14
その日の朝、総務大臣であるソリュダス・オオスマンノはいつもより早く目が覚めた。
時刻はまだ朝日が登る少し前。
王国の重鎮である彼には立派な屋敷があったが国王のお披露目イベントのため城に泊まり込みで仕事をしていた。
よっていつもは疲れ切った老体を動かし切った後はぐっすりと熟睡するため目が覚めたら朝日が登っているのが常であった。
しかし、その日は妙だった。目がさめるや否や脳は冴え渡り今すぐにでも動き出したい欲望に駆られた。
それもそのはず、今日は待ちに待ったお披露目イベント。
前王のお披露目イベントにも参加した彼はこの日を今か今かと待ちわびていたのだ。
それこそ遠足前夜の小学生のように浮き足立っていたのである。
尿意を覚えたのは起きて数分後のことだった。
寝る前に水を飲んだのがいけなかったのか急にトイレへいきたくなったのだ。
彼はベットから恐る恐る起き上がるとロウソクの灯だけの廊下を静かに歩いた。
朝が早いどころかまだ朝になっていないため、廊下には人の気配はほとんどなかった。
たまに夜番の兵士とすれ違い挨拶をされる以外は特に何事もなくトイレへとたどり着いた。
その異変に気付いたのはトイレを済ませた後だった。
スッキリとした表情で歳に合わないスキップをしながら廊下へと飛び出した彼はふと、灯の灯っていない広間が気になった。
そこは謁見の間近くの大部屋であまり使われていないのでロウソクも置かれていない部屋だ。
彼が気になったのはその部屋で動く影を見つけたからだ。
(もしや、不審者かのぅ)
兵を呼ぼうかと思ったがすぐにおもいとどまる。
そう、影は部屋にいた。
「なんじゃ、お主かの」
その人物はソリュダスの知り合いだった。
盛り上がった筋肉には無数の汗が浮かび上がり、血走った目は地面スレスレにあった。
「おう、ソリュダスか。息災か」
地面から声が飛び出す。
そう、その人物はあろうことか逆立ちをしていたのである。
上半身は裸でムキムキの肢体が汗でテカテカしている。
「お主こそ。昔と変わらず元気じゃのアラン国防大臣よ」
彼はアラン。アラン・ソードマン。アストリア王国の国防大臣を務めている人物だ。
彼は日課の逆立ち歩きをしている真っ最中だった。
「どうだソリュダスよ。ユウヤ王はおまえから見て賢王か」
「聞くまでもなかろう。お主だって王の仕事を受けておるじゃろうて」
「そりゃあな。別におかしなことを言われているわけではないからな」
アランはユウヤから王都の兵士をしばらくの間増強してくれと命令を受けている。彼自身、王都の防衛力強化は必要だと思っているのでユウヤの要請にしたがった。
だからといってユウヤを王として認めたわけではない。
「中立かの。お主は」
「ああ、たとえあの女が王の暗殺を企てようとも関与するつもりはない」
「あくまで被害が広がるなら止めるってことかの」
「そうだ。近衛騎士団と王都守備隊は直接この件には関わらない。むろん、個人が勝手に協力するのを止めることもしない」
「ナタリーのことか。彼女は王の魅力に気付いておるからのぅ。しかし、お主が敵にならんでよかったわい」
「愚王だったら斬る。先代の王ともそういう約束を交わしたのだ。若輩者とはいえ、奴もこの国の王。いざという時は覚悟してもらわねば」
「さすがは我が国きっての名将。人ができておる。それなら安心したわい」
「そうかそれはよかった。ところでソリュダスよ。おまえがそこまでユウヤ王に肩入れするとは驚いているんだが」
「ふぉふぉ、歳をとったからかもしれん。それに我らが姫は……いや、なんでもないぞ。忘れてくれ」
ソリュダスはそう言って立ち去ろうとする。
「ソリュダス。最後にひとつだけ。何があろうと敵になろうとおまえは友人だ。そこだけは忘れるな」
「ふぉふぉ、ありがとう我が古き友よ」
そうして、2人は別れる。
今日はユウヤにとっての運命の日。
愚王として暗殺されるか、賢王として生きながらえるのか。
それが決まる審判の日。
事態はユウヤがいないところで密かに進んでいた。
