が完全に塞がっていた。
が、未だ舗装されきっていないせいでラスファートでは浮いた景色が広がっていた。
そんな中央区には、新たなラストナイト本部や王城、『魔剣士魔法総合国立学園』が破壊される前と同じ位置に建設されている。
その中でも、ラストナイト本部には新たな出会いの予感が流れていた。
フィオナ達ラストナイトは、白基調の隊服をきっちりと着ている。
「よし、皆んな集まったな」
凛々しい雰囲気を纏ったフィオナが部屋の中央に立つ。
厳格な雰囲気漂うラストナイトの作戦会議室では、フィオナを除くラストナイトが真面目な顔で席に座っていた。
「六年前、勇者ゼーレとその仲間二人が魔王アビスを倒した。その時、アビスが大穴の底に残した赤い樹、その樹から大地に放出される魔力によって、この星の魔物は種族問わず、全て神授大戦前から遥かに強く凶悪な存在に変貌した。私達は、常により強い騎士を必要としている……」
フィオナは凛々しい面持ちで語った。
「紹介しよう、今日からラスファートの正式な騎士と成る、サラさんとセレストさんだ」
フィオナがそう言うと、緊張して固まった所作でサラとセレストが前に出る。
「「ラストナイトの皆さん、今日から宜しくお願いします!」」
フィオナに紹介されて、黒い隊服を着たサラとセレストが緊張してぎこちないながらも元気よく挨拶をした。
「宜しくお願いします」
エリーは母性溢れる暖かい表情でそう言った。
「共にラスファートの平和を守りましょう」
緑色の眼鏡をくいっと右人差し指で上げて、優しい笑顔をサラとセレストに向けた。
「そしてこちらは、今日からラストナイトの見習いとして、主に私と共に行動して貰う、ヴァンリ君だ。ヴァンリ君は、五年前の大戦で当時齢十歳にして、既に騎士相当の実力を示したそうだ」
フィオナが視線を向けている先には、恥ずかしそうにラストナイトと同じ白基調の隊服を着ているヴァンリの姿があった。
ヴァンリは少し背が伸びているが、まだ子供さが残っている。
「僕、そんな自慢しましたっけ?」
ヴァンリは照れくさそうに緑髪を掻いた後、不思議そうにフィオナに尋ねた。
「いや、とある漆黒を纏った黒猫獣人の知り合いから聞いた話しだ」
フィオナは懐かしそうに微笑んだ。
「へ、見習いだからって優しくしねぇからな」
ライアンは不気味な笑みをヴァンリに向けている。
「アタシはフィオナみたく優しくねぇからな」
ファティーは嬉しそうな顔をヴァンリに向け、深紅の瞳で舐め回すような目で見ていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
時刻は昼過ぎ。
ラスファート南西区のとある一角にある空想教会本部。
そこにある扉から入って正面にある受付口辺りでは、ジャスティスクローの面々が雑談をしていた。
「それにしても、獣人の活躍は目を見張るものがありますね」
エイダンは椅子に腰掛け、コーヒー片手に『冒険者パーティー実績表』と書かれた紙に目を通していた。
「だな。何故か殆どの獣人は進化してるから、並大抵の冒険者パーティーは、ものの数ヶ月で実力の差に打ちひしがれて辞めたもんな」
イーサンは受付の机に片肘ついて苦笑いを浮かべている。
「その中でも、ノアさん、ミズキさん、ラビッシュさんで構成されたパーティーは凄まじい強さを持っています」
受付口の中央に座っているサキは、真剣な表情で話した。
「そのパーティー、どんな依頼でもスピーディーに無傷で達成してくるんですよね。その度にマーシとステラが張り合う為に無理するんですよね」
エイダンは呆れ顔で言った。
「まぁ、ノアさん達の存在も関係してるだろうが、マーシ達はどちらかと言うと、元勇者パーティーの二人だろうな」
イーサンは眠たそうにあくびをした。
「そう言えば、ゼーレさん達って一週間後にはラスファートに戻ってくるんですよね?」
エイダンはコーヒーを一口飲んだ後、サキに聞く。
「えぇそうです。それまでに依頼が残っていれば良いんですが」
サキが依頼書を貼ってある掲示板を見ていると、豪快に扉を開けて堂々と歩いてくる二人が依頼書を取って受付口の机に叩きつけた。
「へっ、勇者共に金を渡すかよ。どうせ魔王討伐の報酬として、大陸中からたんまり礼金貰ってんだ。後、獣人共にも渡さねぇ。俺たち兄弟が荒稼ぎしてやるよ」
マーシは自信に満ち溢れた顔でそう言い放つ。
「そうそう、獣人達ももう少しゆっくりして欲しいよな。体力バカ共と張り合うのキツイ」
ステラはダウナーな口調で気だるげに言った。
「二人とも、体調には気を付けてくださいね」
サキは二人が提示した依頼者にサインを書いて優しい笑顔を向けた。
「分かってるって」
マーシはめんどくさそうに返事をすると、ステラを連れて出ていった。
ジャスティスクローの三人は、子供を見送る親の様な優しい表情でそれを見ていたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
場所はエルーリ山脈中腹にあるエルフの里。
雪が降りしきるこの土地に、勇者とその旅仲間であり奥さんとなったエルフの立派な木造建築で二階建ての青色に塗装された一軒家が立っている。
「ゼーレ、そろそろ出発しないと予定までにラスファートに戻れない」
先に家から出ていたレイラは、水晶が先端に付いた魔法の杖で玄関を突いた。
好きな人と過ごしていたからか、レイラは外見こそあまり変化はないが、少し大人びた雰囲気に成長していた。
そして、レイラに急かされて勇者が家から顔を出す。
「ちょっと待って。イビリーズ村も寒かったけど、ここ雪山だよ。僕の母さん達が来た時だってずっと震えてたじゃん」
ゼーレは厚着に大きなリュックを背負って玄関から出てきたが、体は小刻みに震えていた。
それを見て呆れ顔を浮かべていたレイラの姿は段々と変化していく。
「私とお母さん達に気を使ったのが間違いだったわね」
儚げだが大人びていて、低く落ち着いたトーンでそう言いながら、ユニスがイタズラな笑顔を浮かべてゼーレの頬を人差し指で優しく突いた。
「いやだって、昔ユニスさんがアリーナさん達と再会した時、三人共泣いてたから。そんなん見たら近くに居させてあげたいって思う」
ゼーレは真っ直ぐな瞳でユニスを見つめてそう言った。
「はぁ、君は本当に心の芯から勇者なんだね」
ユニスは涙ぐんだ優しい笑顔でゼーレの手を引いた。
それと同じタイミングでユニスの姿はレイラの姿に戻っていく。
「そうよ、私の恋人は世界一優しいの……。ユニス、千年前に貴方達が紡いだこの世界、私と一緒に楽しもうね」
レイラは胸の前に手を置いて、穏やかな表情で晴れ渡る快晴を見上げながら白い大地を歩み始める。
「レイラ、手繋ご。本当に冷たいからさ」
駆け足でレイラに追いついたゼーレは、自然な流れでレイラと手を繋いだ。
こうして、二人は同じ歩幅で雪山を下っていく。




