日本人の俺が皇子に転生して人生勝ち組と思ってたけど婚約者が可愛すぎて手も繋げない
俺が前世の記憶を持ったまま生まれ変わったのだと気付いたのは、生後1ヶ月のことだった。
最初は何がどうなっているのかよく分からなくて、というかよく見えなくてしばらく頭がふわふわしたような感覚だったが、段々と視界もはっきりとして他人の声も聞き取れるようになってきてやっと、自分が赤子なのだと気付いた。
どうやら俺は随分と地位の高い人間から生まれたようで、見える天井、付き添う人々の服装、それら全て豪華としか言えないものばかりだった。
どうも日本ではないのか周りから聞こえるのは何処か英語の発音に近く、俺の世話をする女性達の顔も全員アジア系ではない。
こんな前世の記憶を持ったまま新しい人間になるなんてこんな映画みたいなことあるんだなと俺は周りの人々に無邪気に笑いかけ愛嬌を振りまいた。その方がいいと思ったので。結果的には良かった。
それからしばらく、1人で立ち上がれるようになった頃。
自分がフェスディーカ帝国という国の皇子だということを知った。しかも初めての子供。継承権第一位という次期皇帝が実質決まっているような立場。
名をアルスメリア・ル・フェスディーカ。かっこいいね。
道理で皆一様に俺を褒め称える訳だ。
男児が生まれたことで国はお祭り騒ぎで、俺宛の貢ぎ物は毎日馬鹿みたいに届いている。
まさか地球ではない星に生まれ変わったことは驚きだがこれはこれでまあ、ありだろう。
いやしかし、前世ただの日本人だった俺が皇子として生まれるなんて気付かない内に何か徳でも積んでいたのだろうか。
こんな最高の勝ち組。親ガチャ大成功するなんて俺の人生薔薇色間違いなし。
金があり地位があり命の心配もない。最高の人生のスタートだ。
と思っていた時期が俺にもありました。
「殿下、次は歴史の授業です」
「……はあ…」
たった5歳という年齢。日本なら幼稚園児という年齢で俺は勉強漬けの日々を送っている。
こういう立場に生まれたのならそれ相応の教養が必要なのは分かるが、やっと読み書きが出来るようになった俺に容赦なく大人が読むようなぶっとい本を渡してさあ全部読めなどちょっとあんまりではないか。
5歳だぞ。5歳。
前世の知識があろうとも日本ではない国、そもそも地球ではないところではこの知識もそこまで役に立たない。それに言語も違うから言葉を覚え直すのはなかなかに大変だった。
しかも大人達は勉強だけではなく様々な作法マナー、頭の先から足の先まで皇子という姿を叩き込もうとしている。
確かに必要なことだが今からやらなくてはいけないのか、と泣き言ぐらい言いたくもなるだろう。
「アル、大丈夫?」
「うん…」
俺ともう1人、ガイラス公爵家の嫡子であるセドリック・ガイラスしかいない部屋の中で、俺は情けなくソファに体を沈めた。
この男は代々皇室の近衛騎士の団長を務める家に生まれ俺と同じで生まれた瞬間から将来を決定付けられた同士である。
同い年ということもあり幼い頃からこうして何気ない会話を楽しんだり子供らしく遊んだりと、セドリックは親友のような存在だった。
気軽に身分も考えることもなく話せる相手は思っていた以上に有り難く、加えて同じ立場の人間がいるというのはそれだけで安心出来る。
そんな訳で俺は今日もセドリックの前でだらだらと愚痴を溢しながら過ごしていた。
「だいたい、こんなに早く帝王学?みたいなのやらなくたっていいじゃん…まだ子供なのに…」
「しょうがないよ。まー、僕もやりたくないけどさ」
セドリックも幼い頃から勉強を強要されているらしく、将来皇帝となる俺を支える為、とのことだ。
お互い大変だよなあと思うがセドリックは俺の頭より遥かに出来が良いので、俺は少々遅れを取っていたりする。
セドリックに置いていかれたら本当に心が折れるのでこの辺りで、お願いだからこの辺りで足並み揃えてほしい。
顔も良くて頭も良いとか、こいつはドラマかもしくは少女漫画の主人公か?と思ってしまう。
「そういえばアル、婚約者が決まったんだって?」
「そうなんだよー…。いきなり言われてもさ、どうすりゃいいのか分かんないし」
そして俺の頭を悩ます問題がもう一つ。
婚約者が決まったのである。俺の。まだ5歳なのに。
5歳の子供を前に世継ぎの話とかしないでほしい。
将来のお嫁さんだぞ、と紹介されてもどうすればいいのかという話だ。5歳なんだぞ。
セドリックはしょうがないよともう一度言って俺を慰めてくれた。多分、その内セドリックにも婚約者が決まるんだろうな。世辞辛い。