***
お披露目の日まで俺は無事、生きていた。
目論見どおりではあったけど心底ホッとした。
もし、俺の予想が外れて俺の暗殺を考えている連中が昨日とか一昨日とかに暗殺を仕掛けてきたらと思うとゾッとしない。
なにせ、護衛はナタリーと数名の兵士のみで相手は魔法で姿を消せるマーキュリーとかいう化け物が控えている。
本気で俺を殺すつもりならあの場でも殺すことはできたし、ナタリーたちの監視の目をかいくぐって暗殺することもできたであろう。
だから、今日の国民へのお披露目イベントまで暗殺は無いとの予想は賭けだった。
ハッタリでなんとかそちらの計画はお見通しだ、みたいな展開には持っていけたけど心の奥底ではヒヤヒヤだった。
だってそうだろ。殺されんだぜ。無理やり王になって暗殺されるとかなんて不遇なんだろう俺。
とはいえ、全く見込みのない賭けではなかった。
俺はひとつ思い違いをしていたことがあるのだ。
奴らにとって最も暗殺するのにふさわしい機会は戴冠式だったはずだ。
少なくとも戴冠式が始まるまではたくさんの敵意を浴びていたがどういうわけなのかいつのまにかその多数が消えていた。
トラブルが発生したのか、仲間違いがあったのかはわからないけれど、戴冠式で暗殺イベントは発生しなかった。
その戴冠式を逃した彼らは国民へお披露目する前に実行するのだと俺は思っていたのだがよくよく考えるとそうではない。
戴冠式で暗殺しなかった今、国民の前に顔を晒す前に殺しても効果は薄いのだ。
それならばいっそ、演説の途中に実行する。
国民への理由をでっち上げるのすらおそらく彼らは簡単なのだろう。
ここ数日の動きを確認する限り彼らは大きい派閥だ。そう、俺と権力を二分する勢力だ。
犯人……いや、敵のおおよその目星はついている。マーキュリーのヒントも大いに役だったがそもそもこの王国内ですでに国王となった俺と権力争いができる派閥など限られているのだ。
その強大さを意識すると不思議と手に力がこもる。
怖いのでは無い。武者震いだ。そう自分に言い聞かせる。
「お兄ちゃん。もしかして緊張してる?」
隣にいたティナが俺の手をギュッと握る。
柔らかくて俺の手よりも小さなソレには温かみがあった。
ティナはこの件とは直接関係ない。
それはもうわかっていた。
いくらティナが俺を無理やり王にした張本人であってもこの件とは関係ないのだ。
俺はティナから手を離した。
「お兄ちゃん?」
不思議な気持ちだ。俺は俺を召喚したティナを少なからず憎んでいる。
故郷から俺を離し、国王に仕立て上げたティナを恨んでいる。
本当にクソ姫だって思っている。
けれども、それ以上にティナに対する愛着みたいなものも湧いている。
これが契約によって生まれた感情なのかそれとも俺本来の感情なのか未だにわからない。
だけど……。
ティナを恨んでいるが嫌いでは無い。
むしろ、可愛い妹だ。
そう、ティナは妹だ。
たとえニセモノであっても。
この感情が作られたものであっても。
ティナはもう俺の大切なものなんだ。
まだこの世界にきて1週間くらいしか経っていないけど、元の世界では経験できないいろんなことが起きた。
王になったのもそうだし、産業革命の計画をはじめたのもそうだ。
元の世界の俺ではたぶん、できなかったであろう。しなかったであろうことをこの世界でしているのだ。
その点に関してはこの世界に召喚されたことも悪くなかったのかもしれない。
本当に複雑。
毛糸みたいに絡まり合って、ぐちゃぐちゃになったあやとりみたいにいびつになって。
本当のことなんてわからなくなったけど。
少なくとも俺は今、一瞬でもティナに手を握られて勇気をもらった。
この場所から踏み出す勇気をもらった。
故郷に帰りたい気持ちはたしかにあるけれどそれ以上にこの国の王としてやるべきことを果たしたいと思っている。
「ティナ。お兄ちゃん行ってくるよ」
国民へのお披露目イベントへ向けて俺は足を踏み出す。
準備はした。
対策も練った。
信頼のおける仲間もいる。
だから、もう怖くない。