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与えられた家臣は梟雄でした  作者: 梅を愛でる人
領内平定
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 直家の期待した反応はなかった。

 周囲の声は遠くなり、頭は激しく混乱した。

 絶望が荒波のように押し寄せ、理不尽な現実に思考は逃避してゆく。


(どうしてこうなった。望んでもないのに領主になって。くそっ! 家に帰してくれ !くそっ!くそっ!)


 涙まじりに地を打った拳は、皮膚を破り薄っすらと血を滲ませていた。

 ふと、頭の上に手が載る。

 見上げれば、いつもの剛毅な態度はなりを潜め、困ったような顔の弾正がいた。


「あるじ、ちょっと付きおうてくれ」


 無理矢理に立たされると、弾正の背を見たながらとぼとぼと後をついて行く。

 弾正に手招きされたそこは長屋近くにある茶室だった。案内された席にだらしなく座ると、弾正が履き物を揃えている。


(脱ぎ散らかして入ったか)


 なんの感慨もなくぼんやりと眺めた。

 弾正から綺麗な一礼を受けると、少し目を見開いてぺこりと頭を下げる。


「弾正さん、おれ作法とか分からないよ」


「わかっとる。あるじに茶事のことなど期待しとらん。客らしく持てなしを受ければよい」


 弾正の流れるような点前に思考は止まり、気がつけば魅入っていた。


「菓子はないが許されいよ」


 ぎこちなく茶器を回し、ぐっと茶を飲んだ。

 飲み終えた豊の渋い顔を見るや、笑いを堪えるように言った。


「次は薄茶を点てて進ぜよう」


 弾正の洗練された所作ゆえか、茶の湯をを知らない豊にも居心地がいい。

 知らず知らず、ささくれ立った心は姿を消した。


「そういえば武野紹鴎(たけのじょうおう)の弟子だったね。おれでも見事なのは何となく分かるよ」


「ハハッ、ようやく軽口が叩けるようになったか。まるで死人のようであったからな」


 豊が苦笑いで頭を掻いていると、ごそごそと箱から茶器を取り出してみせる。上に小さく口が開いて全体はぷっくり丸い。


「紹鴎茄子よ」


 仔細げに眺めては悦に浸り、感慨深く頷いている。


「信じられんほどの名物が揃っておる。茶器、茶入れ、茶杓、どれもが垂涎ものじゃ。いかさま写しであろうが本物とも言える」


 豊も複雑な表情で頷く。人体すら作る悪魔が絡んでる世界である。完全なるコピーなら、最早それは贋作とは呼べない物だ。

 弾正は紹鴎茄子から目を離さず、ふてぶてしく内心を吐露する。


「まだまだ楽しみ足りぬ。心残りが多過ぎるわい」


 窺うように視線を向けて、豊にもそうだろうと目を細めて問いかける。

 応えて頷く。本当にそうだ。まだ足掻いてもいない、何も決まってないというのに、愚かしくも絶望の世界を作り上げた。


「どれ程の兵が集まるか分からんが、最初のひと当てさえ凌げればよい。この領の者たちは、本願寺の法主や摂家の如くにあるじを崇めとる。時さえ稼げばひっくり返せるわい」


 その、ひと当てが豊にはどうしようもなく怖いが、そっと口を閉じ呑み込んだ。

 弾正の心尽くしで、気持ちは軽くなったが目前に迫る危機に猶予はない。

 心残りという言葉に甘えて、あえて内に踏み込んだ。


「弾正さんは、おれの家臣になるなんて変だと思わないの?」


「いささか妙だとは思う。頭をどうかされたと言うのであろう」


「なんていうか…、偽の忠義というか」


「ははあ。言いたいことは分かるわい。じゃが、その偽の忠義とやら以外は、わしの欲得で動いておる。あるじを担ぐのも楽しんでおる」


「じゃあ、心変わりしたら教えて下さい」


 申し訳なそうな声に、弾正は腹をよじり茶室が震えるほど哄笑した。


「よかろう。いざ、時が来れば隠居せいと引導を渡してやろう。なあに命は取らぬ」


 恩義せがましく肩を叩かれると、返す視線に信頼と感謝を込めて応えた。

 この悪名高き男が味方なのだと高揚した。


「ありがとう。考えてみれば百戦錬磨だよね。領軍なんかより余程に怖ろしい」


 満更でもなさそうに弾正は頰をゆるめた。

 豊の言葉は決して誇張ではなく、弾正の生涯は畿内を中心に戦いに明け暮れている。

 山城、丹波、摂津と転戦し、京、河内でも戦った。

 さらに大和では筒井家と争い、島左近とも度々戦っている。

 そして、頻繁に蜂起する国人衆とも争い、三好一門、六角家、畠山家、将軍家とも刃を交える。

 信長に降った後は、畿内平定戦、朝倉攻め、本願寺攻めに参加し、織田家との戦いで最後を迎えた。

 いかに戦国時代でも驚くべき戦歴である。


「如何にもそうであろう。こんな豆粒ほどの地で機嫌よう反り返るような奴だ。素っ首落とすのに、さほどの手間はかかるまい」


(素っ首かあ、幕府で御供衆してたわりに柄が悪いんだよなあ)


 苦笑して、不遜ともいえる態度の弾正を見る。

 その顔には悪辣な笑みがあり、いつも通りのその姿が妙に嬉しかった。

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