まあ、そんなこんなで俺が婚約者と初めて会ったのは6歳を過ぎた頃だった。
一応、6歳まで待ってくれたらしいが6歳も幼稚園児の年齢なのであまり変わらない気もするが、結構な正装をさせられて皇宮で顔を合わせた婚約者は、何かもう、そりゃあもうびっくりするほど、可愛かった。
「クリスティア・マドリノと申します」
紫色の薔薇の髪飾りを身に付け、小さくも凛とした姿。丸い目に頑張って伸ばしたのであろう髪、カーテシーはきっちりとしていて美しく、けれどどこか緊張した面持ちで俺の前に立つ女の子。
俺は挨拶も忘れて幼い彼女の姿から目を離せなくなった。
心臓が痛いし物凄く煩い。顔も火が出そうな程熱くて、どうにかなってしまいそうだ。
齢、6歳。完全な一目惚れであった。
クリスティアは同じ6歳でありながら非常に聡明で俺なんかより頭が良い。俺の知らないこともよく知っていたし政治の勉強もしっかりしている。こんなに可愛いのに。
周りの人々は「殿下よりも賢い」「それに比べて殿下は…」なんて好き好きに言っていて、揶揄をしていたのだろうが俺はそれを聞いてこのままではクリスティアが他の男に取られちゃう!と何故か変な方向に躍起になってしまった。
ここから俺は心を情けない理由で入れ替え勉強も剣術も死ぬ程頑張った。そりゃあもう、本当に頑張った。セドリックも驚くほど。
全てはクリスティアに相応しい男になる為。
そうして必死に頑張った結果、周りの評価も随分と変わり多少は見直されたと思う。
だが、その反面。そちら方面に力を入れ過ぎたからか、肝心のクリスティアとの関係は順調とは決して言えなかった。
というのもどう接していいのか、何を話せばいいのか、女性は一体何で喜ぶのか、まあ綺麗さっぱり分からない。
クリスティアと会う機会はそれなりにあるがどうしたらいいのか悲しいかな分からないのだ。だって本に書いてないから!
どうしたらいいのか分からないから上手く話せもしないし手すら繋げない。
「アル…ヘタレだったんだね…」
とセドリックに溜め息混じりに言われたときは少し寝込んだ。
それから数年、俺達は16歳となりフェイデント学園へと入学することになった。
この学園には帝国内の16歳から18歳までの子供が通うもので所謂高校みたいなものだ。ここは義務教育なんてものはないから小学生中学生を飛び越えいきなり高校生活が始まる。
皇子である俺も公子、公女であるセドリックとクリスティアも同じく入学となり、俺は青春の高校生活を送れるのではないかと淡い期待を抱いていた。
16歳となりすっかり綺麗な大人の女性のようになってしまったクリスティアと、せめて手ぐらい繋ぎたい。
これぐらいのこと考えたって許されるだろう。思春期真っ只中だぞ。
そんなことを考えていた最中だった。学園の正門前で一人の女子生徒とぶつかったのは。
「っと…悪い」
「ご、こめんなさい!見てなくて…」
ゲームにしか出てこないようなピンク色の髪をしたその女子生徒は俺の顔を見るなり、目を見開いて、そして慌てながら「大丈夫なので!」と叫びながら走って行った。
俺は逃げられる程きつい顔をしていただろうか。ちょっとショックを受けながらそこに突っ立ってしまった。
「どうかなさいましたか?アルスメリア様」
「さっき……、いやなんでもない」
俺の顔きつい?と聞こうと思ったがもしクリスティアから否定されなかったらもう立ち直れない。ショックどころの話ではなく。
「あの子、魔術試験で1位になった子だよね。平民の」
「ふーん、…お前が他人に興味示すの珍しいな」
「僕が冷たい人間みたいな言い方やめてよ」
隣にいたセドリックは彼女を知っていたようで、というか割と有名人らしい。後から聞いたらクリスティアも知っていた。
俺はこの学園生活でクリスティアと少しでも進展しようという邪な感情しかなかったので、つまり俺だけ全く知らなかった訳だ。
まあ、そんなこんなで俺達の学園生活は始まったのだが、思いの外、いやかなり、学園は楽しい。
身分の差はあれどある程度砕けて話してくれる学友達。カフェテリアで話すクリスティアとの何気ない会話。
日本での高校はこんなに楽しかったかな、と思う程に今の生活は楽しい。
その中でセドリックが言っていた平民の女子生徒、ハルという随分と日本人みたいな名前の彼女は度々、俺達の前に現れた。
少し話しをしてさっと離れていくことが多いが彼女はどうやらセドリックのことが好きなのでは、と最近思うようになった。
俺や学友のジェイクやオリバー達よりもセドリックといる時の方が声も高いし頬もほんのりと染めて完全に恋する乙女。
