金糸雀は鳥籠の外を望まない
ある日森の中で、死にかけの男を見つけた。
というか初めは死んでいるのかと思った。
見つけた理由は簡単。森の中でも目立つほどに男にスライムが集って居たのだ。
スライムは死体を見つけると集ってそれを捕食し、栄養を蓄えて数を増やす。
増えられては堪らないと、スライム達を追い払ったらソレが人間だったことに驚き
そしてソレがまだ生きていることに驚き
……男が、女の私でも移動させられるほど細身だったことに驚いた。まあ身長はあったので引きずる形ではあったけども。
とりあえず男を近くの木の根元に移動させて全身を見てみるも、怪我をした様子は無い。
…だが、彼に群がっていたのはスライムだ。
身体の中に入り込んでいる可能性はある。
口の中に魔物が忌避する薬品を突っ込んで、とりあえず意識が戻るのを待ってみることにする。
魔物が忌避するだけあって、口に入れた薬品はとても臭い。
悪臭が気付けの効果も担ってくれたら良いなと思いつつーーーーー口を開いた。
喉を通り口から出る歌声は……私にとってはただの歌だ。
…だが、この声には魔物を退ける効果があるらしい。
それは事実なのだろう。実際にこの八年間魔物が蔓延るこの森で歌っている最中に魔物と遭遇したことは一度もない。
最も、遭遇しても良かったけれど。
……歌うことは好きだった。
でも、人前で歌うことは好きじゃない。人前で自信を持って歌えるほど私は上手い歌うたいでは無い。
だが両親は……私のことを金になると言っている。十五歳で成年に達したら大きな街に売りに行くと常々言っている。
……だから死んでも良かったのだ。
死ねなかった場合は人前で歌わなくてはいけないから、その時まで歌唱力を磨くのも兼ねて私はいつも森で歌っていた。
そんな緩やかな自殺志願者の私が……死にかけた人間を見つけるなんてなんて皮肉だろうか。
男は一刻ほど歌って居ると噎せながら目覚め吐瀉した。口の中の忌避剤を吐き出したのだろう。
その嘔吐物にスライムが居ないことを良かったねと思いながら……私を睨みつける男から視線を逸らし歌を再開する。
男は私を睨みつけていたが、しばらくすると森の奥に消えていった。
元気そうでなによりである。
そしてこの日から森で歌っていると……人間の気配を感じるようになった。
魔物や生き物の気配は無いので人の気配はわかりやすいのだ。
とはいえ木に隠れるようにしているので姿を見せることも、話をすることも無い。
彼は私が歌っているとどこからともなく現れ、私が満足して帰るまで隠れ潜んでいた。
人前で歌うことは嫌いだったが、彼は姿を見せない分とても楽に歌うことが出来た。
どうしても、人前で歌うことが避けられないのならば
いつもこんな状態で……私が相手を認識出来ない状態で歌えたら良いのにな。
そんな有り得ない状況を妄想しながら今日も歌を歌った。
奇特なことに、夏になっても、秋になっても、冬になっても男の気配を感じられた。
私が森で歌う場所は特に固定の場所があるというわけでも無いのに、だ。
どうやら森の中に住んでいるようだ。
だが、村では見かけたことがない。
どうやって?生きているのか不思議に思うも……それほど興味が無いので、歌を歌う。
彼に初めて声をかけたのは……冬の盛りのことだった。
外套を羽織り防寒対策を取ってはいたが冬一番の冷え込みのせいでくしゅん!とくしゃみが出た。
温石を入れた布袋をぎゅっと抱えて暖を取り、流石に冬は寒いなと当たり前の事を考えていると……あの時の男がスっと目の前に現れた。
居るのは気配で知っていたけれど、姿を現したのは初めてだった。
彼は纏っていた外套を脱ぐと私にバサッとかけ、そして軽く腕を振った。
すると私の目の前にボっと火が点った。
魔法だ。
噂だけで聞く、見たことがない魔法という物に驚いていると彼がそこら辺に落ちている枝を拾って火にくべた。
するとあっという間に木が燃え、焚き火となる。
……暖かいな。
