表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/48

35:夕暮れの決闘

 日が暮れつつある空は、いつもよりも赤く鮮やかだ。


「明日は雨かもしれませんね」

 空を見上げ、ルビアンが呟く。空の色を映し、深紅の髪も一層美しく輝いていた。

 ラクナスもつられ、視線を仰ぐ。次いで、紺碧の目が細められた。


「剣術クラブは、休み、か」

「かもしれないですね。ご愁傷様です」

 どこか未練のこもった夫の声に、ルビアンは殊勝な様子で頷き、彼の背中を撫でる。


 他愛のない会話を交わしながら、ピクニックから帰って来た二人を、屋敷の前にいるアンリルが出迎えた。


「ああ、帰って来──旦那、なんでキツネになってやがんだ?」

 二人を見とめて明るくなった表情は、しかし、すぐさま訝しむものに変わっていた。

「……バッタが」

 それだけ呟き、ラクナスは金褐色の両手で顔を覆って、その場にうずくまる。


「バッタがどうしたって言うんだよ? 犯されたってか?」

「ある意味では、そうなのかも」

 一つ笑って、ルビアンが続きを請け負った。


「ラクナス様のお顔に、バッタが飛び付いちゃったんですよ」

「おーおー、運が悪いことで。で、それで転化しちまったのか」


 ラクナスの虫嫌いは、サマルカンド家において周知の事実である。


 震える両手で顔を覆うラクナスは、手と同じく震え声を絞り出した。

「間近に、見てしまった……緑の、ぶよぶよした、腹を……節のある、ひやりとした、独特の触感が、私の頬に……」

「やめろよなぁ! オレまで苦手になるじゃねーか!」

 アンリルが両耳を塞ぎ、膝をつき、絶叫する。


「そのお腹が可愛いんだけどな」

 ルビアンの呟きに同意する者は、もちろんいなかった。


 大声でラクナスの恐怖体験をかき消していたアンリルだったが、途中で我に返る。

「……ってか、んなこと言ってる場合じゃねーし! 丁度いいから、そのまま来てくれよ!」

「丁度、いい?」


 呪詛のように、滔々とバッタの恐ろしさを語っていたラクナスも、はたりと現実に戻った。

「喧嘩してやがんだよ、繁華街で!」

「喧嘩?」

「え、喧嘩ですか?」

 そこまで慌てふためくことだろうか、とラクナスとルビアンは彼を見つめた。

 そもそも喧嘩の仲裁は、領主でなく警察の仕事である。


「喧嘩してんのが、ギャングの若造共なんだよ! ポリ公も手出しできねーんだよ!」

「何!」

「アンリル、それを先に言わなきゃ」


 アンリルの焦りが伝播し、二人も慌てふためく。

 ために、ラクナスが人に戻る暇もなく、馬車を捕まえて繁華街へ向かった。

 御者はラクナスの姿に縮こまったものの、それでも馬車は事故も起こさずに、無事目的地へ着く。


 黄昏時の繁華街は、まるで地下闘技場の様相を呈していた。

 ナイフを持って睨み合う青年二人を、血走った眼の男たちが囲んでいる。

 青年二人は、それまでにも殴り合いを続けていたのだろう。あちこち傷だらけで血だらけだ。


 男たちは二人を囃し立てながら、どちらが勝つのかと賭けをしていた。

 それを遠巻きに、女性と子供たちが見守る──否、非難するような、怯えるような眼差しを注いでいる。軽く地獄絵図である。


「なんて大がかりな。ギャングって暇なのかな」

 ルビアンはその光景に、腕を組んで呆れ果てている。


 しかし領主であるラクナスは、傍観しているわけにもいかない。

 二人の喧嘩がやがて、ギャング間の抗争へと発展しかねないのだ。


 馬車を飛び降りたラクナスが、喉をうならせ不機嫌を露わにした。

 次いで、朗々とした声を張る。

「何をやって、いるんだ!」

 

 青空教室で鍛えた声量は、男たちの熱狂すらも上回った。

 むさ苦しく暑苦しかった場が一変し、しんと静まり返る。誰もが表情を見失い、気が抜けたようにラクナスを見つめていた。


「うっ……うわああああ! キツネの騎士様だあああ!」


 最初に叫んだのは、喧嘩中のギャングだった。片方が青ざめた顔で、裏返った悲鳴を上げたのだ。

 硬直していたもう一方も、その声で動き出す。ナイフを放り出し、逃げたのだ。足を痛めていたのか、よろめいた彼を、喧嘩相手が支えた。

 そのまま二人で、仲良く逃走する。喧嘩は引き分け、ということか。


 そこから間を置かずに、観戦していた男たちも、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


「キツネの騎士様だ! 怒られるぞ!」

「賭けがバレちまったら、なます切りにされちまう!」


 確かに賭け事は、国法により禁止されているが。

 注意こそすれ、間違ってもなます切りなんてするつもりはない。


 ラクナスは結構傷ついた。耳としっぽが垂れ下がる。

 そして好機とばかりに、垂れたしっぽをルビアンが掴み、おもむろに顔を突っ込んだ。


 そのままスーハースーハーと、豊かな尾に顔を埋めたまま深呼吸。ついでにグリグリと、勢いよく頬ずりもする。


──私の愛する妻は、どうやら変態だったらしい。


「ああー、思った通りの感触です。ふわふわだ」

「……それは、何よりだよ」


 しかし、ルビアンの奇行に呆れている暇はなかった。

 女性や子供、そして決闘へ冷ややかな目を向けていた一部の男性が、二人を取り囲んだのだ。


──これは……やはり、石で打たれるのだろうか?

 ラクナスの毛が逆立つ。


 ルビアンを抱き寄せて庇いながら、訪れるであろう暴力に備えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