そしてセドリックも最初は警戒していたものの最近は態度が軟化してきている。あいつ他人に結構冷めているのに。
それなのに彼女は俺達に何かしら気を引くような発言をするものだから、俺としては意図が分からない。
しかも、しかもだ。よりによってクリスティアと一緒にいる時に限ってやって来る。何故なのだ。せっかく2人きりだというのに。
クリスティアは優しいのでハルが来るとちゃんと対応をするのでどうしても3人で会話をしなくてはいけなくなるのが、本当に困る。お願いだから邪魔しないで。いやお願いします。
一体何なのだ。
と思った俺は直接問いただすことにした。実力行使だ。もう我慢ならん。
裏庭にハルを呼び出し、決死の思いで語尾強めに問い詰めた。
「で?お前セドリックといる方が楽しそうなくせに何で俺のとこに来るんだ」
「えっ、いえ~…その、おほほ……こんなイベントあったぁ~?」
「笑って誤魔化すな、そのせいでクリスティアとはいられないしセドリックには睨まれたんだぞ」
「え!その話詳しく!」
「えっ急に食い付いてくるじゃん…」
ハルはセドリックの話をした途端、食い気味に急かしてくる。
何か、ちょっとさっきまでと違うな?
気迫に押され一歩後退ってしまった。
「セドリック様が!?ほんとに!?」
「ちょ、一回落ち着け」
興奮気味なハルを見ると、やはり彼女はセドリックが好きなのだろう。
ならば何故俺達に構うのだ。大人しくセドリックと関係を深めていってほしい。
俺は俺で頑張るので。
「お前セドリックのこと好きなのか?なら何でこっちに来る必要なんてないだろ。何か企んでるのか?」
「あー…、いや…そういう訳では…」
「あいつは大事な親友だ。利用しようっていうなら容赦しないが」
「ちが、違うんです、これはその…」
非常に歯切れの悪いハルは焦ったような困惑したような表情で、ぎゅっと手を握った。
そして。
「イ…イベントの為なんですぅ!」
「イベント?」
「セドリック様の嫉妬イベントの為にはアルスメリアルート進めないといけないからぁ!」
「アルスメリアルート!?」
爆発したように発された衝撃的な言葉に俺の思考は完全に止まった。
嫉妬イベント。アルスメリアルート。確かにハルはそう言った。
まさかだが、まさかこれは、瞬間的に冴えた俺は一つの答えを導き出す。
「あっ!違うんです!忘れてください!何でもないんです!」
「待て!なんか乙女ゲームみたいな発言が聞こえたぞ!」
「何で知ってるの!?」
そのまましばらく、俺達は口をあんぐり開けたまま固まった。
「…つまり、この世界は乙女ゲームの中で、俺は攻略キャラクターだと」
「は、はい…」
一旦座ろうか、となった俺達は芝生の上で並んで腰掛け整理を始めた。
ハルが言うにはこの世界は「きゅんきゅん★イケメン学園物語」という乙女ゲームの中らしい。
俺を始めセドリック、ジェイクやオリバーも攻略キャラクターとのことだ。勿論クリスティアも登場するようで、ヒロインのライバル役なんだそう。
「略してきゅんイケってゲームなんですけど」
「ダサくない?」
「乙女ゲームなんてそんなもんですよぉ」
ハルはこのゲームを元々プレイしていて主人公であるヒロインとして転生してしまった日本人であり、ゲーム通りに進行する為に俺達の周りをうろついていた、という訳だ。
成る程、これなら理解出来る。
「でもまさか殿下も転生者なんてびっくりです。全然性格違うし変だなとは思ってたんですけど…」
「そんなにゲームと違うのか?」
「ええ、ゲームのアルスメリアはめっちゃくちゃ俺様なんですよ!唯我独尊!って感じの!私あんま好きじゃなかったんですけど」
「おい」
思わず突っ込むとハルはえへへと笑った。
俺のことではないとはいえ、いや俺のことなのだろうか。分からなくなる。
「で、俺のルート?を進めないといけなかったのか?」
「そうなんですぅ~…、セドリック様と同時進行すると嫉妬イベントが発生して、それがほんといいんですよ!どうしても直接体験したい!生でセドリック様に言われたい!」
とりあえずハルはセドリックとのイベントの為にあんまり好きではないという俺のルートを進行させていたようだった。
「お前セドリックのこと本当に好きなんだな」
「愛してます!私一番セドリック様が好きで同担拒否強火過激夢女なので!」
「ごめん何て?」
一先ず、ハルは俺とクリスティアの邪魔をする気はないらしいので、というより俺に興味がないらしいので俺達は協定を結ぶことになった。
俺はハルとセドリックとの仲を取り持つ為シナリオ進行を手伝い、ハルは俺とクリスティアを応援する。
お互い悪い話ではない。