彼も焚き火を囲むように私の向かい側に座ったが私とは目を合わせない。
「………ありがとう」
「さっさと歌え」
それが私たちのはじめての会話だった。
外套を貸してくれたのはその日だけだったけれど、冬の間は彼はいつも私のそばで焚き火を起こしてその近くに座るようになった。
けれど目は合わせず、会話をすることもない。
私はただ歌い
彼はただ聞く
森の中で、歌い聞くだけの関係。
それがどうしようもなく居心地が良かった。
私を商品としてしか見ない両親といるよりも、比べ物にならないくらい居心地が良かった。
だが、そんな日々もずっと続けられる訳では無い。
彼と一年以上森ですごし……私はついに十五歳になる日がやってきたのだ。
なんて言えばいいのか
何か言うべきなのか悩み、結局前日まで彼には何も言えなかった。
でも何も言わずに消えて……私が居ない森で彼が待ちぼうけをするのは嫌だと思った。
「明日から、もう来ないわ」
「………何故だ」
私の誕生日は夏だった。
冬じゃないから、彼は姿を隠している。それが、ありがたかった。
姿を隠しているなら……泣き顔を見られずにすむ。
「明日、街に売られるから」
「……何故だ」
「私の歌声には魔物を遠ざける効果があるんですって」
「………」
「さようなら、貴方に聞いてもらう日々は悪くなかったわ………ありがとう」
声が震える前に、言いたいことを言っていつも通り家に帰る。
家では父が既に街へ行く身支度を私の分まで整えていた。
村から街までは、荷馬車で半日ほどかかる。
「遅かったな。明日は早いから食事を取って寝なさい」
「……わかった」
売り物になることが決定してから、誕生日を祝われたことなんてないけれど。
それでもわかる。
明日はきっと人生最悪の誕生日になるだろう…。
「なんだ、あんたは!!」
成人を迎えた誕生日その日、私は母の怒鳴り声で目が覚めた。
最悪な一日のスタートだ。
私物が全て箱に詰められ、がらんとした部屋で一番いいよそ行きの服に着替え部屋を出る。
するとそこには食卓テーブルの上に金貨を山盛りにばら蒔いている森の男がいた。
……は?
「まだ足りないのか」
「え、い、いや…」
そして私が来たにも関わらず、視線をこちらに向けずに食卓の上でさらに金貨が入った袋を逆さにしてジャラジャラと出していく。
そんな金貨の山を目を輝かせて見つめる両親。
……お母さん!お父さん!
売り物として扱われていることはわかっていたけれど
こうして、生々しい様子を見せられると何も疑わず両親が大好きだった私の心が悲鳴をあげた。
「四百枚だ」
「わざわざお買い上げに来て下さりありがとうございます!さあ、さあ、どうぞ!ほら、お前の新しい旦那様だよ!」
「………」
腕を取って引っ張られて、男の方に寄せられる。
両親はもう金貨しか見ていなく……顔をしかめると男が玄関の扉を開いて私を見て居た。
彼と目が合ったのは、初めてかもしれない。
彼の目は、澄んだ青空よりも濃い青色だった。
「行くぞ」
買われたのだから、私の居場所はもう彼のところだけだった。
黙ってついていった先はいつもの森で
いつもの森で
いつもの人と
いつもと違う関係になってしまったのが、とても悲しかった。
「貴方だけには買われたくなかった」
「……そうか」
せめてもの悪あがきでそうつぶやくも、先を歩く彼は一言返すだけだった。
連れてこられたのは森に入ってすぐの所にあった小さな家だった。
と言っても私の家と同じくらいの大きさのそこは村から見えてもおかしくない場所にあった。
なのに、私は十五年間あの村で生きているがこんな森の家を見たことがない。
「一人で外に出るな、この周囲は空間がねじれているからどこに飛ぶか分からないぞ」
不思議だなーと思ったら魔法だったらしい。
森の奥地にでも飛ばされたら私とて生きて戻れる気がしないので、許可なく外に出ないでおこう。
