1
もぞもぞと布団から這い出してきたのは山名豊という、四十過ぎの小柄な男である。
薄っすら目を開けて携帯を見ると、もう昼をとっくに過ぎていた。しっかり閉じられたカーテンの隙間からは、快晴を感じせる光が帯になっている。
誰も起こす者もいない独身男の休日など、こんなものだろう。それに目を覚ましたはいいが、これといって趣味もなく別段やることもない。
午後の過ごし方も浮かばぬまま、部屋着を整えつつ起き上がると、突然に視界は真っ白に染まり、体が弾けるような感覚に襲われた。
「気がついたかい。言葉は分かるかな?」
男の声がする。豊の耳に届いてきたのは酷く違和感を感じる奇妙な言語だった。
響きがおかしいが外国語とも違う。けれども、何故かしら、日本語でも無い不思議な言葉が理解できた。
「僕の言葉が分かるかな?」
繰り返された問いに、ゆっくりと、目を開けながら朦朧とした意識のまま頷く。薄暗いなか、自分が寝ていることに気がつくと上半身を起こして見回す。
かなり広い部屋……、 と言うより、茫洋たる空間と表現した方がいいほどに朧気で、目を凝らしてもその全貌が見えない。
「再生は順調だけど、目が覚めたら突然に見知らぬ場所で不安なのは分かるよ。先ずは説明するので、僕の話を聞いて欲しい」
声の主に目線を向けるが、ゆらゆらと2メートル半はあろうかという、人の形をした黒く茫々たる姿。
しばらく眺めていたが、何者か確認するのを諦めて視線を転じた。が、それによって視界に入った自分の異様な姿に初めて気づいた。
思わずヒィっ!と、短い恐怖の叫びと同時に、心臓は跳ね上がり激しい震えが襲う。
寝台に寝かされた体は、半透明な薄い膜のようなもので包まれ、胸元から下は、まるで骨格標本のように筋肉が剥き出しだった。
あろうことか、隙間からは臓器さえ窺える。
豊の極度に怯えた様子に気づくと、声の主はすぐに反応した。
「心配しなくていいよ。すぐに落ち着くからね。残念ながら君の体はもう無いけど、かなりの再現率で元通りになるから大丈夫だよ」
豊の体を包む膜が薄く光ると、なんらかの処置がなされたのか、激しかった心音は緩やかになり、ガタガタと恐怖で震えた体も動きをとめた。
落ち着いた心音をとり戻すと、豊はこの状況について考えはじめた。
(死んだ? 天国? それとも、彼が助けてくれた? どれほどの大怪我をしたのか? もしかして、最先端の医療施設?!)
いくつもの疑問が浮かぶ…。
黒き人影は、危害を加えることも無さそうで、どうやら治療をしてもらってる――と、いうところまでは理解が及んだ。
だが、現実感のないこの空間。
そして黒き人影にしか見えない相手。
混乱のまま、困惑顔でおずおずと口を開いた。
「もしかして、あなたは神さまでしょうか?」
真っ当な大人としてはひどく滑稽な質問だったが、影は明るい声で答えた。
「うん。ちゃんと僕らの言葉も話せているね」
影は満足気に何度も頷くと話を続けた。
「君の世界にある神という概念とは違う存在だよ。人類で我々を崇拝している者はいないようだし。ああ!そう言えば熱狂的なのが少数いるね」
影はケタケタと、気味の悪い笑い声をあげて、黒く朧気な体をよじるように揺らした。
「神さまではないのなら、えっと人ではない知的生命体ということでしょうか?」
(無論、科学技術や医療技術だって上だろう。こんな体の状態で、まだ治療可能だというのだから)
黒く揺らめきながら大袈裟に頷いた。
「僕に関しては、概ねその認識でいいよ。さてと…、大変申し訳ないけど、君の肉体を消失させてしまったのは僕の事故によるものなんだよね」
加害者と恩人が同一であることに、豊の表情は泣くような渋面となった。
一方、影の方はさして気にもしていない。
「そこで、僕なりのお詫びも兼ねて、出来るだけ君の喜ぶことをしたいと思ってるんだ」
その、お詫びと言うのが新世界への招待だった。