「…つまりこのデートが必要なのか」
「デートなんてやめてください!ゲームではアルスメリアが城下町に行ったことがないっていう設定でお忍びで一緒に出掛けるイベントなんですよ」
という訳で、学園が休みの祝日。俺とハルは城下町へと来ていた。
ハルの説明通り俺は城下町に来たことはない。だいたい皇子がお忍びで城から出るなんて普通に無理な話だ。
「つーか…、大変だったんだぞ…。隠れて皇居から出てくるの」
「へえ~、まあこれもセドリック様との嫉妬イベントの為なんで!」
ものすごく興味のなさそうなハルの視線は既に辺りの店へ移っていた。
お忍び、とはいえ護衛が誰もいない訳ではない。当たり前だが俺に何かあったら大事になるのだから。
俺は近衛騎士数人だけに行先を伝え少し離れてもらうように頼んでいる。
これでバレてもセーフだろう。
それに。
「お前に付き合うんだから、その、こっちにも手伝ってもらうからな」
「分かってますって!クリスティア嬢へのプレゼントですよね!」
そう、俺は女性のハルにアドバイスを貰いクリスティアへプレゼントを買いに来たのだ。
それは騎士にも言ってあるので、だからバレてもセーフになる可能性が高い。
俺がクリスティアに熱を上げていることは騎士は皆知っているので許してくれるだろう。
「で?どんな物買うか決めてるんですか?」
「い、いや…」
「えー!決めてないんですかぁ!」
「うっ、いや、そのアクセサリー、とか…」
「アクセサリーって?指輪ですか?ネックレスですか?ブレスレットですか?」
「詰めないで」
実のところ、俺からクリスティアへ贈り物をしたことがない。
誕生日とかお祝い事には皇居の誰かが勝手に決めて贈っているらしく俺はちゃんと俺から手渡しでプレゼントを渡したことがなかった。
だからという訳ではないが、クリスティアが何に喜んでくれるのかが分からないのだ。
ハルに盛大に溜め息をつかれて俺は泣きそうになった。
「はあ~、なっさけな!じゃあ髪飾りとかどうですか?クリスティア嬢は髪長いし色んなヘアアレンジしてるから」
「!、そ、そうだな」
そう言ってハルが連れて来てくれたのは洒落た装飾店でどうやらゲームでも出てくる店らしい。
店内には今流行っているというアクセサリーが美しく陳列されていた。
全く分からんけど。
「ヘアクリップとかコームとかいいんじゃないですか?豪華過ぎないしちょっとしたプレゼントにはもってこいですよ」
「…こんな種類あるのか」
髪飾り、といっても沢山の種類があって本当にハルがいてくれて良かった。違いが分からない。
「色ぐらい自分で選んでくださいね」
「い、色か…。この紫とかどうだ?クリスティアが最初につけてた髪飾りに似てる」
「おっ、いいですね!ちゃんと見てるじゃないですか!」
一番最初にクリスティアと会った時に身に付けていた髪飾りと似た薔薇がポイントになっているヘアコームを手に取った。
派手過ぎないし学園でも目立ち過ぎなくて良いんじゃないかと、女心が分からない俺でも分かる。
「でもあんな子供の頃の思い出引っ張り出してきてプレゼントするの気持ち悪くない?大丈夫?」
「何でそんなに弱気なんですか!?」
だってクリスティアに気持ち悪いなんて言われたら絶対に立ち直れない。
それでもハルは大丈夫だと断言するのでそのヘアコームを購入し可愛らしく包んでもらう。
本当に大丈夫なのだろうか。
渡された包みを大切に、胸のポケットにしまい込む。それだけで緊張してしまうのだから情けない。
喜んでくれるだろうか。笑ってくれるだろうか。あの幼い頃に見た、あの笑顔で。
そうして次の日。
朝から緊張でまともに飯も食べられなかった俺はがちがちに固まった体を引き摺って登校した。
渡すだけなのにこんな状態で大丈夫かと思っていたら何故かクリスティアの顔色が良くない。良くないというか目を全く合わせてくれない。
俺何かしちゃいました?物凄く悪い方面に。
「…ク…、クリスティア?どうした?」
これはまずいと声を掛け、クリスティアを空いていた教室へ誘導した。
俺が何かしてしまったのなら早急に謝らなくては。
「アルスメリア様、……昨日、ハル様と出掛けられたと…お聞きしましたが」
「えっ」
クリスティアは依然目を合わせてくれないが足元を見つめたまま、少しだけスカートを掴む指に力が入っている。緊張しているようだ。
そして絞り出すように届いた言葉。
あれ、何で知ってるんだろ。いやそれよりもまさか。
そういえばセドリックにも朝ちょっと無視されたけど、まさか。
「…お二人は…、その…」
「ちっ違う!」
誤解されている!
