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豊は生来、保守的な性格であった。新世界とやらにも、自ら行きたいとは思わない。
この奇妙な空間での治療が終われば、元の生活に戻れるのだと漠然と考えていた。
そんな豊の考えを知ってか知らずか、影は揺らめきながら距離を縮める。
「僕はすっごく君のことを考えたんだ。よーくよーく考えて考えて、元の世界に戻すのはやめることにしたんだよね」
困惑した視線を受けて、影はボワっと胸を大きく張った。
「だってそうだろう。君ってさ、人生に飽きているよね。何にも心動かさずに来る日も来る日も、面白くなさそうに生きてるもん!」
(飽きている? 穏やかな日々ってだけで充分だ)
にわかに戸惑いの表情へと変じて、視線を彷徨わせる。
「あらら。納得してないみたいだね。気付いてないの? 君って惰性で生きてるの。ただ生きてるだけ。頑張ってないから何にも楽しくないでしょ。ね?」
「あなたには惰性に見えても、おれなりに頑張って生活してますし、今の暮らしにも不満はありません。お詫びだって言うんなら、元の生活に戻してください」
「だから、それは君に良くないの!それでね、僕の世界に招待することも考えたんだけど、あそこは何かと人間には生き辛いし…」
そう言うと、影は覆い被さるほどに近づき、激しい手ぶりで興奮気味に捲し立てた。
「結論として、君を新世界へ招待し、そこで王を目指してもらうことにしたよ!」
(王?… 新世界?)
意味不明な空間、内臓の見える体、そして人を食ったような影との噛み合わぬ会話。
苛立ちと不安で、豊の声が震える。
「そんな世界より、おれは元の生活さえ出来ればいいです。あなたなら戻せますよね?」
影は困ったように小首を傾げ、まるで子供でもあやすように声をひそめた。
「とっておきだよ。なんと君には、特別に従卒を二人プレゼント!スペシャル特典ってやつさ」
興奮も最高潮とばかりに、影の朧な黒は漆黒となり、高速で揺らぎだした。
「新世界はね領土を奪い合うの。君ってば戦争好きでしょ。戦って殺して奪って、君臨するのさ! 君にピッタリだよ!」
常軌を逸した内容は、豊を唖然とさせた。
不穏な予感を打ち払うように声をしぼり出す。
「ちょ、ちょっと待ってください。戦争が好きだなんて、そんなことあるわけないでしょう。ずっと争いとは無縁の生活を送ってきました」
依然、影は興奮に揺らめきながら明るく声を弾ませる。
「僕さあ。君の頭のなかチラッと覗いたの。だから知ってるんだよね。鎧かぶと着せてさあ、刀で切ったり槍で突いたり」
「………」
(腑に落ちた。歴史戦略ゲームだ。確かに好きでちょくちょくやってる)
「よく分からないんですが、その新世界へ行って何かのゲームで対戦するという話ですか?」
「違う違う!君が軍を率いて戦争するのさ。何事もさあ、やっぱり実際にやった方が面白いからね。君にも、ぜひ体感して喜んでもらいたいんだよね」
不穏な予感は的中した。
蒼白になった豊は、拒否する言葉をあらん限り連ねた。懇願したり、媚を売ったり、元の生活に戻してくれることを願って…。
「僕はね、絶対に君を連れて行くよ! 興奮して感動して、素晴らしい最高の体験を、君にプレゼントしてあげたいんだ」
無意味な会話が繰り返されるたびに、逃げ道がないことを知らされる。
やがて力なく項垂れていた豊が顔を上げると、そこには諦めの色を映した、虚ろな目があるだけだった。
「おれに拒否権はないんですね……」
「プレゼントだからね! 拒むなんて、失礼過ぎるでしょ」
漆黒の朧な体を揺らし、ケタケタと笑う影の姿は、抗う術のない豊には悪魔としか映らなかった。




