弟子、口と耳を押さえられる
シャバは明らかにハニーとチカイに目を向けているが、ハニーは自分達が呼ばれていると認識出来なかった。
「セニョリータって?」
「お嬢さん、的な意味よ。私達を呼んでるんでしょ」
「へぇ、変わった呼び方ー。そう、あたし達を収穫祭に出させて下さいっ」
ぺこりと頭を下げたハニー。その隣に立つチカイも、ワンテンポ遅れて頭を下げた。
「うん。オッケー」
さらりと返って来たシャバの答えに、アンドロイド達は思わず目を丸くしながら頭を上げる。
「今オッケーって言った?」
「そんなにあっさり? 私達有名なシェフやパティシエールじゃないのに、いいの?」
シャバは壁際に置かれた低めの棚からハサミを取り出しながら答える。
「ヤバい奴だったらマージジルマが拘束もせずに連れてくる訳ないし。祭りに盛り上がる要素が増えるのは良い事だからね、全然オッケー。どっちかって言うとピーリカの方が問題あるんだな、これが」
自分の方を見てくるシャバの言葉が理解できずに、ピーリカはコテンと首を傾げた。
「わたしのどこがヤバいと? あぁ、かわいさ?」
「反省してー」
ハサミを渡されたピーリカは渋々ながらも、カーペットの敷かれた床上に座り。決められた長さにリボンを切り始める。
マージジルマはピーリカの横に寝転んだ。人様の家とは思えない程くつろいでいる。
「ピーリカの罰が終わるまで俺待ってないとなんだよな。おいシャバ、飲み物出せよ」
「カツアゲしないで。別に飲み物くらい良いけどさ。コーヒーだろ? 冷たいのでいい?」
「分かってるじゃねぇか。温冷はどっちでもいい」
「はいよ。セニョリータ達は?」
ハニーはセニョリータと呼ばれたら自分達の事だと認識出来るようになった。彼女の学習能力はなかなか高い。
「結構です、あたし達アンドロイド。飲食不可!」
「あぁそっか。あとピピルピ、何か飲む?」
ピピルピは縛られて床に転がったまま答えた。
「飲み物ねぇ……体液がいいわ」
とち狂った要求にシャバは首を傾げて。マージジルマの「そのまま外に放り投げちまえ」という言葉を耳に入れつつも、自身にとって最善の返答を述べた。
「体液ならどれでもいい?」
「いいわ」
シャバはピピルピの体を縛り上げている縄を解いた。マージジルマはいかにも不機嫌そうな顔をしている。
「おいシャバ、客人の前で何をする気だ」
「前ではしないし最後までもしないから。ちょっと待ってて。ピピルピおいで」
そう言ってシャバはピピルピの肩を掴み、別の部屋へと彼女を連れて行く。
姿が見えなくなった二人の会話を理解出来なかった弟子は師匠に問う。
「体液って血の事ですね? 血なんて飲んでもおいしいとは思えねーですが」
「お前は何も考えるな。大人しくリボンを切れ。出来るだろ」
「当然です。リボンを切らせたらわたしに敵う者などいません」
ピーリカはリボンを切るだけで偉そうにしている。
その時だ。
チュッちゅむっ「シーちゃ、んっ」チュッ「んんっ」ちゅぅううううう。
壁向こうから聞こえてきた音に、マージジルマは急いで体を起こし幼い弟子の耳を両手で塞いだ。
やっぱりあの人達の方がピーリカの教育に悪いじゃないか、そう言わんばかりにハニーは壁を指さす。
「師匠さん! なんかすごいヤバい擬音と吐息が聞こえるんだけど!」
「聞くな、何も聞かなかった事にしろ!」
「無茶だよそれは!」
騒がしいマージジルマとハニーの隣で、チカイはどうでもよさそうに壁を眺めている。
ちなみにピーリカはというと。
大好きな師匠の手に触れられた耳を赤く染め、リボンとハサミを握りしめたままの手にはじっとりと手汗をかき始め。
分かりやすく動揺していた。
「し、師匠。何が起きたか分からねーですが離せです! わたしのかわいいお耳が汚れる!」
「うるせぇ、黙ってろ!」
「よく聞こえないんですが!」
「あぁもう」