そう気付いた俺は思いの外大きな声で否定した。
「確かにあいつとは出掛けたがそれはそのこれを買うためにアドバイスをもらってそれだけだから全然関係なくてだな」
ノンブレスで一気に伝えると胸のポケットから慌てながら包みを取り出そうとしたが何か引っ掛かってしまって、無理矢理引っ張ったからかせっかく綺麗に包装してくれたのに無惨なことになった。
このまま渡すのは流石に俺としても、ない。
何故か震える手で中身のヘアコームを取り出してクリスティアへ差し出した。
「こ、これを君にプレゼントしようと思って」
気持ち悪いぐらい掌に汗をかいていて声も少し上擦ってしまう程、今の俺は緊張していた。
ここでヘマをすると誤解されたまま最悪嫌われてしまう。
それだけは。それだけは本当に無理。
「わ、私に…?」
クリスティアは先ほどまでの表情とは違い少しだけ目を見開いて、俺の顔を見た。
その顔は戸惑いが含まれていて、まあそうですよね。プレゼントなんかしたこともなかったのにいきなり。
「さ、最初に会った時に付けてたそのえーとあの髪飾りに似ていてクリスティアに似合うと思って買ったんだけど」
「…覚えていてくださったのですか…?」
「もちろん!」
妙に焦ってしまって早口になったが、クリスティアはヘアコームを大切そうに受け取って、それを胸に抱いた。
「うれしい…、嬉しいです」
「!!」
あの時と同じように、けれど少し違う、笑顔でクリスティアは笑う。
それだけで俺の心臓は跳ねて世界の人々全てが祝福してくれているかのような気分で、意気揚々なガッツポーズで喜んだ。勿論心の中でだが。
この世界ではガッツポーズのことを勝利を喜ぶ戦士のポーズという。
この後、クリスティアが言うには、俺とハルがしかもお忍びで出掛けたことをデートだと勘違いしヤキモチを焼いたらしい。
ヤキモチ。やきもち。まさかクリスティアがやきもちを!
どうやってお忍びで出掛けたことを知っていたのか分からないがなんて可愛いんだろう。クリスティアにしか目がないというのにやきもちだなんて、可愛いが過ぎる。
そんな思いしなくたって俺はクリスティアのことがあの頃から好きです。
なんて実際には言えてはいないんだが。
恥ずかしいとかではなくもし嫌がられたら、という恐怖心が俺の中で渦巻いている。しょうがないんです。女性経験のない童貞なんです。
前世からモテない歴を引き摺っている俺には告白というものが恐ろしい程に難しい。
ちなみにこの話を聞いたセドリックとハルから「ヘタレ!」と強めに怒られ、長々と説教される羽目になってしまったのである。
まあクリスティアがあのヘアコームをいつも身に付けてくれるようになったから良しとしよう。
余談だが、セドリックの嫉妬イベントというものはしっかりと達成されたようで「最高でした」とハルから事後報告があった。「そっか~」としか返せなかったが。
そして季節は巡り、女神の祝祭日と学園の創立記念日が近付いてきた。
この日には盛大に舞踏会が行われ、男女ペアで参加するのが決まりだ。
その昔、数十年前にこの舞踏会にペアで参加したとある2人が結婚し幸せに暮らした、という言い伝えのような話があり皆この季節になると浮き足立つのだと教師から聞いた。
まあ、とある2人というのは俺の祖父と祖母のことなのだが、確かにあの2人は仲が良い。あやかりたいのだろう。俺もあやかりたい。
つまり、俺はクリスティアと参加したいのだ。
基本男から女へ誘うもので、誘いたい女性へ1輪の花を渡し受け取ってくれたら成功となる。花は何でもいいようだが祖父が青い薔薇を使用したことからそれ以降は青い薔薇が使われるのだそうだ。
また、期間はおおよそ舞踏会の1ヶ月前から前日まで。その間は学園内は皆落ち着かなくなり喜びの声や嘆きの声が響き渡る。
ハルは早々にセドリックから誘いを受けたようで余裕綽々でカフェテリアで珈琲を飲んでいた。しかも「殿下まだですかぁ?」などど笑いながら煽ってくるので地味に腹が立つ。
しかし、まだなのは合っていて、俺は舞踏会まで後数日になってもクリスティアを誘えていない。これにはセドリックも本当に呆れ顔だった。
