32:彼女の騎士様
ルビアンの両親は、彼女が幼い頃に事故で死んだ。
それ以来彼女は、祖父のはからいでメイトリス孤児院に預けられていた。メイトリス神を信奉する教会が運営している、「質実剛健」をモットーとする孤児院だ。
なお、祖父は自分の宮殿に招くことも検討していたらしいが、既に天界へ上がっている祖母と両親が
「あの子を早死にさせないでください」
と止めたらしい。有り難い話である。
とはいえ祖父の心配りによって、虐待等の暗い事象とは無縁の、慎ましくも逞しい日々を送ることが出来た。
だから今もルビアンは、生まれ育った孤児院を愛しく思っている。
だが、逞しく育てられたからと言って、恋に憧れないわけではなかった。
物語に出てくるような騎士様と劇的な出会いを果たし、共闘して巨悪を打ち倒し、そして恋に落ちる──そんな夢想をするようになった、十歳の時。
彼女はたしかに運命の相手と、劇的な出会いを果たしたのだ。それも、悪い方向に。
突然孤児院にやって来た人類軍の兵士は、制止する修道女たちを拘束した。
そして、
「物怖じせず、泣き喚かない。こいつが一番扱いやすそうだ」
という理由だけで、嫌がるルビアンを連れ去った。十人がかりで。
ルビアンを魔界軍との紛争地域へ連行した彼らは、彼女の命と引き換えに、人類軍の脅威であった、キツネ騎士の投降を要求したのだ。
「分かった、投降しよう。その代わり、彼女を無下に、扱うな。戦場から、早く連れ出して、やってくれ」
ピンと背筋を伸ばした異形の騎士は、ルビアンの安全だけを気遣い、あっさり捕虜となった。
その様を眺め、人類軍は嘲笑した。
「本当に、ガキ一匹で捕まえられたよ」
「どれだけチョロいんだ」
「こんな奴にいいようにされてたなんて、腹立たしいぜ」
「あとでお返しは、たっぷりしてやらねぇとな」
「ったく……ガキ捕まえる方が、大変だったじゃねえか。誰だよ、コイツが扱いやすいって言いだした奴」
ルビアンは憤慨した。自分を縛る兵士の脛を蹴り、騎士を嘲笑った連中にも金的を加えるほどに。
特に、自分も虚仮にした最後の兵士には、念入りに仕返しをした。
次いで願った。
見ず知らずのちっぽけな自分のため、あえて敵陣に飛び込んでくれた騎士に、もう一度会いたいと。
会って何をしたいか等は、一切考えていなかった。
彼は運命の人だから、会えば何かが閃くと思ったのだ。
そして、たった一度だけ出会った人を想い続けていた彼女は、祖父のはからいであろうか、キツネの騎士その人との再会を果たす。
姿は変わっていたが、社交界での噂は耳にしていたので、彼だとすぐに分かった。むしろ、より凛々しく精悍な姿に、心が再度ときめいたほどだ。
一方で、理知的で優しい紺碧の瞳は、当時と変わっていなかった。少しばかり、陰が差している気もしたが。
そんな美しい瞳と視線が合い、あまりの嬉しさに彼女はつい、舞い上がってしまった結果、
「素敵なお耳ですね」
きっと彼が負い目にしているであろう、身体的特徴に触れてしまった。これだけは、今も後悔している。
ただ、素敵な耳だと思ったことは本当なのだ。
そしてルビアンが、改めてそのことを謝罪すると、
「そのおかげで、君と結婚出来たんだ。私も感謝している」
なんとも見目麗しい笑顔で、さらりと受け流された。大人である。
こういう時は、年齢の隔たりを感じなくもない。
もっとも子ども扱いされていないことも、随所で十分思い知らされているが。
──ラクナス様はずるい。隣に立っているだけで、私はこんなにもドキドキしているのに。
そんな自分勝手な妻の不満に、気付いているのかいないのか。ラクナスは平素と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべ、唇を尖らせるルビアンの頬を撫でた。
「せっかく二人で出かけているんだ。謝罪はなしにしよう」
「はい。ありがとうございます」
優しいラクナスの言葉に、ルビアンも笑顔を取り戻し、素直に頷く。
二人はデート中だった。今日だけは、アンリルの同行もなしだ。