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12:鞭と料理

「アンリルが逃げ出した?」

「はい、面目次第もございません……」

 青空教室と剣術クラブ、そして図書館通いを終えたラクナスを待っていたのは、バルージャからの不穏な報告であった。

 

 知らず、ラクナスの表情も険しくなる。

「それで、アンリルは今どこに?」

「幸い、ルビアン様がすぐに発見してくださいました」

 真っ白なハンカチで汗を拭いつつ、バルージャがそう語る。


「ルビアンが」

「はい。その甲斐もございまして、戻られたアンリル殿は乙女のように従順でございました」

「あまり見たくない光景だな」

 想像して、ラクナスは渋い顔になる。寒気も覚えた。


「彼女が仕置きをしたのなら、私からは不要だな。また、乙女のように泣かれても困る」

 部屋着に着替える主人を手伝いながら、バルージャは大きく頷いた。

「左様でございますね。むしろ、たまには飴も必要かと」

「飴か。最近の働きぶりはどうなんだ?」


 ガウンへ腕を通したラクナスは、自ら金褐色の髪を結いなおす。

 人間の耳がなくなった、側頭部を隠すために伸ばし始めた髪だったが、今では長いことが当たり前になっていた。慣れというのは、実に恐ろしい。


「文句を言いつつ、与えられた仕事は忠実にこなしております。悪ぶっておりますが、根は坊ちゃんに近しい印象も受けます」

 つまりは、馬鹿がつくほどの真面目ということか。

「ますます不良少年のようだな」

「ええ。ですので飴として、坊ちゃんの手料理を振る舞われては如何でございましょう?」


 料理は、ラクナスの数ある趣味の一つだった。

 また公爵家にいた頃から、使用人たちを労って食事を振る舞うこともあった。

 家族からは、あまり良い顔をされていなかったが。


「悪魔が食事で釣れるのか?」

 ラクナスは首を捻る。

 飴と呼ぶには、あまりにも子供だましのような気がしたのだ。


「小さな外見に見合わず大食漢ですので、十分すぎるほどの餌になりますかと」

 モノクルをくい、と押し上げたバルージャは、自信満々の様子である。

 つい、ラクナスは小さく噴き出す。

「随分と安上がりな悪魔も、いたものだな」


 とはいえバルージャから、料理の催促をされるのは満更でもない。

 シロマの料理と比べれば簡単な物しか作れないが、それでも「美味しい」と喜んでもらえることが嬉しいのだ。


「分かった、一度考えてみよう。じいや、報告ありがとう」

 そう言うとバルージャは、目を細めて優しく笑った。

「恐縮です。それでは、ご夕食になさりましょう。ルビアン様もお待ちでございます」


「そうだったな。……彼女はアレを、今晩も言うと思うか?」

 廊下へ出たラクナスは、声を潜めて傍らの家令へ問う。


 ルビアンが屋敷へ来て、一ヶ月が経とうとしていた。

 彼女はサマルカンド邸へ、やむを得ず宿泊した日からずっと、客間で生活をしている。当然、ラクナスとは寝床も別々だ。

 だが最近、「夫婦なのだから、同室で寝るべきだ」と主張するようになっていた。


 心の伴わない結婚をしたとはいえ、夫婦関係は現在も絶賛継続中だ。おまけに仲も、そう悪いものではない。

 彼女の主張は分かるし、ある意味では健全で建設的な考え方だ。


 ぴん、と背筋を伸ばしたまま、バルージャはかそけき声で返答した。

「ルビアン様は本気のご様子です。おそらく仰いますでしょう」

「そう、だな……夫婦の務めだということは、私も分かっているんだが」


 それに、ルビアンに魅力を感じないわけではない。

 だがラクナスにも、彼女を寝床へ招き入れられない理由があった。

 そしてその理由は未だ、改善の糸口も見えずにいるのだ。


「よもや坊ちゃんは、男色になられたのでしょうか?」

「そんなわけあるか」

 少々品のない冗談に、しばしラクナスの心がほぐれる。


「夫婦同室に関しても、前向きに検討すべきなんだろうな」

「左様でございますね。ただ、坊ちゃんは真面目でございますから……あまり深刻に、お考えになりませぬよう」


 バルージャにとってラクナスは、未だおむつも取れない赤ん坊のままなのかもしれない。

 気遣わしげな視線へ向き直るとふと、そんな気がした。

 むずがゆさと同時に、温かさも覚える。


「ああ、ありがとう。じいや」

 だから努めて優しい声音になるよう、声を紡ぐ。

 そして絨毯を踏みしめ、色々と積極的な妻が待つ、食堂への階段を下りた。


 食堂のテーブルに、ルビアンは既に着席していた。

 彼女はラクナスの姿を見とめると、椅子から下り、楚々と頭を下げて

「ラクナス様。今夜こそ一緒に寝ましょう」

開口一番、初夜をねだった。


「今はまだ、駄目だ」

 ため息交じりに、ラクナスがそれを跳ねのける。

「どうしてですか。私、ラクナス様と一緒にもっと、たくさんの時間を過ごしたいです」

「もっとお互いを知ってからでも、遅くはないはずだ」


 彼も男だ。それにまだまだ、枯れてもいない。

 魅力的な女性と同居していれば、当然そういった欲望もある。

 それでもラクナスには、共寝を出来ない理由があった。

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