19
わたしは夢を見た。
懐かしい夢だった。
お母様とお父様……そして、お兄ちゃんがいた。
みんなで一緒に歩いていた。
家族みんなで遊園地へ旅行に行き、その帰りのことだ。
夕暮れの並木道で。
わたしはダダをこねていた。
遊園地で観覧車に乗り損ねたのだ。
締めくくりに観覧車に乗りたかったのだけど閉園時間のせいで観覧車はとまったいたのだ。
わたしは泣いて喚いて、お母様もお父様もお兄ちゃんも困らせた。
頭をいっぱい撫でてもらった。
またこようねと笑いかけてくれた。
はっきり言って幸せだった。
だけど、わたしはどうしてもそれが受け入れられなかった。
散々、泣いて。泣き疲れてただただ甘やかされた。
夜には好きな物も食べさせてもらったし、いっぱいいっぱい幸せをもらった。
楽しかった。
観覧車に乗れなかったことは悲しかったけど最後にはしぶしぶ納得した。
また、今度。
そんな約束を交わした。
でも、わたしは死んだ。
交通事故だった。
トラックに跳ねられて。
たくさん血が出て、あんなに笑顔だったお兄ちゃんがいっぱい泣いていた。
痛みはなかった。
ぼんやりとした意識の中、お兄ちゃんがずっとずっとわたしの手を握ってくれていた。
嬉しかった。
でも、寂しかった。
わたしはもう死ぬんだって気づいたから。
次に目が覚めた時、わたしはわたしじゃなかった。
知らない男の人がわたしをクリスティナと呼び、他の人たちはクリスティナ様や姫様と呼んでいた。
そう、わたしは転生したのだ。
クリスティナ・ソフィーリィ・アストリアへと。
はじめは戸惑ったけど、すぐに慣れた。元の世界での日々が少なかったからかもしれない。
でも、名前だけはどうしても忘れたくなくて周りには元の名前に近いティナと呼ぶようにしてもらった。
ティナとなってからはいろんな人と出会い、いろんなことをした。
元の世界での知識を試してみたり、転生によって手に入れた異能力で人を助けたりした。
でも、昔の幸せが眩しかった。
優しかったお兄ちゃんがいない。
顔は思い出せないけどあの手のひらは覚えている。
やがて、わたしは挫折した。
異能力を使い過ぎてわたしは破滅に追い込まれたのだ。
強すぎる力は2人目のお父様を殺した。
わたしにとって2人目のお父様は最後の大切な人だった。
国王という重責に包まれお母様を亡くしながらもわたしを育ててくれた方。そして、わたしの前世を知り、それを承知のうえで愛し、異能力をうけいれてくれた。
そんな人だったから亡くなった時の絶望は果てしなかった。
わたしは前世を含めた人生で2度もお父様を失ったのだ。
わたしは……もう一度、愛が……家族が欲しかった。二度と失うことのない絶対的な家族が欲しかった。
それは婚約者とか子供が欲しいとかではなかった。
となりに並ぶパートナーでも自分が愛すべき子でもない。ただ、昔の、前世のように甘やかされたかったのだ。
だから、わたしはお兄ちゃんを呼んだのだ。
……。
懐かしい夢は唐突に終わる。
最後に景色はボンヤリとした“お兄ちゃん”。
前世と今の光景が重なる。
また、“お兄ちゃん”と離れ離れになる。
そんな気がしたのだ。
「お兄……ちゃん」
“お兄ちゃん”を呼ぶ。
「お兄ちゃん」
新しい”お兄ちゃん“。
無理やり”お兄ちゃん“にしたけど、”お兄ちゃん“は優しかった。
「ユウヤお兄ちゃん」
ユウヤ”お兄ちゃん“。
前世の”お兄ちゃん“には似てないけど、わたしの大切な家族。
嫌がっていたけど、わたしを撫でてくれた。
うれしかった。
無理やり作った家族だったけど。
ユウヤ”お兄ちゃん“は最後には笑ってくれた。
わたしの能力では笑わせることはできない。
だから、ユウヤ”お兄ちゃん“が笑っているところを見てとてもうれしかった。
もう離れたくない。
「待たせたな、ティナ」
***
ティナが呼ぶ声が聞こえた気がした。
秘密の部屋へと入ってすぐのことだった。
はじめはただの狭い通路だったけど、だんだんと奥に明かりが見えはじめ、やがてひらけた空間へと出た。
「ここは……」
巨大な空間。ひんやりとした空気と埃っぽい空気が混じり合って独特の雰囲気をかもしだしていた。
「国王様。危険です。このまま後ろへ」
騎士たちの制止を振り切って俺は空間の真ん中へと赴く。
