5:神の子パンチ
衝撃から先に立ち直ったのは、アンリルであった。
彼は亡者の消失と共に跡形すらなく消え去った炎と、そしてルビアンを凝視し、吊りあがり気味の眼を更に吊り上げた。
「げえっ! てめー、神の子じゃねえか!」
「神の子っ?」
状況を忘れ、ラクナスも仰天する。
神々がごくまれに、人間との間に子を設けると、聞いたことはあった。
が、その存在はもはや眉唾の、都市伝説に近い立ち位置でもある。
しかし神の子と呼ばれたルビアンは、平然と頷く。
「正確には、神の孫です。一対多数でサマルカンド子爵様をいじめる、卑劣漢をお仕置きするべくやって参りました」
「けっ、メスガキがえらそーに!」
鼻で笑ったアンリルが、再度亡者を呼び起こす。先程の倍はあろうかという数だ。
剣を握りなおしたラクナスも、知らず、顔を強張らせる。
しかし、
「うざったいです」
そんなボヤキと共に、ルビアンの手のひらから現れた炎によって、亡者は再び消滅させられる。
あっという間の出来事であった。手出し不要、である。
──神の子とは、こんなにも規格外な生き物なのか。
ラクナスは愕然となった。せっかく握った剣も、うっかりカランと取り落としてしまう程に。
亡者たちを瞬殺されたアンリルも無論、顎が外れんばかりに、大口を開けて硬直している。
ややあって、我に返った彼はがなった。つばもまき散らしている。
「てめっ……てめえっ、何すんだよ!」
「いやいや。それはこっちの台詞ですよ。こんな往来で、何出してるんですか」
「往来って、廃墟じゃねーか!」
「住んでる方はいるんです。住めば都なんですよ、たぶん」
悪魔が相手でも一切動じず、ルビアンは迷いのない歩みでアンリルへ肉薄する。
そんな、殺意も闘志も感じさせぬ歩みだから、アンリルも攻撃へ転ずるのを一瞬躊躇した。
それが、命取りとなった。
「オラァッ!」
ルビアンの泰然とした態度が一変し、ドスの利いた声と共に掲げられた拳が、容赦なくアンリルの顔面を打ち砕いた。
腕は、そのまま振り切られる。鋭く空を切る音がした。
げふ、またはぐふ、と呻いたアンリルは、錐もみしつつ倒れた。
うつ伏せで瓦礫の上に伏し、ぴくぴくと痙攣している。辛うじて、生きてはいるらしい。
「……君は、一体何なんだ?」
不躾だという自覚はあったが、ラクナスはそう訊かざるを得なかった。
飄々とした態度に戻ったルビアンは、彼へ向き直る。目が合い、ラクナスはつい仰け反った。
先程の一打が、率直に言えば怖かったのだ。
「はい。メイトリス孤児院育ちの、武神メイトリスの孫娘です」
怯えるラクナスも意に介さず、ルビアンは軽い口調だ。
武と炎を司る男神、メイトリス。軍人の間で、特に信仰されている一柱だ。
とんでもない娘を養女にしたものだ、とラクナスはクレムリン男爵の無謀さに呆れた。
続いて、自虐的な疑問が首をもたげる。
「危険を冒してまで、何故助けた? 私など、捨て置けば良いものを」
「それこそ何故ですか? 一宿一飯のご恩返しは、当たり前の行動ですよ」
「そう……なのか?」
「はい」
彼女の言葉は、後ろを向くことに慣れてしまったラクナスにとって、新鮮かつ衝撃であった。
良くしてもらったから、恩返しをする。
たしかに当たり前の行為なのだろうが、現在の彼には無縁の優しさだったのだ。
そして彼女の優しさを素直に受け取れるほど、ラクナスは若くなかった。
また、悪意に晒され続けた心は、捻くれてしまっていた。
「……年若い女性が、そんな恰好で外をうろつくものではない」
だから、口をついて出た言葉はそんな、感謝とも善意とも程遠いものであった。
ルビアンは自分の出で立ちを見下ろし、悪戯の見つかった少年のように、困り顔で頬をかいた。
「たしかに。お見苦しいものをお見せして、すみません」
「いや、そういうわけでは」
どこか斜め上に解釈され、ハの字眉になったラクナスは逡巡の末、自身の上着を彼女の肩にかけた。
土埃で汚れているが、薄着のままでいるよりはマシだろう。
上着を大事そうに撫で、ルビアンは彼を見上げる。
「ありがとうございます」
「君の善意に比べれば、大したことはない……助力に、感謝する」
やっと礼を言えたことに、ラクナスはこっそり安堵した。
「お役に立てて、良かったです」
ルビアンも嬉しげに目を細め、微笑んだ。年相応の、可愛らしい笑みだ。
だからこそ、悪魔をぶちのめした際に見せた、悪鬼の如き表情が余計に恐ろしいのだが。
──本当に同一人物なのか?
そんな馬鹿らしい疑問が、ラクナスの脳裏をかすめる。