弟子、外で寝たがる
マージジルマの問いに、ハニーはキョトンとした顔を見せた。
「いつまで?」
「頑張るのは構わない。だが頑張るために店出して働くのを先延ばしにするってんなら話は別だ。俺はお前らを養う気なんて一切ないからな。言ったろ、勉強するのにも時間も金もかかるから、だったらまずは既に作れるアップルパイだけでいけ。他のが作りたいならアップルパイ作りながら勉強しろって」
「そうだけど、スタートダッシュが肝心って言うでしょ? このままお店出しても売れないんじゃ意味ないじゃん」
「最初から大きい目標立てすぎなんだよ。一個も売れない程マズいアップルパイしか作れねえってんなら考えもんだが、お前は今まで売り物になるアップルパイを作って売ってたんだろ。時間帯やら場所やら変えればカタブラ国でも売れる可能性はある」
理解はしたが納得はしていないハニーはそっと俯いて、ボソリと呟く。
「でも……バージョンアップした方が……」
「バージョンアップしないと動けない訳じゃないだろ。自分の作るアップルパイに自信が持てないってんなら、別にいきなり店出さなくてもそのワンダーって奴の所で働かせてもらえ」
「じ、自信がない訳じゃないよ! あたしのアップルパイ、おいしいはずだもん。おいしいレシピのはずだもん」
「なら今まで通りの頑張りをしろよ。頑張って来なかった訳じゃないんだろ」
今までのハニーは、司令を出されるがままに動いて来た。自分で考えるという点での頑張りはなかったものの、全く動かなかった訳ではない。司令通りに、ちゃんと動いていた。頑張っていなかった訳ではなかった。とはいえ、変わりたいと思ったのにも関わらずその気持ちをすぐ行動に移せないのも何だか嫌だった。
そんなハニーの肩を、チカイがポンと優しく叩いた。
「ハニー。ここは師匠さんの言う通り、今まで通りにした方が良い気がするわ」
「チカちゃん……」
「私だって元々今まで通りで良いと思ってたもの」
「確かにそう言ってたけど」
自分の味方だと思っていたチカイまでそんな事を言うなんて、ハニーは再び顔を下に向けそうになった。
そんな中、マージジルマはハニーから受け取った紙に再び目を通す。
「とはいえ、この収穫祭とやらがあるなら活用するのはありだと思う」
彼の言葉に、ハニーは顔を下げずにパッと表情を明るくさせる。
「お勉強して来いって事?」
「それもあるが、どうせなら宣伝の場にしよう」
マージジルマからの提案に、チカイは眉を八の字に曲げた。
「宣伝? 私達まだお店も出してないのよ」
「収穫祭で名前を広めておけば、後から店出す時にも話題になるだろ」
「つまり……収穫祭でアップルパイを振るまえと?」
「理解が早くて助かる」
うんうん、と頷くマージジルマ。
ハニーは先ほどとは正反対に、心配そうな表情を見せる。
「作るのは構わないけど、それってワンダーさん達みたいな一流のパティシエールやシェフじゃないと出れないんじゃ」
「多分大丈夫だ。祭りって書いてあるから、企画者はどうせ赤の民族代表」
「あぁうん。ワンダーさんそう言ってた」
「やっぱりな。それなら俺の親友だから、軽く胸倉掴めば言う事聞いてくれる」
「それ本当に親友?」
「勿論」
マージジルマはピーリカに顔を向けた。
「とりあえず明日は赤の領土へ行く。昼前には向かうから、準備しとけよピーリカ」
「わたしを連れて行くとは、師匠にしては賢い選択です」
「連れて行くっていうか、お前が行かないと意味ないんだよ」
「わたしが必要?」
「おう」
理由は分からないものの、師匠に必要とされ喜ぶ弟子。ぺたんこな胸を張って、威張る。
「いいでしょう、おめかしの準備もばっちりしておくです」
「別にめかしこまなくてもいいけど、早く寝て体力つけとけ。何があるか分かんねぇからな」
「お利口さんなので言われずとも早寝早起きするですよ」
そんなピーリカと同じ位、ハニーは自分がワンダーと同じ場所に立てるかもしれないという事に喜んでいた。とはいえ特別なアップルパイを作れるかという事とは別問題。どうすればいいのかを考えて、口を閉じて頭を悩ます。
チカイはハニーが悩んでいた事に気づいたものの、今はあえて触れずに。ハニーの隣で、瞳にマージジルマの顔を映した。