ドーム状になった天井には何か絵画のようなものが描かれておりユラユラと揺れるロウソクの火が神秘的に照らしていた。
ここには誰もいない。
セシリアもティナも貴族たちも彼女もいない。
もっと奥があるのだろうか。
空間の真ん中から奥へと足を踏み出すと明かりが増えた。
ロウソクではない人工的な明かり。おそらく、魔法によるものだろう。
その明かりは空間の奥を静かに照らしていた。
そこにはティナがいた。
キリストのように身体を壁に貼り付けられ、目を閉じている。
両手には釘が刺さり、生々しい血の赤が滴り落ちていた。
近づくとティナから俺を呼ぶ声が聞こえた。
悲痛そうな表情。なにかを求める声。
俺はそっとティナへと言葉を紡いだ。
「待たせたな、ティナ」
俺の言葉が聞こえたのかティナの表情が明るくなる。意識はないようだが、ほんの少しばかり笑っているような気がした。
「ご感動の対面のところ申し訳ございませんユウヤ王様」
「セシリア……セシリア・ウェストか」
魔力の光に照らされた白い髪。
ティナと俺の間を遮るように割って入ってきたのはセシリアだ。
妖艶な笑みを浮かべながら、彼女はその紅い瞳をこちらへ向けた。
「どういうことだ! お前の目的は俺のはずだろ! どうして、ティナにこんなことをする!」
「どうして? それをユウヤ王様へ伝える義務はありませんですが……強いて言うなら愛ゆえと」
「愛? なにが愛だ。ティナを傷つけておいてよく言ったものだ」
「あら? ユウヤ王様は誤解してますわ」
セシリアは俺の疑問に対して、さも当然だと言わんばかりに嗤いだす。
「誤解だと?」
「私が愛しているのはそちらのまがい物のティナ様ではありません」
「私が愛しているのはもっと美しく、もっと強く、もっと気高いティナ様。そちらにいるのは害虫に蝕まれたまがい物……偽物ですわ」
「はぁ? 偽物だと?」
「偽物ですわ。少なくとも私たちにとっては」
意味がわからない。
ティナが偽物なんてどういうことだ。
それに”私たち“。
セシリアの口ぶりからすると、アイツはやっぱり俺の敵ということになる。
「知っているとは思いますが、ユウヤ王様には国王になってほしくありませんでしたわ」
「なぜなら、ただでさえ害虫に蝕まれているティナ様にもっと害虫が湧くんですもの。それにまがい物でもティナ様が王になればきっと、本物のティナ様が再び私たちの前へと出てきてくれますわ」
「なぁ、さっきから本物だ。まがい物だって一体なんなんだよ。ティナはティナだろう」
「ああ、さすがは害虫。本物のティナ様とまがい物の区別がつかないなんて。あなたのようなティナ様を汚す害虫は早く、早く駆除しませんと!」
殺気。
セシリアの言っていることはよくわからないが俺を殺す気なのはたしかだ。
本物のティナ。まがい物のティナ。
セシリアの言うティナとは一体誰のことを指すのだろう。
だけど、それは捕まえた後にゆっくりと吐かせればいいことだ。
「おまえら、【セシリアを捕らえろ】!」
命令。俺の異能力を用いた最強の命令ならたとえ、セシリア配下の騎士であっても逆らえないはずだ。
彼らにも少しづつ俺の言霊を撃ち込んでおいたので確実に効くだろう。
しかし、誰も動くどころか返事をする気配もない。
彼らのいたところを振り向くとやはり、倒されていた。
メアリーによって。
2本の短剣を逆手に持ったメアリーが感情のない瞳でこちらを見ている。メイド服は返り血で染まり、彼女の綺麗な頰にも赤い液体が付着していた。
「ははっ、また最悪なところで出てくるんだなメアリー」
「申し訳ございません、ユウヤ様。私個人としてはあなたは良い王になると思いますが、ティナ様には代えられません」
「メアリーが敵側だってのは薄々知っていたけど、セシリアと同じで本物のティナって奴を崇拝しているのか?」
「……ユウヤ様。汚らわしい口でティナ様のお名前を汚さないでください。2度と汚されないよう縫い付けますよ」
「怖いなぁ、もう」
メアリーもまたセシリアと同じく本物のティナという人を異常なまでに信仰しているようだ。
それほどまでにティナへ執着する何かがあるというのだろうか。
「失礼しました。ですが、あなたの口からティナ様の名前を聞く度、虫酸が走りますので今後、やめるようにお願いします」
