186 終極に向けて
沈黙が続いていると、ディヒルアが口を開いた。
「そうじゃ、ノアと言ったか? あの少年は居なくなってしまったが、この戦いももう終わるだろう……。一番揃うべき役者は到着し、話を妨げそうな者も居なくなった。教えてやろう、其方ら獣人と人間の間にあったかつての溝について……」
ディヒルアは妖艶で不敵な笑みをライトニングとアンナに向けている。
「獣人と人間の溝? 我は勇者パーティーを結成する前も後からも幾度と人間と接してきたが、そんなもんある様には見えなかったぞ」
「逆に好意的に接してくれる人ばっかだったが、何を話すつもりだ?」
そう言っている間も、ライトニングは一切警戒を解かない。
「ライムよ。主の頭から抜けているかも知れぬが、主の両親が研究して残されていた書物の中に人間に関する本は無かったのを覚えておるか? ちなみに、妾は主の事なら何でも知っておる」
ディヒルアが自身をライムと呼んだのと丸裸にされている様な視線の不気味さに、ライトニングは仮面の下で一瞬嫌な表情を見せてこう呟く。
「神はストーカー気質が多いのか、プライベートって概念が欠如してるのか分からないな。どっちも嫌だが」
そう呟いたライトニングは、直ぐに落ち着いて赤ん坊の頃に実家で見た本を思い出してこう言う。
「まぁ、確かにそうだったな。普通に接されたからいつの間にか頭から抜け落ちてた」
「なに、そこまで複雑な歴史でも無い。じゃが、主達は知っておくべき事。聞けば分かるが、他言無用であるぞ」
ディヒルアは右人差し指を口元に近づけて真剣な眼差しでそう言った後、優しい口調で語り始めた。
「千年前、その頃の勇者パーティーは魔王アビスから獣人の血にまつわる、ある秘密を知らされた。主達も知っておろう。獣人の血には魔王の血も流れていると言う事じゃ」
それを聞いたライトニングとアンナは、二人で顔を合わせた後、ディヒルアの話しに耳を傾けた。
「その秘密を勇者パーティーは隠す事にした。しかし、誰かの仕業か、はたまた勇者パーティーの誰かが酔っ払った勢いで吐いてしまったのか、何故そうなっかは霧の中じゃが、噂程度に大陸中へと広まったのじゃ……」
「じゃが、噂と言う物には尾鰭が付き物。それに加えて噂の根幹には魔王が絡んでいる。獣人への差別が大陸を覆うのは明白であろう」
ディヒルアは悪い顔で笑いを溢す。
「確かに、その時代の人達にとって魔王は、希望の象徴である勇者パーティーが負けた絶望の象徴。そんな奴の血が混じってる種族なんて、特に許せない時代でしょうね……」
ディヒルアの話しを聞いていたアンナは、申し訳なさそうな表情で呟いた。
「もっとも、獣人族の悪い噂が広まるのは誰が最初に噂を握っていても同じ結末だったであろうがな」
ディヒルアは、暗い表情をしているアンナに向かって優しく微笑みかけた。
「その頃は、まだ獣人達も大陸中に住んでおった。それでも、何年経てど差別は酷くなる一方。そこで、獣人達はエルフの居る山脈近くの森に目を付けて移住したんじゃ……」
「じゃが、人は前を見て生きる生き物。数百年も経てば、憎しみを断とうと奮起した世代が噂さえも途絶えさせ、獣人が幻の存在となってからは、純粋潔白なただの可愛い存在へと認識は様変わりしていた」
その話しを聞いたライトニングは、ミラと出会った町での出来事を頭に浮かべて納得した様に苦笑いをしていた。
「そして、獣人側も自分達より遥かに多い人間達と争い続ける事がない様に森へ移り住んでから、平穏が続く様にと人間達を悪として言い伝えることはしなかった……」
「ハァーア」
