師弟、アップルパイを食べる
ピーリカは横に置かれていた師匠の分を手づかみに取り、口に頬張る。それでも彼女の小さな口からは、アップルパイが半分はみ出している。
「お前! それは俺の分だろうが!」
「いひわるいうししょおにあふぇるあっふるふぁいあんふぇふぁいふぇふ。わーかわーか」
訳:意地悪言う師匠にあげるアップルパイなんてないです。バーカバーカ。
「コイツっ……」
マージジルマはアップルパイが特別好きな訳ではなかった。アップルパイが他人に無償でもらったものであれば別に自分の分をピーリカにくれてやっても良かったのだが、このアップルパイには自分が作ったリンゴが使われている。リンゴを育てるまでの時間から肥料代さらには小麦粉やバターに払った代金そしてアップルパイ作りにかかった高熱費水道代その他もろもろの事を考えて、一口も食べないのは損だと考えていた。
簡単に言ってしまえば、彼はとてつもなくケチだった。
おまけに小憎らしい弟子の態度。そんな彼女にほんの少しイラっとしたマージジルマは、弟子の頭を両手で掴み。
歯をむき出しにして、ピーリカの咥えるアップルパイに齧り付いた。
突然目の前に来た師匠に驚いたピーリカは目を丸くする。触れそうで触れない距離の唇。
アップルパイを一口食べて、マージジルマは弟子から離れて行き。口の中のアップルパイを飲み込んで、一言。
「ざまみろ!」
彼にとって今の言動は、ただの嫌がらせでしかなかった。
ピーリカは黙ったまま俯いた。その理由を、アップルパイを食われてショックだったんだろう、と判断したマージジルマだが謝る事も慰める事もしない。自業自得だ。そう思っている。
弟子の事は気にせず、アンドロイド二人に司令を出す。
「ほらお前ら、とっとと切って配りに行って来い」
「師匠さんはー?」
「俺は他にも仕事あるんだっての。味としては悪くなかったからな、次は買いたいって思う奴も出てくると思うぞ。じゃあな」
マージジルマはピーリカの表情を見る事なく地下室へと戻って行ってしまった。
ハニーとチカイは司令通りに動こうと、俯いているピーリカの顔を覗き込んだ。
「じゃあピーリカ、アップルパイ切ってお外行こー……どうしたの?」
ピーリカは顔を真っ赤にし小刻みに震えていた。だがこれは決して怒りによるものではなく、ショックによるものでもなく。
むしろ喜びを含めた照れの表情だったりする。
説明しよう!
ピーリカ・リララとは一見師匠をも見下す態度のデカいクソガキだが、その実態は素直ではない性格と民族性の口の悪さが災いして初恋相手である師匠に想いを伝えられずにいるだけのただの小娘なのである。
師匠が強盗をボコボコにした時もカッコイイと思ったし、ハニーの名前もまるで恋人を呼ぶ感じがして羨ましかった。師匠はピーリカの事が大好きだなどと言っていたが、大好きなのは自分の方だったりする。
ちなみにピーリカがマージジルマに惚れている事は国民の八割が知っている。ピーリカが昔と変わったというのは、恋をしたからに他ならない。
今彼女の顔が赤いのも、想像もしてなかった至近距離に動揺し照れているだけである。
「どうしたのピーリカ、お顔真っ赤」
「この短時間で風邪なんて引く?」
ピーリカの恋心など知りもしないアンドロイド達は、自分達では分かりえない人間の体の不調を心配する。
胸は痛むが決して病気ではなく、至って健康なピーリカは首を横に振った。
「じゃあ何かな、リンゴの真似かな。確かにリンゴっぽいよ。赤い赤い、とっても上手」
「そうね。しかも体温が上がるスピードが速かったわ。なろうと思えばすぐ赤くなれるものなのね、不思議なものだわ」
「確かに。あたしらでも頬の赤みくらいは出せるだろうけど、あんなにすぐ出せるものかな?」
「日頃行動していて赤くなる事なんてないもの。さっきの師匠さんの行動も理由の一つなんじゃないかしら。二人でじゃないと赤くなれないとか」
「なるほど。じゃあチカちゃん、真似してみる?」
「する意味ある?」
「人間と同じ暮らしをしていくなら、その辺も人間っぽくなっていくのも悪くないんじゃないかなー」
「……別に人間と全く同じになる必要はない気もするけど。多少なら悪くはないかもね」
「でしょ。なら、チカちゃんピーリカの役ね」
「分かった」
ハニーとチカイは互いに向き合い。ハニーはチカイの頭に優しく包むよう手を添え。間にアップルパイがあると仮定し、顔の距離を近づけていく。寸止めをキープして、互いの瞳に互いを映すも。
頬の明るみまでは視界に入らないアンドロイド達。
「赤くなってる?」
「近すぎて分からないわ」
「だよね。ピーリカ、どう? あたしら顔赤い?」
ハニーに確認を要求されるも、ピーリカはそれどころではない。
あんなにも自分と師匠は顔を近づけたのか、と第三者目線で見てみてピーリカの恥ずかしさが増した。頬を赤くさせたまま怒る。
「ふぁふぇふぃにゃいれふらひゃい!」
真似しないで下さい、と訴えるも未だ口に咥えたアップルパイのせいで伝わる事はなかった。
ピーリカが何を伝えたいか分からないアンドロイド達は、ゆっくりと離れて。互いの顔をまじまじと見つめる。
「赤くないね?」
「そもそも近づいたからと言って何かが変わる訳でもないし」
「それもそっか」
隣にいる事が当たり前のアンドロイドだが、恋だの愛だのは理解出来ずに。
「ところでピーリカ、アップルパイ早く食べたら?」
ハニーはただただ、思った事を口にした。
そしてピーリカは動揺した。
食べるのか? これを? 師匠の食べかけだぞ!?