マージジルマは胡坐をかいた上にピーリカを横向きで座らせ、左手で彼女の口元を押さえつける。右手ではピーリカの右耳を押さえつけながら、自身の胸の中へ抱き寄せた。そしてピーリカの左耳には自身の心音だけを聞かせる。
初恋相手にそんな事をされて、ピーリカが動揺しない訳がない。
嫌ではない、むしろとても嬉しい。いやでもやっぱり恥ずかしいな!? なんて思考をグルグルリ。
耳を塞がれるほんの少し前に『チュッちう』なんて変な音が聞こえはしたが、もはやそんな事どうだっていい。
口元を抑えられ、多少の息苦しさはあった。だがそれは抑えられているからではなく、小さな唇が軽く触れてしまっているせいな気もした。
極めつけに早いテンポでドキドキと聞こえる師匠の心音。これはまさか師匠もわたしと同じ気持ちなのでは!? なんて期待しているピーリカだが、実際彼は社会的心配しかしていない。
師匠がどう思っているのかは分からないものの、ピーリカはひねくれもので素直に気持ちを伝える事が出来ない性格。仮に師匠が手を離しても、その行動の理由を問い質す自信はなかった。『汚い手で触るなですよクソ野郎』となら言える自信があるのに。
そんな事を言っても言わなくても、次にこんなに触れ合えるのはいつになるのか。
ピーリカは思った。せめて今だけは、このままでいよう、と。
納得がいかないハニーと口論しているマージジルマの胸の中で、ピーリカは暴れる事なく大人しくし続けたのだった。
数分後、ピピルピは口元を手で覆って戻って来た。その頬はほんのり赤く染まっていて、まるで何かに酔いしれているようで。
彼女の後ろに立っていたシャバを、マージジルマは冷ややかな目で見つめた。
「お前なぁ……」
「最後まではしてないって。これでしばらくピピルピは大人しくするって約束したから、とりあえずコーヒー入れるわ。ピピルピ、大人しくしててね」
彼の言葉に頷いたピピルピは、マージジルマの前にぺたりと座り込む。そして口元を抑えたまま喋り出した。
「マー君聞いて。私すごく興奮したの」
「二度と喋るな」
年齢制限を気にしているハニーはピピルピに注意を入れる。
「人間の恋人同士、あれが普通なのかは分からないけど。少なくともピーリカの前であんな事しちゃダメだよ、お姉さん」
ハニーの注意に、マージジルマはすぐさま否定した。
「付き合ってねぇよ、コイツら」
「……あれでぇ!?」
「あれで」
ピピルピは口元を抑えたまま、首を横に振る。
「マー君ったら、嘘つかないの。私はシーちゃんともマー君ともピーちゃんとも愛し合ってるわ。だから全員と付き合ってるようなものよ」
「お前の方が大嘘つきだ」
「嘘じゃないわ。少なくとも私は皆が大好きだもの。結婚はしないけど」
「そこだけ本気で言ってるんだからタチ悪い」
「だって私、一人なんて選べないんだもの。この国重婚ダメだってなってるし。私数秒でも誰かを待つとか出来ないから。そんなの耐えられない」
「自分の事をよく理解してる点は褒めてやる。あとはもう少し他の奴の気持ちを考えろってんだ」
「……それマー君には言われたくないわぁ」
ピピルピの目に映るのは、マージジルマに抱っこされたまま大人しくしているピーリカだった。未だに抱き寄せられている彼女は耳まで赤くさせていた。
弟子の師匠に対する感情に気づいていたピピルピは、ピーリカに対し『可哀そうに』という気持ちと『可愛い』という気持ちを抱いている。
ピピルピの視線に気づいたマージジルマは、そっとピーリカを膝上から降ろす。
「これは教育のために必要な事だったんだよ。ほらピーリカ、もういいから降りろ」
口元と耳から手を離されたピーリカは、ほんの少し悲しんで、ほんの少し落ち着いた。座る師匠の前に立ち、仁王立ちで言いたかった事を言う。
「汚い手で触るなですよクソ野郎!」
やはり本心は言えなかったようだ。