ディヒルアの長い話しに飽きたナハトは、胡座をかいて隠れて小さなあくびを漏らしている。
「そう、これこそがライトニング、いやライムよ。主の両親が遺した数々の本の中に人間について書かれた物がない理由。主の両親は、人間と獣人の歴史を調べていく中で真実を知り、その歴史について書き記した本を全て燃やしてこの世から消し去ったのじゃ」
「そう、だったのか……」
ライトニングは、両親が残した謎に隠された黒い歴史に、下を俯いて戸惑いを見せている。
「そう、これは二つの種族が蟠りを捨て、道を別れて、その後も交わることの無い、そんな物語の筈だった。じゃが、妾の愛する者はそんな物語をも破滅させて物語を作っていくようでな」
そう言うディヒルアはライトニングを見つめて艶然と微笑んだ。
それを見たアンナは不快感を露わにして、ディヒルアを睨んでいる。
「ライトニングよ。主は森を抜けて冒険に出ただけでなく、人間である勇者に会いに行って仲間となった。其方にとっては何気ない事でも、もし獣人の大人が生きていればこの様な物語になっていなかったよね?」
ディヒルアは優しくお姉さんみある口調で言った。
「何が言いたい……」
ライトニングは真剣な表情でそう返す。
「いや。結末だけ見れば、共通の敵である魔王軍が二つの種族を引き合わせる助け舟を出した、と言う事になるなと思っただけ。気にするな」
ディヒルアは、つまらなさそうに夜空を見上げているナハトの方に目線だけ動かした。
「さて、妾の話しは終いじゃ。折角の盛り上がりが冷め切ってはつまらぬ……」
その言葉を聞いて、つい先程まで胡座をかきながら夜空をボーっと見上げていたナハトが急に立ち上がった。
「そうだぜ、ディヒルア様。今、目の前に居る男は父さんの敵だ。最っ高のフィナーレをもって死んでもらわないとオレが満足出来ない。魔王にだって家族の絆ぐらいあるんだよ」
ナハトは殺意剥き出しの鋭く銀色と黒が入り混じった様な眼光でライトニングを睨んでいる。
「家族の敵討ちをしたいのはこちらも同様。ならば、この一戦に善悪の区別は要らぬな……」
ライトニングは漆黒の魔力を身体から溢れ出させながら、禍々しい仮面の下で嗤った。
「この場の戦いも佳境じゃな。妾も少しばかり楽しませてもらおう」
「やっと戦う気になったか、絶望神」
ライトニングは仮面の下で余裕の笑みを浮かべながら堂々とした佇まいをしている。
「様付けしないのは、失礼だよね? それか、妾の方からもっと親しげな呼び方をした方が良いか?」
「それは許さない。敵なのに馴れ馴れしくしないで」
アンナはライトニングの前に出て、怒りに満ちた表情でディヒルアを睨んでいる。
「ハァ、本当に取り付く島も無いみたいじゃな」
ディヒルアはわざとらしく悲しそうに振る舞っている。
「御託は良い、もう限界突破してんだよ。勝つのはオレだ、全てを無に帰す白雷と無限を秘めた金色の雷だ」
ナハトの身体からは、純白の雷と金色の雷として現れたエネルギーの奔流が解き放たれ、周囲を満たす。
「否、勝つのは我、雷鳴の覇者ライトニング。全てを破滅へと導く黒雷……。話しが長かったお陰でほんの少しだけ魔力が回復した」
ライトニングは禍々しい仮面を少しずらして不敵な笑みを露わにして余裕がある様だが、弱々しく周りを漂う漆黒の雷が不利な状況を物語る。
魔力切れ寸前の自身と、絶対失いたく無い恋人アンナの二人だけで、超越と言う言葉すらも届かぬ程絶望的なまでの力を有し、常に万全に近い状態で戦えるナハトとディヒルアの二人を相手にする絶対的不利な状況に口元だけニヤけているライトニング。
漆黒の雷と純白の雷が睨み合い、金色の雷が夜空を照らす。




