デジタルミーム その六
一般人である僕は詳しい現状を語ること以外に何が出来る訳でもなく、隣に付きそうだけで時は過ぎる。
「……何?」
「今日、どうしよ」
「……帰るしかないね」
「……かなぁ」
「お前がいくら強くても、僕が弱いから夜の街は行きたくない」
「……そっかぁ」
夕暮れ。
日が落ちれば、街はそれ以上に黒く濁る。
「あの人。助かっているといいね」
「大丈夫だと思うよ。蒼の処置が早かったし」
「詩奈が早く助けたしね」
僕は、何にも属さず何をした事が無い。
そして、意味も無く誰かを救っている。
正義のヒーローは自分の隣で、何十、何百人と他人を救っている。僕は隣で救う事はあっても、自分の意思で救おうとした事が無い。
あくまで他人事を続けるのは、道行く人々だけではない。
「……帰る?アオ」
「……帰る」
予定は未定のままに。
明日行けたらという仮定のまま、帰路へと付こうとした。
何時になるだろう?
僕は何時になれば、万人を救い続けれる人間になれるだろうか?
キッカケを待つのは疲れた。僕は僕の使命を放棄したい程に我慢弱いらしい。
日常を繰り返すだけなのなら、僕はいらないのだから。
僕は何時しか、誰かを救い続けなければならない。
始まってさえいない使命だ。それは僕の中にだけに存在する。
それが始まるのは。……いったい何時になるのだろうか?
そう思っていた。
「……詩奈?」
人通りが少ない裏路地を歩いていた。
相変わらず冗談と趣味を交えた会話が続いていた。
そんな会話が突如途切れたので、僕は彼の方を向いた。
そして彼は。
気が付いたら押し倒されていて、腰のナイフを振り下ろさんばかりに近づけていた。それはまるで静止画の様に、一つの所作で止まっている。その眼はどこか虚空を眺めていて、それは決して尋常ならざる狂気に蝕まれている事だけは分かる。
その光景に見覚えはある。
先程の男性によく似ていた。
そしてそれは、初めてではなかった。
「……」
「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ」
彼は今日も小言を続ける。
……なら、この後の光景も理解できるだろう。
先程の男性の様に、こんな状態の人間は何をした?
簡単だ。誰も居ない路地で死体を作って終わりだ。
普段から鍛え上げられた詩奈をどけようと試みても、か弱い女性の僕は、退ける事もままならない。
「詩奈」
名前を呼んでも返事は無い。
「事案だよ?」
ジョークを飛ばしても、返事は無い。
「……無駄か」
……僕は使命を抱いている。
しかし僕には、万人を救う事は出来ない。
僕に出来るのは、きっと誰か一人だけを救う事だけだ。
僕に出来る事の最大限は変わらない。
それに、僕は多分"化け物”なのだから。
それが何時かは分からないけど。
それがもし、今だとするのなら。
僕は迷わずに他人を救うだろう。
「~」
声を出した。
それは決して大声ではない。さりとて小さくも無い。透き通り響き渡る僕の特質を、最大限に生かした歌。自分の内側を燃やしながら、こんな状況だというのに楽しげに謡う。
相変わらず止まり続ける詩奈。
それでも歌を止める事は無い。この現象が僕の使命であり、無駄ではない事を知っているから。
「~」
言葉にならない祈りを絞り出し、続ける。
しばらくして詩奈の黒が、その眼に宿る。
詩奈は自身の手に持った其れに気付き、自身の状況に気付くと一言謝った。それに対して僕は悪い顔をしながら、襲われそうになったとにこやかに返した。
「大丈夫だよ。詩奈」
自分は死んでいない。
彼は、誰も殺していない。
正義感の塊が気にするところは一つも無いと、僕はそれだけを言って制服についた土を落とす。アスファルトの感触を久し振りに味わったとだけ、一言付け足しながら笑う。
「アオ」
「ん?」
「やっぱり、隠しているでしょ?」
それでも隠していることがあるとするなら。
僕は、彼がその状態に陥っていることを言っていない。だが、いつ何時それが来るタイミングを知っている。彼が無意識に自身を押さえながら、それと戦っていることを僕だけが知っている。
そして、それに対抗する薬は僕だけである事を理解している。
「何も?僕は薬であるだけ」
「……何それ」
「何だろうね。僕にも分からないな」
僕は、これ以上を望まない。
だけど、これ以下を誰よりも毛嫌いする。
この関係だけは崩れたくないから、僕は今日も嘘を付いた。
失う事に慣れたくないから、日常が変わる続けるこの世界でも”日常”を続けようとしている。
僕は大切な誰かが死んでいることを知っている。僕の父が残そうとしたものを知っているし、その上で今まで努力を惜しまなかった。自分がやれる限りをし続けてきた。それでも世界は変わらないし、それでも人は必ず死ぬ。
聲は毒で
そして
聲は薬で
彼に起きているその現象も、聲に纏わるものだ。僕の声とその歌は、確かにその聲の進行を止める事は出来る。だが、災害が無くなるという事は無い。災害は身を潜突発的に襲い掛かる。毎日のように歌を吐いても、それが完治する事は無い。
僕の友人、渡部詩奈に襲い掛かっていた”それ”も何かしらの音がこびりついている。それが根絶されなければ、彼はヒーローではなくなる。
「アオ」
「帰るよ、詩奈。夜が来るから」
言葉を遮るように理由を立てた。
筋肉質な重みのある手を取って、先に歩き出した。
何か言いたげの詩奈は、言葉が纏まらないらしい。
僕も又、それ以上の言葉が見つからなかった。