「アルの婚約者のクリスティアを誘うような馬鹿はいないけどね、いい加減にしなよ。まだ誘ってないなんてどうかしてるんじゃない?」
「わ、分かってる、分かってるんだ」
俺だって誘いたいのは山々なんだ。今までに何度もチャンスはあった。あったが、何で誘えてないんだろうな?自分でも分からなくなってきた。
「何が分かってるんですかぁ?ティアだってずっと待ってますよ?」
少し、いやかなりクリスティアと仲良くなったハルはいつの間にか「ティア」と愛称で呼ぶようになっていた。
ずるい。俺だってまだなのに。
「そんなんじゃ愛想尽かして他の男のとこ行っちゃうと思いますよぉ」
「えっ!!」
「そうだよ。そろそろ腹括りなよ」
「……クリスティアが他の奴となんて堪えられない!俺ずっと好きだったのに!」
「だから早く行けって」
クリスティアの隣に立つのが自分以外なんて、そんなの絶対に嫌だ。死ぬより辛い。
俺は椅子を吹っ飛ばしながら立ち上がった。もう怖いとか、嫌われたらとか、そんなこと言っていられない。
漸く決意して走り出した俺を見て「やっとか~」なんてセドリックの声が届いたが返事をする暇もなかった。早くクリスティアの元へ行かなければ。
と思っていたんですよ。
「いない!!」
クリスティアが学園のどこにもいない。
あちこち探して色んな学友達に聞いてもクリスティアはいなかったし誰もクリスティアの行先を知らなかった。
嘘、まさか、もう誰か他の奴と。そう考えただけで血の気が引いて今にも倒れそうになる。
どうしよう。クリスティアが。いつも何も言わなくても側にいてくれたクリスティアがいなくなるなんて。
俺は廊下のど真ん中で青い薔薇を握り締めたまま呆然と立ち尽くすしかなかった。
だって今日しか、今日しかないのだ。明日から舞踏会準備で学園は休みになる。女性陣はドレスの準備やらで忙しなくなるから、今日しかないのに。
「ほんと。早くしないからこうなるんだよ?」
「セ…セドリック…」
「うわ、泣きそうじゃない」
そんな俺に声を掛けてきたのはやはり呆れ顔のセドリック。
本当、セドリックの言う通りだ。
「…クリスティア、家から連絡があって帰ったらしいよ」
「えっ?」
何で知ってるんだ。知ってるならさっき教えてくれよと思ったが今はそれどころじゃない。
早く行かなくては。マドリノ家は学園から少し離れている。
「帰ったのか!早く行かないと…!」
「待って待って、走ってたんじゃ間に合わないよ」
「止めないでくれ!」
「落ち着いて、ほらあれ」
俺の腕を掴んだセドリックが指差した先、窓から見えたのはガイラス家の紋章が入った馬車。
それが西門の前に停められている。
「ウチのは皇室のより早馬だからね、あれ使いなよ」
「い、いいのか…?」
「いいよ。その代わりちゃんと誘えよ」
「ああ!感謝する!」
それだけ言って、俺はガイラス家の馬車に飛び乗る。
セドリックが話を通してくれていたらしく、よく見知った御者は「飛ばしますよ」と走らせてくれた。
何でも、セドリックはいないクリスティアを探し理由を知るとわざわざ馬車をマドリノ家に近い西門まで回してくれたらしい。俺のために。
俺の煮え切らない態度に痺れを切らしたのか、本当の理由は定かではないがちゃんと決めてこいということなんだろう。
「クリスティア!」
「…え、えっ?アルスメリア様?」
時刻は夕暮れ。
マドリノ家の正門の手前、馬車の中にその姿はあった。
馬車の小窓から身を乗り出した俺をクリスティアが驚いた顔で見ている。
「こ、これはガイラス家の…?あれ?」
「借りた!」
困惑しながら俺と馬車を交互に見るクリスティアはこんな時でも可愛い。完全に止まりきっていない馬車から飛び降りて、慌てて降りてきた彼女の前に立つ。
未婚の女性の元に夜伺うことは貴族のマナーとしても皇子としてもあり得ない。だから俺は何としても太陽がある内にクリスティアの元へ行かなければならなかった。
ガイラス家の早馬でなければ間に合わなかっただろう。
「クリスティア!」
