弟子、踊る
「え!?」
「だってハニーが作りたいって言ってる新しいアップルパイのレシピなんて、私知らないもの。そんな私に司令を出されたって困るでしょう」
「大丈夫。そんなレシピはあたしも知らない」
「一体何が大丈夫なのよ」
「それはこれから考えればいいって事。チカちゃんも協力して一緒に考えようよぅ。あたしら二人の機械仕掛けのアップルパイじゃん」
二人の会話を耳にしたピーリカもキッチンへと向かい、口を挟んだ。
「わたしも一緒に考えてやるですから、二人じゃないですよ」
「そうだった。じゃあ皆で考えよう」
皆と言ったハニーだが、マージジルマはキッチンに近寄らない。リビングの入口に立ったまま言葉だけを弟子達のいる方に向ける。
「俺は地下室にいるから。ピーリカは風呂にも入っとけよ」
ピーリカはキッチンの入口から顔だけを出して、そこから見えるマージジルマの顔を見つめた。
「師匠も手伝えですよ」
「アップルパイ含めて菓子なんざ作れない俺に、手伝える事なんかあるわけねぇだろ」
「それもそうですね、この役立たず」
「言っとくけどお前もだからな」
「この天才美少女が役立たずなはずないでしょう。やっぱり師匠はおバカさんだな」
「バカはお前だ。まぁ、それでもやりたいならやってみろ。爆発させて家壊すのだけは止めろよな」
そう言ってマージジルマはリビングからも遠ざかった。
「全く、師匠は本当にダメですね」
こんな事を言っているピーリカだが、師匠が一緒にいてくれない事を少し寂しがっていたりする。
逆にマージジルマがいなくとも全然寂しくなんてないハニーはシンクの淵を撫でながら言った。
「でも師匠さんはこれでもキッチン提供とかしてくれてるからね。あたしは無下に出来ないや」
「そんな事ないですよ。この家だってわたしのもののようなものですし。師匠よりわたしを崇めろです」
寂しさは見せないひねくれものの弟子。それどころか、いつの間にかピーリカを崇めるか否かという話になっている。ピーリカの事は好きなハニーだが、崇める気はない。
「とりあえず、あたしとチカちゃんで考えてみるから。ピーリカはお風呂入って来てからにすれば? あたしらに付き合ってると、ピーリカ寝るの遅くなっちゃうでしょ? 人間は睡眠が大事だって聞いた事あるよ」
「うーん。そこまで言うなら」
そこまで言ってないけどなぁ、と思ったハニーだったがそれを口にするとピーリカの足がこの場に留まるだけだとも分かっていて。
「そうだよ。あたし見たいな、お風呂に入ってピカピカになったピーリカ」
「いいでしょう。既に美しいわたしが更に輝く瞬間を見せてやるです」
ピーリカはキッチンを出て行った。実に単純な奴である。
静かになった空間の中で、チカイが小さく口を開く。
「私もどちらかと言えば師匠さんと同じ。私はレシピがあって初めて役に立つアンドロイドなのよ。レシピがないのに何か考えるなんて出来ると思えないの。アップルパイ作りもお菓子作りも経験ないもの。きっと良いアイディアなんて出せないし、役になんて立たないわ」
「そんな事ないよ。チカちゃんには色々な知識があるじゃん。それらを組み合わせれば良いアイディア出るかもしれない」
押しの強いハニーの気持ちに負けて、チカイは仕方なくといった様子で新しいアップルパイのアイディアを考えた。ハニーは「さてと」と呟いて、アップルパイ作りに必要な道具を目の前に並べて行く。
だが用意した所ですぐ作れる訳でもない。手を止めたまま、しばらくの間無言が続く。一度だけ、水道の蛇口からポタンと水滴が零れる音が聞こえた。それが合図だったかのように、ハニーはため息交じりに天井を見つめた。
「思いつかないねぇ」
「そうね」
「あたしも魔法が使えたら簡単にアイディア出せたりしたかなぁ。呪文もなんか可愛くてカッコいい……ハチミツフラッシュ! みたいなさ」
「それカッコイイ?」
「うん。いいと思ってる。チカちゃんも何か考えてみてよ。魔法の呪文っぽい言葉、言ってみ?」
「……てけれっつのぱー」
「不思議な呪文を思いついたねぇ……でもいいよ、可愛いよ」
「言わなきゃ良かったわ」
「大丈夫、可愛いって」
ハニーはチカイの頭を撫でる。ふと、フード越しに伝わる猫耳の感触から発想を得た。
「アップルパイにも猫耳つける? 現状丸い形のアップルパイだし、それに三角二つ付け足せばそれっぽく見えそう」
「それだけで特別なアップルパイを名乗ろうとしているのなら相当な子供だましだわ。それに、カットしてしまえば耳がついてるなんて分からなくなるでしょうに」
「そっかー」
ハニーはチカイの頭から手を離し、再び「うーん」と唸り始めた。
そんな二人の前に伸びた小さな影。
「どうですか?」
「あ、ピーリカ。アップルパイはまだ出来てな」
「違います。ピカピカのわたしはどうですかと聞いているのです」
「う、うん。ピカピカだね……!」
リボンを外したピーリカの黒い髪は、まだ少し濡れている。ピンク色のパジャマに身を包み、くるりとその場で一回転。