なんて。
とりあえず師匠と自分が触れていない部分を指で掴み、ピーリカは口からアップルパイを離した。
「アップルパイは美味しいですからね、食べたいは食べたいのですよ。でもほら、師匠が食べちゃったですから。師匠って存在がバイキンみたいじゃないですか。だから……だから……」
「そうかな? じゃあ捨てるしかないね。勿体ないけど」
「も、勿体ないですよね。確かに。それは分かってるですよ。なので残したくはないんですけど」
「分かった、じゃあ師匠さんに全部あげればいいよ。師匠さんの食べかけを師匠さんが食べるなら問題ないよね」
ピーリカにとっては大問題だった。
いやしい師匠なら、きっと食べかけのアップルパイがあると知れば食べるだろう。だがちょっと待ってくれ。確かに片側は師匠の食べかけだが、反対側は自分の食べかけだ。自分の食べかけを師匠に食べられるのも、それはそれで恥ずかしい。
「食べるのも食べさせるのもそう簡単に出来ねーです。だって、それじゃ……間接チュウになっちゃう……!」
恋愛経験のない彼女にとっては、それだけでもドッキドキ。
アンドロイド二人にそのドッキドキは伝わらない。ピーリカは何を言っているんだという表情をしている。
「間接チュウって、キスの事?」
「愛情表現だとは聞くけれど、どう見てもあなた達のは愛情表現には見えないわよ。気にせず食べたら?」
何をどう言われても、目の前にあるアップルパイをすぐどうにか出来るものではない。そう思っていたピーリカの右肩に、何かが乗った。
マージジルマが飼っている、白フクロウのラミパスだ。
ラミパスはピーリカが持つアップルパイに嘴を伸ばした。ピーリカも腕を伸ばし、食べられそうになったアップルパイを遠のかせる。
「あっ、ダメですよラミパスちゃん! ラミパスちゃんは師匠が用意したお肉以外食べちゃダメです。じゃないとすごく太ったり病気になるかもって言われてるでしょう!」
どんなにピーリカが叱りつけても、ラミパスは諦めそうにない。このままラミパスに食べさせてしまえば、本当に病気になってしまうかもしれない。師匠にも怒られそうだし、ラミパスが病気になるのも嫌だ。
「ダメっ」
食べかけのアップルパイを、自身の口の中に放り込んだピーリカ。アップルパイを噛みながら、これはラミパスちゃんを守るため! と内心自分に言い聞かせている。
ラミパスはリビングの隅に置かれた止まり木へと移動した。
喋る事は出来ないが、ピーリカの恋心を理解しているラミパス。アップルパイを食べようとしたのは勿論ワザと。食べるつもりも微塵もなかった。伝わる事のない心の内では、あー良い仕事した、なんて思っている。
「どうピーリカ、おいしかった?」
ハニーはようやく自分の作ったアップルパイを食べてくれたと喜んでいる。だが頬の赤いピーリカに、確かな味を判断する事など出来なくて。
「……よく分かんなくなっちゃいました」
「えぇーっ!? どうして? あたしレシピ通り作ったよ?」
悲しそうな顔をするハニーの隣で、チカイも首を傾げる。
「使用した調理器具に違いはあれど、調理方法と材料はほぼ同じよ。それなのに、どうして?」
味がよく分からなくなった理由が分かっていたピーリカだったが、素直に説明する事は出来なかった。
「ま、まぁそんな時もあるですよ。きっと他の人なら美味しいって言ってくれるですから、とっとと配りに行きましょう。わたしの事はいいのです。行くですよ!」
ピーリカは胸に想いを秘めたまま、リビングを出て行く。どんなに想いを伝えても、幼い自分はまだ師匠に好きになってはもらえない。だからこそ、今は嫌われない努力をしなきゃ。つい憎まれ口を叩いてしまうので、時間はかかるかもしれないけれど。そう思っていた。
「待ってピーリカ、アップルパイまだ切ってないよ! 持って行くなら切らないと!」
ハニーは急いで一口サイズに切り、チカイと共にピーリカを追いかけた。