表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/48

20:恋は盲目(悪魔であろうと)

 喪服のようなドレス姿のシージェは、一見すると単なる淑女である。

 蔦の生い茂った幽霊屋敷──もといサマルカンド邸を背後にしていると、なおさら葬式感が強かった。


 おそらくラクナスも、獣人になっていなければ、彼女を未亡人か何かと勘違いしただろう。

 そんな暗い服に反して、明るい表情の彼女が駆け寄って来るが、アンリルは俊敏に避けた。


「もおっ、アンリル様ったら!」

 きゃはっと笑ったシージェは、たたらを踏みつつ止まり、方向転換。

 そして再度アンリルへ突進するも、また避けられる。


「受け止めてあげようよ、アンリル」

 その不毛な鬼ごっこを、気の毒に思ったらしい。つい、ルビアンが声を掛けた。


 そこでようやく、シージェはルビアンと、ついでにラクナスの存在に気付いたようだ。

 立ち止まった彼女はゆっくりと、二人へ顔を向ける。笑顔がかき消され、無表情だ。


「ねえ……アンリル様。この者たちはどなたですの?」

 眉間にしわを寄せているアンリルの幼い顔が、ますます強張った。彼はせわしなく髪をかきまわし、鼻をかきながら、うろうろと視線もさ迷わせる。


「あ、あれだよ……コイツらんトコに居候してんだよ。居候先の旦那と嫁さんだ」

「このキツネに見覚えがありますが。アンリル様が作った、魔界軍の騎士ですわね?」

「お、おう」


 シージェはアンリルの方を見ず、ラクナスたちをにらみつけた。

 次いで、吠える。

「つまり、この者たちに脅され、虐げられておりますのね!」

「なんでそうなるんだよ!」

 泣きそうな声を出し、アンリルはシージェへ詰め寄る。しかし、遅かった。


 彼の伸ばした腕がシージェを捕えるより早く、彼女はラクナスへ肉薄する。手にしていた日傘を、振りかぶった。

 獣性に支配された思考のため、ラクナスは反応に遅れた。日傘が振り下ろされる。

 その先端からは、刃が突き出ていた。仕込み傘──暗器だ。


「ラクナス様!」

 ルビアンが彼を突き飛ばすのと、彼女のかざす左腕に暗器が刺さるのは、ほぼ同時であった。

 刃が埋まった箇所から、鮮やかな血がしたたり落ちる。


「ふん、メスブタが。こざかしい」

 急所を避けたルビアンを、シージェが嘲る。刺さったままの仕込み傘を、ぐるりとねじった。

 気丈にもシージェをねめつけたままだった、ルビアンの表情が痛みに歪む。

「ぅあっ……」

「ルビアン!」

 突き飛ばされた状態から反転し、身を起こしたラクナスが叫ぶ。


「私の妻に、触るな!」

 鋭い歯をむき出しにして咆哮し、ラクナスは地面を蹴った。その俊敏さは、肉眼で追うことが困難なほどだった。


 ために今度は、シージェが出遅れる。嗜虐性を隠そうともせずルビアンを嬲っていた彼女は、まず仕込み傘を手放すことに遅れた。

 ついで獲物を放置し、逃げることにも遅れた。


 一瞬とは言えたじろいだ彼女の肩を、キツネの爪がえぐった。

「きゃあああ!」

 熱のような激痛と、視界を染める血しぶきに、シージェは絶叫する。


 深手を負い、緩んだ彼女の腕から、仕込み傘ごとルビアンを奪取する。

 奪い返した拍子に刃が、ルビアンの腕から抜け落ちる。とぷり、と零れだす鮮血と痛みに、また彼女の顔が歪められた。


 再び流れ始めた血の匂いが、ラクナスをますます怒りへ駆り立てる。

 ルビアンを地面に寝かせ、シージェへ唸った。


「次は、全身を、切り裂いてやる……!」

「やってみなさいよ! 獣人風情が!」

 血が流れ続ける肩を押さえながら、爛々とした目でシージェも威嚇する。彼女の周囲に、漆黒の閃光が走った。


 両者の衝突を止めたのは、アンリルだった。

「往来で何やってんだよ、てめーら!」

 アンリルは両手をかざし、無数の鬼火を呼び出す。それを、二人目がけて放った。

 彼らのすぐ目の前で、鬼火は爆ぜる。


「ぐっ」

「きゃっ……」


 目くらまし程度の威力しかないものの、双方を怯ませるには十二分だった。


 その隙に彼は、手持ちのハンカチでルビアンの傷口を縛り、止血を試みる。

 途端に周囲を包む血の匂いが、わずかにだが薄れた。

「旦那、落ち着け! ルビアンなら大丈夫だ、致命傷じゃねー!」

 彼女を支えながら、アンリルが叫ぶ。


 悪魔による応急処置を施されるまま、ルビアンは無傷の腕をラクナスへ伸ばした。


「ラクナス様。殺しちゃ駄目です」


 彼女の澄んだ声を背に聞き、ラクナスの肩が小さく震えた。逆立っていた体毛が、かすかにだが鎮まる。

 ゆるゆると、彼はルビアンへ振り返った。殺意にぎらついていた青の瞳は、理性の火を灯していた。


「ルビアン……傷は?」

 痛みを堪え、ルビアンがにっと笑う。

「これぐらい、かすり傷ですよ。何ともないです。だからラクナス様も、怒らないでください。優しいラクナス様が、私好きなんです」

「……すまない」


 アンリルは安堵の息を零し、ふらつく彼女をラクナスへ託す。

 次にシージェへ詰め寄り、至近距離で怒鳴った。


「シージェ! 誰がてめーに助けを呼んだんだ!」

 肉のえぐられた傷口を押さえたまま、シージェの瞳は揺れた。


「だっ……だって、アンリル様が戻ってこないから。いつまでたっても、帰ってこないから……アタシ、心配で!」

「オレは好きでここにいんだよ! そもそもてめーに、助けを頼んじゃいねーんだよ! 勝手な真似すんな! 帰れ!」

 恫喝するアンリルの迫力は、魔界軍に相応しいものがあった。


 シージェの藤色の瞳が、涙で潤む。

「ひどい……なんで、なんで、そんなこと言うの? アタシは、アンリル様が大好きで……」

「オレはてめーを好きじゃねえ! 何度も言わせんじゃねーよ!」

「ひどいっ!」

 ぽろぽろと涙をこぼし、血を滴らせ、シージェは踵を返して走り去った。


 内股で敵前逃亡するその細い背中を、ラクナスとルビアンは唖然と見送った。


「彼女さん、追いかけなくていいの?」

 ラクナスに抱きかかえられたルビアンが、そう問いかける。


 途端に、それはそれは嫌そうなアンリルの顔が振り返った。庭の雑草抜きを命じられた時でも、ここまで不景気な面構えではなかったはずだ。


「今のやり取り見て、あいつがオレの彼女だと思うか?」

「思わないけど、別れた恋人の可能性はあるかな、と」

「こえーこと言うな! あるわけねーだろ! 単なる顔見知りだ! そのくせ俺につきまとって離れねーわ、彼女面してくるわで、めちゃめちゃ恐ろしい女なんだよ!」

「……それは怖い」


 その思い込みの激しさで傷を負ったルビアンは、盛大に顔をしかめた。

 彼女を抱えるラクナスも、長い鼻筋にしわを刻み、不機嫌に唸った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