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45:働くキツネの君

 ラクナスは、へたりこむクレムリン氏の前まで歩むと、目線を合わせるべく腰を落とした。


「ご無事で何よりだ、男爵」

 静かなその声にハッとなり、クレムリン氏は青ざめた顔を持ち上げる。彼の顔は、脂汗にまみれている。視線も、うろうろと落ち着きない。

「えっ、いえ、その……屋敷は、無事とは思えませんし……なにやら、頭もスースーしておるのですが……」

「その程度ならば、微々たる損害だ。この悪魔が、貴公に与えた損害を思えば」

「悪魔……?」


 ラクナスの視線に誘導され、床に突っ伏すシージェを見やるクレムリン氏。

 意識を失っているためか、彼女の擬態が解けており、側頭部の角が露わになっていた。


「あ、あっ、ああああーっ!」

 悲鳴を上げ、クレムリン氏が尻で後ずさる。

 しかしその動きを、ラクナスが肉厚の肩をむんずと掴み、押し留めた。


「そう、貴公のメイドは悪魔だったのだ。その存在を感知し、様子を伺いに参ったところ、貴公も奥方も洗脳されていた次第である。そこで私と従僕の二人で悪魔を調伏し、貴公たちをその支配下から解放したのだ。どこか痛みはあるかね? そうか、ないなら何よりだ。貴公たちが無事で安堵したよ」


 朗々とした声で、ラクナスは畳みかける。まだ頭がぼんやりしているらしく、クレムリン氏はその言葉に疑問も挟まず、ただ涙目で頷いて聞いていた。


 どうして悪魔の存在を、感知できたのか。

 どうやって悪魔を調伏したのか。

 そのような、大いなる疑問が残る説明だが、氏がそれに気づくことはなかった。


 むしろ

「では……我が家の財政状況が、火の車になったのも……!」

「おそらくは、この悪魔によるものだろう。何とも痛ましい限りだ」

「なんということだ……ああ、子爵! お救いくださり、ありがとうございます!」

突き飛ばされた時に、頭を打っていたのか。ラクナスに、這いつくばって礼を言う始末であった。


 生暖かい目でそれを眺めるルビアンに、アンリルが耳打ちした。

「おい。おめーの旦那が、胡散臭え宗教家みてーになってるけど、いいのか?」

「男爵は幸せそうですし、良いんじゃないですかね」


 万事が万事楽天的で、そして割と大雑把なルビアンはそう答え、小さく肩をすくめた。

 言葉通り、全く意に介していない様子である。


 ややあって、話がまとまったらしい。

 地面に這いつくばった姿勢のまま、繰り返し礼を言う男爵を宥めながら、ラクナスがシージェを肩に担いだ。まだ意識の戻らないシージェは、当然無抵抗だ。

 そのままクレムリン氏と一言二言、言葉を交わした彼は、二人の元へ戻って来る。


「ソイツ、警察に突き出さねーのか?」

「突き出せばクレムリン氏も、あらぬ疑いを掛けられかねないからな」

 駆け寄るアンリルへ、ラクナスは苦笑した。そして彼の耳元で、こっそり打ち明ける。


「警察署で彼女が、君のことを暴露する可能性もあるだろう?」

 ラクナスの懸念に、アンリルの勝気そうな眉が寄せられる。

「あ、そっか……無理させちまって、わりー」


 苦笑を浮かべ、ラクナスは首を振る。

「いや、腹を探られて困るのは、私も一緒さ。シージェは新月の晩までは、屋敷で監視することにした。その方が安全だろう」

「それもそうだな。キツネの旦那と、武神の嫁の屋敷だしな。サツより信頼できるぜ」

「そう言ってもらえて、何よりだよ」


 照れたように、控えめに微笑む彼を先頭に、扉の吹き飛んだ玄関をくぐる。


 そこには、ルビアンが乗って来た馬がまだ、待ち構えていた。

 荒れ放題の庭の芝を食んでいた馬が、顔を上げて嘶く。


 有事から日常に戻ったと思った束の間の、非日常的光景に、ラクナスとアンリルはぽかん、と呆ける。


 先に我に戻ったのは、ラクナスだった。

「ルビアン……この馬は……」

 まさか、馬泥棒をしたのではないだろうな、とその青い目が怯えている。


 夫の不安を、ルビアンは笑顔で一蹴した。

「いつもお世話になってる、御者さんにお借りしました。お屋敷を飛び出たところでばったり会って、『こっちの方が速いから』って貸してくれたんです」

「なるほど。乗馬が出来たんだな」

「田舎育ちですから。もっとも孤児院じゃ、牛やイノシシに乗る方が多かったですけど」

「……落馬せず、何よりだ」


──夜着姿の領主夫人を見れば、そりゃ馬も貸すか。

 辻馬車の彼には、夫婦そろって迷惑を掛けているらしい。近い内に礼をしなければ、とラクナスは思案する。


 妻の型破りな行動に、引きつった半笑いを浮かべる彼に代わって、アンリルが手綱を握った。

 次いで、ニヤリと二人へ振り返った。


「じゃ、オレはその御者を探してくるよ。シージェ担いだまま、徒歩で帰るワケにもいかねーしな」

 アンリルの指摘通り、現在のラクナスは、どう贔屓目に見ても誘拐犯である。

「ああ、頼んだ」

 ラクナスの声を背中に聞きつつ、アンリルは馬連れで大通りへ出て行った。


 やがて彼が見つけてくれた御者は、もはや少々のことでは動揺しなくなっていた。

 ラクナスが、未だ失神中のシージェについて、

「アンリルの親戚で、クレムリン家で暴れていたのを捕獲した」

と、虚実ない交ぜの言い訳をしても、悟った笑みを浮かべるばかりであった。


「領主様は変わり者だから、従僕もその親戚も変わり者だろう」

 その目が、雄弁に語っていた。

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