「は、はい!」
茎が少し曲がってしまった薔薇を両手で差し出す。
長時間手に持っていたからか心なしか萎れているように見えなくもない。
「俺と!参加してほしい!」
「な、何に…?」
「あ!舞踏会!」
誘わなければという気持ちが先行して順番が無茶苦茶だ。
緊張とこの失態でもう吐きそうだし泣きそうで、何か死にたくなってきた。
この日の為にシュミレーションだって脳内でだがずっとしてきたのに。
するとクリスティアは、ふふ、と小さく笑う。
「ずっと、待っておりましたのよ?誘ってくださるのを」
そう言って震える俺の手から薔薇を受け取る。
「気付いてはいたのですけれど…少し、意地悪してしまいました」
「じゃ、しゃあ…!」
「…貴方と、一緒に行きたいです」
「!、俺、俺も君がいい!」
柔らかく美しく、そして神々しい笑みを見せるクリスティアの手を思わず握る。
そういえばエスコート以外でこんな風に手を握ったのは、初めてだった。
「……あの殿下、殿下とはいえこのようなお時間に…」
ガイラス家の御者達が感動の涙を拭う横で正門にはいつの間にかマドリノ伯爵が眉間に皺を寄せて立っていた。その周りにはマドリノ家の騎士もいる。
夕暮れだった空は既に夜。
こんな時間に一人娘が婚約者相手とはいえ男といたら、そりゃこんな顔にもなる。マドリノ伯爵は子煩悩で有名なのだ。
「お、お父様!」
「あ!違う!違うんだ伯爵!」
別に変な意図で来ていませんお義父さん。
と、そんな風には言わなかったが、とりあえず謝って帰った。
後でマドリノ家の馴染みの騎士から教えてもらったが、クリスティアはこの日舞踏会の為のドレスの仕上げが急遽決まったせいで早退したらしい。
色は紫を基調色としているとのことだったので俺も仕立ててもらっていた燕尾服を急遽変更した。
音楽隊の演奏が響き渡り淡い光が包む煌びやかなホールの中、俺とクリスティアは中央で、向かい合って立っている。
踊る順番は身分の高い者からとはなっているが学生の内はそこまで重要視されない筈なのに、俺達がトップバッターとなっていた。
しかも他の誰も踊ろうとはせず、公爵家のセドリックとそのパートナーのハルすら壁際に寄って俺達を見ている。
遠くに両親、そして祖父母の姿もあってその顔は安らかだ。
光の当たる中央で、世界には俺達だけだと錯覚してしまう程の景色。
俺はクリスティアの手を引いた。
何故だろう。少し前まであんなに緊張して吐きそうになって震えていたのに、今は驚く程に落ち着いている。
クリスティアは紫色に白色をアクセントに初めて出会った時に似ている髪飾りをつけて、美しい髪を緩やかに靡かせながら優しく笑う。
美しい。嗚呼、君は美しいな。
音楽隊の生演奏に合わせ軽やかにステップを踏む足は以心伝心、乱れることなくお互いを見て、俺はふと幸せだと思った。
だからなのか、不思議な気持ちだった。
曲の終わり、ダンスの終わりに一礼した後に、俺はクリスティアの前で片膝をついた。
一瞬会場内がざわついて、だが直ぐに静寂に包まれる。
「クリスティア、俺は優柔不断で情けなくて強くもない。それでも、こんな俺でも、共にいてくれないか」
左手を胸に当て、右手をクリスティアへ、ゆっくりと差し出す。
一生守るなんてことは言えなかった。
何から守るというのだ。俺には、俺自身にそんな力はない。
「あの時、初めて会った時から好きだった。俺と結婚してください」
言い淀むこともなく呆れる程すんなりと出た言葉はクリスティアへ届いただろうか。
俺が言える、背伸びもしない偽りもないたった一言の愛の言葉、あの時からずっと秘めていた言葉、幼い頃から胸に合った言葉は案外簡単に俺の口から出ていった。
「はい…」
ぽとり、と宝石のような涙を一粒溢したクリスティアの震える手が、俺の手に添えられた。
溢れる涙はとめどなく頬を濡らしながら、けれど美しく笑うクリスティアを見て俺はもう一度、
「君が好きだ」
そう言って、添えられた手を握った。
その瞬間、爆発するような歓声と国家の演奏が音楽隊の計らいだろうか、始まった。