「今後があるのか俺に?」
「少なくとも、国王の位を返上するというなら私の刃は収めましょう。もちろん、ティナ様の”お兄様“という立場は捨てていただきますが」
悪くない提案だ。
ここに来たばかりの俺だったらOKと即答していただろう。
無理やり異世界へ召喚され、いきなり王にされたあの時だったらこの提案は魅力的だっただろう。
しかし、今は違う。
ティナにとって俺が”お兄ちゃん“であるように俺にとってティナはもう”妹“だ。
まがい物でもいい。
作られた感情でもいい。
俺は今、ティナを失いたくないのだ。
「断る」
簡潔に答える。弁明はいらない。飾りの言葉も必要ない。
「そうですか、なら仕方ありません。セシリア様の言う通り駆除いたします」
メアリーが動いた。
疾い。ナタリーほどではないけど、鍛えられた人間の最適化された動きだ。
素人同然の俺には対処は不可能だ。
そう、俺には、な。
「国王陛下!」
倒れていた騎士の1人が立ち上がる。
メアリーの背後から彼はいきおいよくタックルした。
「ぐっ……」
俺はあらかじめ騎士の1人に倒れたフリをするように命令していた。
メアリーに狙われないように、俺に近い位置へ配置し、メアリー襲撃と同時に倒れたフリをしてもらっていたのだ。
闇討ちをしてくるであろうメアリーを対処するための案の1つだったがまんまと引っかかってくれて少しうれしい。
「小癪な……」
短剣を突き立て騎士が倒れる。
急所は外れているみたいなので生命の危険はなさそうだが、もうメアリーを止める力はないだろう。
だが、これで万策が尽きたわけではない。
「メアリー、そして、セシリア。もういいかな?」
「なにを!」
俺の言葉にメアリーが憤慨する。セシリアも目に見えて怒っている。
「いいか。どんな時にも。どんなことにも。順序ってものがある。順序を守り、順序通りにすれば大抵のことはうまくいく。俺のやっている産業革命もそうだし、人生だってそうだ」
これは俺のポリシーだ。
パズルのように正解となる道筋があって、それ通りにすれば正解となる。実にシンプルな理論だ。
「だから、俺がこの場へ何もせずにのこのこ来ていると思ったら大違いなんだ」
「減らず口だわ。メアリー、今なら殺れるわ!」
「はい。ユウヤ様……覚悟!」
メアリーが俺へと向かってくる。
俺はメアリーへ向けて瓶詰めした液体を投げ込んだ。
「私にこんな物は効きません」
短剣で瓶を弾き飛ばす。薄いガラスでできたその瓶は短剣とぶつかった拍子で割れ中の液体がメアリーへと掛かった。
「!? この匂いは……?」
メアリーが止まる。
得体の知れない液体をかけられてまでこちらへ突っ込んでくるほどバカじゃないみたいだ。
「石炭を蒸し焼きにするとコークスができることは知っているよな」
「その過程でコールタールっていう液体が取れる」
「あの黒い液体ですね……ですが、これは透明です」
「それはベンゼンっていう液体だ。コールタールからさらに抽出することができる液体でよく燃える」
「!?」
コークスはすでに生産を開始しており、その副産物としてコールタールも大量にできている。
石油が見つかっていない今、液体燃料の研究としてコールタールからベンゼンを抽出していたのだ。
アダムの工房で作成し、出来上がったものを城に持って来させていたのだが、なかなか確認するヒマもなく、なおかつ危険物だったため、城の外の安全なところに置いていたのだ。
ここへ来る途中、何か武器になるものを探していたときにたまたま目に入ったので持ってきたのだが想定通り役に立ったようだ。
「動かない方がいい。ロウソクの火で引火すれば燃える。それにその液体は揮発性といって空気に溶ける。風のない密閉されたこの部屋でも動けば引火する可能性がある」
「くっ……」
歯を食いしばるメアリー。
俺に対するメアリーの評価は高い。さらに俺には能力がある。
それらによってメアリーの意思は自然と俺が有利となる方へと傾くはずだ。
動いてはいけないという心理と動くなという俺の命令が合わさり、メアリーは自然と動きを止めた。
よし、これでメアリーは一時的にでも封じることができた。
メアリーのティナへの想いは本物だ。
だから、この状態であっても振り払われる可能性がある。
その前にセシリアをなんとかしないと。