「そうでしょう、そうでしょう。それで、アップルパイは出来てないのですね」
「うん。まだアイディア段階。ネコ耳つけよっかって話してたんだけど」
「ほぅ」
ピーリカは視線をチカイの頭に向けた。チカイはフードの上から猫耳を隠すように両手を伸ばす。
「決定事項じゃないし、こっち見ないで」
見るなと言われたピーリカはハニーに目を向けるも、しょげた顔をしたハニーを見ても面白くないなと思った。
「でも切ったら猫耳の意味ないじゃん? だからどうしよっかって。ハチミツフラッシュが使えたらなぁ」
「ハチミツフラッシュが何だか知らねーですけど、それなら切らなくてもいい、ちっちゃなアップルパイにすれば良いんですよ」
「……それだ! 天才だねピーリカ!」
「当然ですよ」
「じゃあ試しに作ってみよう。入れる材料も少し数値を変えてみようかな」
ハニーは一転して笑顔になって、銀色のボウルを手に取った。
分量だとか材料だとか、お菓子作りに関して詳しい事はよく分からないピーリカだったが、どうにかすれば自分も力になれると信じている。
「ならばわたしも手伝ってやるですよ。何をすればいいですかな」
「そうだねぇ……ちょっと応援に踊っててよ」
決してハニーはピーリカを邪魔に思っている訳ではない。まだ幼いピーリカに怪我でもさせたら大変だという彼女なりの配慮である。
「応援の踊りですか」
「うん。応援されるのって嬉しいじゃん?」
「それもそうですね。いいでしょう、わたしの素敵な踊りに泣いてひれ伏せですよ」
ピーリカは両手を天井に伸ばし左右に揺らし始めた。子供のお遊戯にしか見えないが、ピーリカは至って真剣であった。
ハニーも真剣な顔つきになって、チカイと顔を見合わせた。
「よし。試しに小さいアップルパイを作ってみよう。試しに猫耳もつけて。子供だましでも、子供人気が出るならまだマシじゃない?」
「……それもそうね。それなら私も、いつもより半分ちょっとの分量で考えれば良いだけだものね」
「うん。味とかの改良はその後考えてみよう」
リンゴを切り始めたハニーの様子を見つめるチカイと、その後ろで踊るピーリカ。なんともおかしな空間に、マージジルマが顔を出した。
「まだやってたのか。もう遅いし、今日は終わりにしろよ。ピーリカは……何だその動き。寝ろ」
「これは応援の舞いです。まだ食べてないので寝ません」
「さんざん食っただろうが。もう夜遅いんだよ。こんな夜中に食ったらデブになるぞ」
「デリカシーのない男ですね。さてはそう言ってアップルパイを独り占めするつもりですね。ダメですよ、わたしもアップルパイ食べるです!」
「ラリルレリーラ・ラ・ロリーラ」
唱えられたのは黒の呪文。魔法陣がピーリカの足元で輝いた。
「師匠め、また……かわいい弟子を……呪っ……」
ピーリカはゆっくりとその場に倒れ込み、眠り始めた。ボウルをシンクの上に置いたハニーはしゃがみ込んで、むにむにしたピーリカの頬をつつく。だがピーリカが起きる様子はない。魔法陣がスッと消えるも、ピーリカは未だに眠り続けている。
「相手を寝かせる魔法?」
「そういう事だ。お前らも充電とやらをしないとなんじゃないのか」
「まぁね。でももう少しやりたいな」
「じゃあ無理しない程度にやれ。俺はコイツ寝かして風呂入って寝る」
「はーい。おやすみなさーい」
マージジルマはピーリカを抱きかかえるように持ち上げ、運んだ。ピーリカが起きていたら、きっと顔を真っ赤にしていただろう。ハニーは立ち上がって、再び作りかけのアップルパイに目を向ける。
外が暗くなり始めてから、どれくらいの時間が経っただろうか。家の中で唯一電気がついていたキッチン。
黙々とアップルパイを作り続けるハニーに、チカイは声をかけた。
「ハニー、そろそろ充電しないと」
「うん。あとちょっとしたらするから、チカちゃん先に充電しに行ってていいよ」
「私よりあなたよ。同じくらい充電しても、ハニーの方が動きが多い分、消費量も多いんだから」
「まだ大丈夫。それより今は、もう少し頑張りたいの」
「……そう。なら先に行くわ。ちゃんと休憩するのよ」
「分かってるってぇ。おやすみー」
チカイはハニーを一人残し、外に出てきた。暗い空に広がる星々を、一人で見つめる事が寂しいだなんて。言えるはずもない言葉を飲み込んで、彼女は昨夜と同じ場所で横になり。しばらくの間目を瞑った。
目を閉じていても周囲が明るくなった事に気づいたチカイ。パチッと目をあけ、隣を確認する。そこには自身に背を向け横になっている少女の姿。オレンジ色の髪に朝日が当たって、キラキラと輝いて見える。
彼女がちゃんと充電している姿を見て安心したチカイ。それでもきっとハニーは頭の中でアップルパイの事を考え続けているのだろうと思い、ポツリと呟く。
「あんまり無理しないで」
「……ふふ、ありがとー」
ハニーは目を閉じたまま答えた。
眠る事のないアンドロイド。それは互いに理解している。