割れんばかりの拍手、祝福の歓声、それら全てが俺とクリスティアを包む。
セドリックとハルも寄り添って手を叩き、母なんかに至っては泣いていた。それを父が肩を抱いて優しい目で見ている。
「うれしい…!アルスメリア様…私も、私もずっとお慕いしておりました…!」
泣き止む気配もないクリスティアを抱き締めて、俺は漸く、己がしたことの実感を得るのだった。
この一件だが、当然学園内の話題だけでは収まらず次の日の新聞の一面を飾ることになり、両親からは驚かれたがお咎めはなかった。「まさかあそこでプロポーズするなんて頭がおかしくなったのかと思った」とは言われたが。
祖父は「流石ワシの孫」と随分褒められたものの、祖母からは「断れない雰囲気を作ってはだめよ」と少し、小言を言われてしまった。そうですね。俺もそう思います。
セドリックや学友達からは今までヘタレていたくせにいきなりプロポーズをするなんてどうしたんだと本人かどうかを疑われる始末だったが、まあ皆祝福してくれた。
いつ告白するのか賭けの対象にまでなっていたらしく全員外したようだ。
そして教師達からは結構本気で怒られた。
そして。
「なーんてこともありましたねぇ~」
「懐かしいね」
ハルがソファの上で楽しそうに笑う。
その隣にはセドリックがいてこいつも何度か頷いた。
ハルは現在、公爵夫人としてセドリックを支えている。
実のところ2人が結婚するまでハルが平民だったこともありなかなか大変で、主にセドリックの父親を説得するのに時間を非常に要したが最終的に俺とクリスティア、つまり皇室と伯爵家の説得を受け渋々ではあったが2人の結婚を許した。もう本当に大変だった。
今はハルのお腹にいる孫の為にあれこれ買い与えていて何だかんだで上手くいっているようだ。
元々セドリックには婚約者候補が数人いたがハルはその女性達を華麗に蹴落としていって、側室を望む家来達すら黙らせた。
同担拒否勢っていうのは本当だったんだなと俺はこの時しみじみと思ったものだ。
「う…、止めろよいい加減」
ハル達の向かい側のソファに座って渋い顔をする俺をクリスティアがクスクスと笑った。
ことあるごとに俺はあの日の出来事をこうして蒸し返されている。あれからもう5年程経っているのに。
「ふふ、でも本当に嬉しかったのですよ?いきなりでしたけど」
「ティア…」
俺とクリスティアはトントン拍子に卒業前に正式に婚約、卒業後に結婚をした。今までのは本当に何だったんだと色んな人に言われたが自分でも分からない。
決められた婚約者ではあったがお互い思い続けた純愛として国全体から祝福されただけでなく演劇にまで採用され人気を博しているらしい。
正直恥ずかしいが好意的に受け入れてくれているのはありがたいことだ。
それに、クリスティアのお腹にはハルと同様に新たな命が宿っている。
皇太子妃の懐妊は国に再びお祝いムードを呼び戻し、というより俺達の結婚からお祭り騒ぎは続いている気もするが。
まあ、平和なのは良いことだ。
俺達は度々こうやって4人でお茶でも飲みながらのんびりとした時間を過ごす。
気の知れた間柄だからか気を遣うこともないしセドリックなんか遠慮もないし、でも楽しい時間を過ごせていた。
俺は一度だけ、ハルにゲームのエンディングについて尋ねたことがあるがその時ハルは明言を避け言葉を濁した。ああ、もうゲームは関係ないのだと理解してあれ以来聞いていない。
もしくはゲーム通りだったのかもしれないが俺にはもう関係ないことだ。
今この瞬間、俺の隣にはクリスティアがいてセドリックとハルが支えてくれている。それだけでいい。
これがゲームではない俺の現実の世界なのだから。
いつか、クリスティアとハルのお腹の中にいる子供達もいずれこんな風に穏やかに過ごしてくれることを祈って、俺とクリスティアは微笑み合った。
ちなみにその後の話だが。
あの舞踏会でプロポーズを行うことはその後当然ながら禁止となりそれからしばらく、十数年後、公爵家の嫡子が皇女にあの舞踏会のダンスの後にプロポーズをし再び世間を賑わすことになるのだが、これは未来の話である。