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宇喜多和泉守直家ーー。
宇喜多直家もまた、戦国三大梟雄と呼ばれる者の一人である。
浦上家に仕えた祖父が謀殺され、直家は家族とともに逃亡生活を送ることになる。
この幾年かの流浪は母の尽力により終わりを告げ、直家は浦上宗景の家臣となった。
その後、乙子城主となった直家は凄まじい権謀術数によって宗景を追放し、遂には備前国をその手にするのである。
中山正信を酒席で謀殺、島村盛実を謀殺。
さらには税所元常を暗殺、そして三村家親を日本初といわれる鉄砲によって暗殺。
さらにさらに、狩の最中に宇垣与右衛門を弓で射殺、内通者として金光宗高を切腹させる。
浦上宗次を毒殺、伊賀久隆を暗殺…。
これでも全てではなく、枚挙にいとまがない程に、直家の毒牙にかかった者は多い。
詐術、謀略、暗殺のかぎりを尽くした生涯から、暗殺名人、悪逆暴戻、毒茶宗匠などいう異名で呼ばれている。
ちなみに直家はギリサン(義理3)である。
(ギリワンの次はギリサンかよ!)
と、泣きっ面でいると、直家が素早く立ち上がり、位置を入れかえるように豊の手を強く引っ張った。
戸惑った豊が背中越しに覗くと、そこには、太刀を抜き放った弾正が、直家を射殺すように睨みつけていた。
「あるじ、そやつは獅子身中の虫ぞ! この弾正が冥府に叩き返してやろう!」
椅子の背に掛けていたのを素早く取った直家の手にも、武骨な虎徹がギラリと光る。
「きさま、何故、殿と呼ばぬ! 悪辣たる弑逆者が! 殿に仇なす前に引導を渡してやろう」
刃を突きつけ合い、じりじりと間合いを確認するような二人の姿に、エルマーたちはおろおろと狼狽え、そして、想像が追いつかない豊は固まっていた。
しかし、この硬直した状況から、最初に動いたのは逡巡より立ち直った豊だった。
(駄目だ駄目だ! こんなとこで一人でも欠けたら。どうせ一度は死んだんだ、もう一度死ね!おれ!)
「宇喜多さん!刀を納めて! 弾正さんもダメだー!!」
叫びながら直家をすり抜け、弾正に向かって全力で体当たりした。
しかし、弾正は直家から視線を動かさぬまま、ほい!と、ひと声かけて避けると、豊はそのままドスンと鈍い音をたて盛大に壁にぶつかった。
「うう…」
痛みに呻き、苦悶の表情で肩を押さえる。 裂けた額からは激しく出血し、流れる血は顎をしたたって麻のシャツを赤く染めていた。
「あ、あるじ!」
油断なく、わずかに目線だけ動かしたが、その声音は動揺のままにうわずっていた。
「だ、駄目だ。二人ともやめて…」
懸命にふり絞るような声に思わず弾正が振り返る。そこにあったのは、懇願と決意の入り混じったような豊の強い視線だった。
目を離したことにハッとした。
弾正の眼光が直家の姿を捉えた時には、もう、その手に虎徹は無かった。すでに納刀され、食卓の上に転がっていた。
直家は血を流す豊を凝視していた。
その顔には弾正から見ても、ありありと焦燥の色が浮かんでいる。
「わかったわい!とりあえず奴の命は、あるじに預けておこう」
不承不承といった感じの弾正が太刀を納め、とりあえずの修羅場は去った。
が、白刃の下、極度に緊張したのだろう。
落ち着かないエルマーたちの様子に、豊の怪我の手当てを終えると食事の礼をして帰ることになった。
帰り道、腰を落として肩を貸していた弾正だったが、面倒だと言わんばかりに豊をおぶった。
その弾正の肩口から、二人に話を聞いて欲しいと真剣な声がした。
少し離れて歩いていた直家も、その声音から何かを感じとったのか、向き直ると思いを受けとめるような眼差しを向けた。
「この何もかもわからない世界で、おれが頼れるのは二人しかいない。この村だってそうだけど、他の村のこともわからない。飢えや反乱があるかもしれないし、他の領主が明日には攻めてくるかもしれない」
豊の声だけが夜の静寂に響く。
「弾正さんも宇喜多さんも、おれのせいで元の二人とは違う人間になってしまった」
声を上げようとする弾正を制して言葉を続ける。
「おれはね…、二人が望むならどっちに領主を譲ってもいい。むしろ、おれが上に立つ方がおかしい」
自嘲気味に薄く笑う。
弾正と直家の間で、暫く視線を彷徨わせていたが、少し恥ずかしそうに俯いた。
「それでも、出来れば三人で死なないように頑張りたいんだ。うん、まあそんな感じ…」
最後はごにょごにょと締まりなく話を終えた。
「私も化生の者に脳みそを弄られ、この地に来たこと覚えがあります。確かに新しき私なのでしょう。弾正殿は信じぬでしょうが、殿を盛り立てていこうと思う赤心に二心はございません」
淡く月明かりに浮かぶ端正な顔は、穏やかな微笑みを保ったままである。
だが、豊を見詰める直家の眼差しからは、真摯な思いが溢れていた。
「ありがとう!」
心からの感謝をこめて、豊は満面の笑みを返した。
固まりはじめた頰の血が剥がれ落ち、パラパラと降り風に舞う。
弾正は沈黙を保ったまま、弦月を見上げていた。