「ところで、そろそろ充電させてもらっていい?」
「仕方ないな、どうやって充電するんだ?」
「コンセント貸してくれれば大丈夫よ」
「コンセント……?」
マージジルマはピンときていない様子でいる。ピーリカは彼を指さしながらチカイに説明した。
「師匠は貧乏人なのでコンセントなんて知りませんよ」
「そう。ならピーリカは」
「食べた事ないだけです」
「食べるものじゃないわよ」
チカイは右手で左手首をグルグルと回し、腕から手の先を外した。ピーリカもマージジルマも「おぉ、機械仕掛け」と興味深そうにチカイの手の先を見つめている。
人間と違いのないように見える皮膚の内側で光る、銀色の機械。チカイはその腕の中から電気コードを引っ張り出した。
「このコードに繋げる穴、知らない?」
「あぁ、何だそれか。なら、地面にぶっ刺せ」
「バカにしないで」
「してねぇよ。電気さえあればいいって事だろ?」
「まぁ、そうだけど」
「なら土に刺せばいい。土の下に溜まってる黄の魔法と繋がるから」
非現実的な答えに、チカイは一瞬だけ目を見開いた。
「で、電気も魔法で作ってるのね……バルス公国の人達が欲しがる訳だわ」
「だからって攻撃して無理やり奪って行こうとする奴らに渡すもんなんか何もねぇよ。ただ電気も毎月使用料取られるから、お前らまずはそれくらい稼げるようになれよ。今回だけは特別に奢っちゃる」
「ごちそうさまです」
気になる事が出来たハニーは、マージジルマに顔を向け。閉じていた口を開いた。
「ありがたいけど、土に刺すって事は外でじゃないと充電出来ないって事だよね」
「まぁな。家の中で土むき出しにしてる家もあるけど、うちはそういう造りじゃねぇからな。部屋の電気は壁伝いで使えるけど、それ以外ってなると外に出て使わないとだ。雨の日とかは極力電気使わないようにしてる」
「冷蔵庫とかオーブンとかどうなってんの?」
「青と赤の魔法、水の魔法と炎の魔法をうまい具合に使ってるだけだから。電気関係ない」
「使い勝手としては普通のキッチンと何も変わらなかったのに、全然違うんだ」
見た目は似ているのに中身は違う。まるで自分と人間のようだ。
そうハニーは思いはしたが、言葉にはしなかった。
チカイは部屋の窓から見える庭の畑を見つめた。
「なら外で寝ましょう。今日は天気も良さそうだし。今後は雨の日とか、どうするか考えないとね」
ピーリカは顔だけ師匠に向けて、窓向こうを指さす。
「ならばわたしも今夜はお外で寝るです」
「お前は生身なんだから風邪引くに決まってるだろうが」
「そんな事ないです。お布団かければどうにかなるです」
「普段自分はデリケートだ何だって言ってる奴が何を言う。お前は普通に家の中で寝ろ」
「確かにわたしはデリケートで愛らしいですけど、お外で寝るのも楽しそうじゃないですか」
「山の中で寝るとか、虫に食われるぞ。痒くなったり赤く腫れるかもしれない。最悪跡が残る場合も。あとはほら、獣とかも出るから。機械相手なら獣も興味示さないだるけど、人間だったらどうなるか分かんねぇなぁ」
「大人しく家の中で寝てやるです」
こういう時だけは素直になるピーリカだった。
マージジルマは口元に手を当て、考え込む仕草をした。
「ただ困ったな、外で寝るんじゃ冷えるだろ。客用の布団なんかないんだが」
心配いらないと言わんばかりに、チカイは首を横に振る。
「大丈夫。私達風邪も引かないし。普通の人間みたいにご飯もいらないし、入浴は月に一度水洗い程度じゃないと逆に壊れる。前回の入浴から一週間しか経ってないから、今はいい」
「そこは金かかんなくて良いな」
「洋服の洗濯はお願いするかもしれないわ」
「仕方ないな。まぁ今日はもう遅いし、どっちにしろ出来ないから無しとして」
「そうね。さて、行くわよハニー」
淡々と物事を言い終えたチカイはスタスタと歩き、玄関の方へ向かう。
チカイに呼ばれたハニーが言う通りに動いてしまうのは、生まれつきの性質。自分が彼女を好いているからというのもあるけれど。
「うん。じゃあピーリカ、師匠さん。充電ってちょっと時間かかるから、満タンになる頃にはきっと朝。だからそれまで、おやすみなさいっ」
笑みを作って見せたハニーだが、その心内は曇り空と同じ色をしていた。