13
「ご迷惑をお掛けしました」
これ以上、事態が悪化する前にと、豊が青ざめた顔を覗かせる。
「おう、あるじ、皆してあるじの柔弱を笑っておったところじゃ」
カラカラと笑う弾正に、直家の凍えるような視線が刺さる。
「なあに心配は要らん、赤子の時から強者などおらぬ。人に虚仮にされとった弱卒が、いつの間にやら武辺の侍大将になったなど珍しくもない話じゃ」
(立花道雪もそんなこと言ってたな…)
青ざめながらも豊はコクコク頷く。
情けない姿を晒してしまったことに、このままでは不味いと自覚はあるのだ。
だからといって渦巻く不安は消えない。
こんな調子でやっていけるのか、弾正は何をさせるつもりなのか。臆病風に押され、思考が後ろ向きになっていく。
「あー、あれですよ、俺も子供の頃、初めて羊を捌いたときは気を失いそうでしたよ」
場を和ませるようにオイゲンが明るい声を響かせた。オイゲンの優しい憐れみは、豊を羞恥に染める。
「ああ、ありがとう、もう大丈夫」
虚勢を張り、ようやく声を絞り出した。
そんな豊に、気づかぬ振りした直家がいつもの澄んだ笑みを向けた。
「殿、エルマーなどの村長たちが集まって控えておるよしに御座います」
直家に目で促され、オイゲンが困ったように頭をかきつつ引き継いだ。
「領内14の村の村長がそれぞれ数名ずつ連れて来たため、この村では一番広い集積所に案内しています。なにせ、人数が多いものでこの家では…」
豊が目覚めるのを待っていたのだ。
オイゲンの先導で、村外れの集積所へ足を向ける。オイゲンによれば小麦やライ麦を収穫した際はそこへ集めるという。
足を運んで見やれば確かに大きい。ただ、雨露をしのぐだけの倉庫のようではあるが。
集積所の中はいくつかの机を並べ合わせ、その周りに十数人が座っている。村長だろう。他は小さなグループを作って騒めいている。
豊に気づいた村長たちが慌てて立ちあがり、次々と進み出て挨拶した。
豊は顔を強張らせ、ぎこちなく一礼しながら挨拶を返して進む。案内された席へと座ったときには緊張で汗びっしょりであった。
弾正はといえば、傲岸とも見える態度でゆったりと隣に座った。
一方、直家は椅子を拒み、豊の傍らに佇んだ。薄く笑みを浮かべながらも、その目は冷え冷えとして、辺りを油断なく警戒している。
「領主の山名です。これから宜しくお願いします」
集まる視線を一身に受けながら、精一杯に声を張り上げて頭を下げた。
これだけで一仕事終えたように疲れた。自分の小心さが嫌になるが、聞くべきことは聞かねばならない。
「最初に税の事について教えて下さい」
左側に座っている線の細い男が手を上げた。何故か弾正が鷹揚に頷き、男に発言を促す。
「穀物類は年に二回の徴収があり、私ども3の村が管理、保管しております。金銭は8、鉱石類は9がそれぞれ管理しております」
「さんの村? はち、きゅうとは何でしょう?」
「あ、あの数字の3でございます。北西から1の村、最も南東が14の村でございます。ご領地は8でございますので、他領へ出向くときは8領3の村と言えば通じます」
村には名前すらない。以前の領主の誰かが決めたのかも知れない。だが、あの人を馬鹿にした悪魔の姿が、豊の頭からこびりついて離れない。檻の中で被験者にされたような苦々しさがあった。
何かどす黒いものが豊の中で膨らんだ。
傍らに立つ直家は敏感に察し、代わりに凛とした声を上げた。
「それでは3、8、9の村の者は、後で詳しく数量を聞きたいので残ってくれ。それと、軍の代表者は誰だ?」
村長たちは困惑の表情で顔を見合わせた。
新しい領主に失礼のないよう伝えるには、どう説明すればよいのかと迷い口を閉ざす。
「あれであろうよ、あの自警団とやらが、一朝有事となれば戦働きするのであろう」
こんな当たり前のことが何故わからぬと、舌打ちをくれて直家を睥睨した。
だが、誰も口を開く者はなく、村長たちの重苦しい雰囲気がそれを否定している。
暫しの静寂のあと、押し潰されるような沈黙に堪え兼ねたのか、一人の男が声を上げた。
「私は第2砦守備隊長のラウレンツであります。領軍司令に代わってご説明させていただきます」
年の頃は三十代、普段なら人の良さそうな顔が、今は苦しそうに歪んでいる。
剣帯の巻かれた皮革の胴着の下にはチェーンメイル(鎖帷子)が膝もとまで垂れている。
「3の村に食糧庫と併設して兵舎がございます。そこに百名以上の兵が駐屯しております。第1砦にも三十名ほど、我が第2砦に二十八名。これが現在の状況であります」
直家の冷ややかな目が細められ、一層、凍てつくようなものになった。
「それで、領軍司令とやらはどうした? 何故、顔を見せぬ」
「ハッ」
そのひと言を最後に、ラウレンツの顔が此処にきて大きく歪む。
弾正は髭をしごき、豊、直家へと視線を移し、その視線をラウレンツで止めると、にやりと悪辣な笑みを浮かべた。
「領軍司令さまは、新しい領主が気に入らぬか?」
ラウレンツが苦しげに呻いた。
今度は当たりのようである。