「この柵の少し外までは平気だが、柵の外にはなるべく出ないように。飛ばされるだけでなく魔物が襲ってくる可能性もあるからな」
そう言われた柵は、家と庭と畑をぐるっと囲うものだった。
畑には数種類の野菜が植えており……目の前のこの人と、畑仕事が結びつかずに少し笑えてしまう。
「昨日の今日で、流石にお前を買う金しか準備できていない。悪いがお前の生活基盤はこれから整えることになる」
男性はこちらを振り向きながら……小さな家の扉を開いて私を中に招くように小さく頷いた。
「ようこそ、魔法使いの家へ」
家の中は外から見えた家と全然違った。主にサイズが。
扉の向こうには靴を脱いだり外套を脱ぐスペースがあった。そこだけで、外から見た家のサイズほどの広さがあった。
「基本的に実験部屋以外は好きにしていい。掃除洗濯や食事は家付き妖精が勝手にやるから食えない物はメモを残しておけ」
「私は何をすれば良いの?」
家の中は綺麗で、掃除をする場も見当たらない。
食事も洗濯も要らないとなれば…なんのために買われたのだろうか。
「外に出なければ好きにしろ。気が向いたら歌えばいい」
そういうと彼はさっさと家の奥に行ってしまった。
「……なんのために私を買ったの…?」
そういえば長く一緒に居たけれど未だに名前も知らない。
共に居て居心地がいいことしか知らない関係だが……今後は主人と奴隷のような関係になるのか。そう思うと、本当に気持ちが落ち込む。
でもまあ、放置ではあるものの……待遇は悪くなさそうだ。
自分に出来る事を探して、出来ることは頑張ろう。
とりあえず、まずはーーーーこの家の把握だ。
魔法使いの家はとても不思議だった。
部屋の中に青空が広がる畑があったり
森よりさらに植物の気配が濃い森の部屋があったり
かと思えば、何も無い土床のへやもあった。
実験部屋と思わしき色んなものが溢れる部屋には主人が居たが、忙しそうなので様子を見ただけでそっと扉を閉めた。
色んなお肉や植物や動物の皮や綺麗な石がある部屋は素材部屋だろうか?だんだん見ていて楽しくなってきたがーーーー
牢屋の部屋を見て、肝が冷えた。
しかも使った痕跡があり…血痕の痕……は見ないことにして部屋を出る。
そしていい匂いがして扉の無い部屋を覗き込むとそこはダイニングキッチンだった。
食卓の上には今配膳した!とばかりに湯気を放つ美味しそうなスープと、野菜と肉の炒め物、さらにやわらかそうなパンが置いてあった。
それを見た途端お腹がギュルルルと鳴る。そういえば、朝食も取らずに追い出されたのだった。
「……美味しそう…」
この食事は……主人のものだろうか。
許可なく手をつけるわけにはいかず、名残惜しく思いながらも未練を断ち切るように部屋を出ようとすると……後ろでカチャッと物音がした。
振り向くと、フォークが一本床に落ちていた。
「……なんで落ちたの?」
首を傾げつつも、落ちたフォークを拾って流し場の方に持っていき再度部屋を出ようとすると…再びカチャッと言う音がした。
今度は床にカップが落ちていた。
……いやいや、これはおかしい。テーブルの上からカップが落ちたのなら割れているはずだ。
不思議に思いながらも再びそれを拾い上げるとテーブルの上に一枚のメモが置かれていることに気がついた。
『EAT ME(私を食べて)』
…ここまで気を引かれて、この文章。
どうやら何かが私にこの食事を食べさせようとしているようだ。
「……いただきます」
正直怪しいと思いつつも……鳴り響くお腹のこともあり堪えきれずに椅子に座って食事に手をつけた。
パンは柔らかく、バターの香りが芳醇で美味しく
野菜炒めもシャキシャキした食感が美味しくて味付けも丁度いい。
それらの次に食べたスープも期待通りとにかく美味しかった。
「……美味しい」
思わずそう呟けば、カチャッとどこからか音が聞こえた。
振り向いてみるもそこには何も無い。もちろん、床にも何も落ちてない。
「…ありがとう?」
カチャッ
どうやら見えないけれど料理を作ってくれた何かが反応をしているらしい。
なるほど、これが主人の言っていた妖精か。
美味しい料理を作ってもらえて嬉しいなと思っていたのだけれど……この家付き妖精という存在、想像以上に凄かった。
食事の時間帯にはいつでも美味しい食事が出て
お風呂の時間帯には暖かな湯が張られた湯船と綺麗なタオルと服が準備され
家はいつもピカピカでホコリひとつない。
とても優秀な存在だったが、自分の領分を侵されることは嫌いらしく食事のお礼に洗い物をしようとするとガチャっ!といつもよりも大きな音を立てられた。
同じく、洗濯をしようとした時も多分、怒るように大きな音がたてられた。
主人の元に連れてこられて三日目になるがしみじみ思う。
ここは、人をダメにする家だ。
庭のベンチに座って……すうっと息を吸って歌を紡ぐ。
三日目ともなると私の寝台やタンスや服など日々色々なものが用意されたが……主人は相変わらず実験部屋から出てこない。家付き妖精も家事は完璧だが姿を表さない。
私に出来ることは歌うことだけだった。
一曲目はしばらく歌ってなかったのでまずは喉鳴らしを。
二曲目からは……鬱憤を晴らすように強いリズムの歌を。
そして三曲目に入った時……玄関の向こうから気配を感じた。
ひとつは感じ慣れた…主人のもの。そして窓の向こう、家の中から感じるものは……家付き妖精のものだろうか。
ふたりが私の曲を聞きに来ている。少なくとも私の歌は望まれているようだ。
そう思うと、なにかしたいのに何も出来ない焦燥感がすうっと消えていき……楽しい気持ちで、楽しい歌を歌う。
その日はちょっとはしゃいで、数時間ぶっ通しで歌って少し喉が枯れてしまった。
「……こほっ」
すると今まで姿を見せなかった主人が歌い終わった後に一本の瓶を持ってきて私に無言で渡した。飲め、ということなのだろう。
「明日からは枯れるほどは歌うな」
「…わかりました」
瓶の中身はポーションだったので喉は一瞬で癒えたけれど
その日の晩御飯には、はちみつ酒がついていた。
「ありがとう、もう大丈夫よ」
どうやら妖精にも心配をかけてしまったようだ。
私に出来ることは歌うことだけのようなので、その日から毎日数時間歌うことにした。
元々、歌を歌うことは嫌いじゃない。
それに加え…願い通り歌を歌っている所をジロジロ見られるわけじゃない。
……ただ、歌い出すと毎日二人の気配を感じる。
それがどうしようもなく嬉しくって張り切って歌う。
歌を歌って
暇つぶしに庭に生えていたツタでカゴを編んでいるといつの間にか刺繍道具や布などが用意されていた。
用意されているということは好きに使っていいということだと短い期間で理解した。
言葉が少ない家人達の意志を理解できるようになった私は迷わず暇つぶしに飛びついた。
簡単なシャツを縫って
それに刺繍を施して
簡単なカバンを作って
……それに刺繍を施して。
こんな贅沢な刺繍、売り物にだって刺さない。
それくらい細かく念入りに刺繍を刺した作品が四つめになった時……主人が珍しく庭にでてきたと思ったらじっと畑を見ていた。
彼が畑に興味を示すのを初めて見たが……やっぱり、似合わない。
手元を止めて主人の様子を伺うと、彼はこちらも見ずに「歌え」と言った。
「お前の歌で薬草の効果が変わっている。興味深い、サンプルがもっと欲しいから歌え」
……なるほど。
よく分からないが、歌を所望ならば歌おう。
縫いかけの刺繍を隣に置いて…スっと息を吸う。
思えば、彼の姿が見える状況で歌うのは…いつぶりだったろうか。
聞かれていることは知っているけれど姿が見えるとまたちょっと違う意味で緊張をする。
ーーーけれど。
主人は薬草に触れながら静かに耳を済ませて聞いていてくれた。
一曲、また一曲歌う度に緊張が消し飛んでいく。
……やはり彼と過ごす時間は心地いいな、と感じた。
この後魔物避けの歌声を欲しがる人に狙われて不器用ながらも主人が頑張って守ってくれそう( 'ㅅ')