第34話
いつもの如く泰然とした態度のアッシュ君の眼前に、先程までスキュラがいた場所に濃厚な潮の香りを漂わせた神族が現れました。
ただし、スキュラと違い足元は海を思わせる海面の中にあります。
恐らくですが、本体ではなく分体による接触でしょう。
神族が地上に顕現するには、階級に応じた制限が課せられますからね。
天人族の血を引くアッシュ君のお母様のルーチェさんみたいな神族か、地上に顕現しても害にならない下位の神族でしか、地上に降臨してはならない決まりのはずです。
ですが、対峙する神族の女性はかなり上位の神族と思われます。
分体でも、周囲に撒き散らされる神力の圧によって、空気が重い感じがしてきました。
ラーズ君とリーゼちゃんの警戒度があがり、私の近くに寄って、二人が挟む位置につきました。
小型ポーチにいたジェス君とエフィちゃんも出てきて、両肩に乗り威嚇を始めました。
そんな私達を背にして、アッシュ君は余裕綽々な態度を貫き、海の女神を睥睨しています。
敵対心を露な私達を、海の女神は淡い濃淡をした蒼色の髪を弄びながら、観察しているだけでした。
配下のスキュラが害されたにも関わらず、凪いだ海そのものたる静かな眼差しで見詰めているだけなのですが。
スキュラの高慢な態度と発言は、彼女の意向ではなかったのでしょうか。
少し、疑問に思えてなりません。
「なんだ、喧嘩を売りに来たわりには静かだな」
「……わたくしは、反対したもの。当然でしょう? わたくしが加護する種族を滅ぼそうとする同胞に、わたくしが怒りを覚えない訳がないわ」
「あのスキュラは、あんたの配下ではないと?」
「ええ、そうね。海の支配者たるお父様は、そこの混血の妖精種を利用しようと画策しているけれども、わたくしはわたくしの加護する種族の血を所有する妖精種に謝りはするけど、利用する気はさらさらないわ。貴方だって理解しているでしょうね。海の一族が陸を支配してどうするのかしら。すべての大地を海に沈めてしまったら、世界の理に反することになるのにね。それとも、海に沈めてやると脅して、陸に住まう種族を支配して悦に浸りたいのかしらね」
海の女神は同族を扱き下ろして、僅かな反抗心を見せています。
アッシュ君もあちら側は一枚岩ではないと言った言葉が、本当のようです。
そうして、内容からこの女神が海の妖精種の創造主である守護神でもあると伝えてくれています。
ならば、半分だけですが、私の守護神でもあるのですね。
帝国の人族至上主義による他種族排斥で断罪の憂き目にあった海の妖精種の滅亡に、彼女は嘆いているのですね。
前魔王様の庇護を受けれた海の妖精種は極僅かな人数しかなく、純血種としての交配は成り立たず、混血していくしか種族を維持できはしなくなりました。
そうした海の妖精種は、果たして海の妖精種と言えるのか。
答えは否です。
純血の海の妖精種は存在しなくなり、混血の名残ともいえる肌色をした混血種族でしかないのが実情です。
ですので、海の妖精種は希少種族となり消えていく定めを迎えるしかないのです。
「お父様やお兄様は、新しい種族を産み出せばいいとのお考えだけれども。わたくしは、わたくしの可愛い子供達は、始まりの子供達だけで充分よ。また、どこぞかの同胞の野心に巻き込まれて滅ぼされるぐらいなら、産み出さないのがわたくしの意地だわ。可愛い子供達が滅ぼされるのをみるだけなのは、一度で充分よ」
「その意思は、海の一族では異端なのではないか?」
「そうね。お父様は、他大陸から流刑された人族に肩入れして、この大陸にその人族を受け入れさせて貰った恩を忘れて、人に流刑された人族が恨みを晴らすかの様に、弱小種族を支配下に置き、隷属させる。帝国だなんて一大勢力にまでなって、恩あるこの大陸に牙を剥いた。良識ある同胞は、随分と諌めたものの、お父様やお兄様は聞き入れはしなかった。おまけに、あの世界神様に成り代わろとした馬鹿な神と手を結び、娘達が加護する種族さえも見捨てた。これが、一族の造反者を産み出さない訳がないわ。大地を統べる御方からも帝国の有りように苦情がいき、放置した結果があの大規模瘴気の発生と魔物の大繁殖よ。貴女達の助成であまり大きな被害はなかったそうだけど。見捨てても良かったのにね」
帝国が見舞われた悪夢の魔物の大繁殖による犠牲は、帝国の総人口を三割ほど減らしました。
私達が介入しての被害ですから、私達が介入してなかったら、もっと多くの被害が出ていたのは間違いはありませんでした。
言外に介入しないほうが良かったと、言われたみたいです。
「その帝国も、守護神が交代して、上層部は粛清されたと記憶しているがな」
「当然ね。旧態依然とした、自分は神の代弁者だから、何をしても赦されると思いあがったバカは、危険思想の持ち主として断頭台行きになったわね。何せ世界神様の御神託が大義名分としてある以上、処断は待ったなしよ。それから、神国もかなりの人数が神から見放されたそうよ。そちらは、大地の御方からの御神託だから、わたくし達海の一族は関与してないけど。
気をつけなさい、わたくしの可愛い娘。神国は、貴女を御輿に担いで、再建する計画を建てているそうよ。決して、言質を取られない事ね。気付いたら、高齢の老人に名目上嫁がされて、監禁状態で子供を産まされ、神子の地位を継承したと偽り教育して、お飾りの傀儡にされるだけね。そうして、目的を果たした神国は、貴女を廃して密かに亡き者にして、栄華を誇るのでしょう」
まあ、そうなったら、大地の御方の逆鱗に触れて、神国が無くなるだけでしょうが。
追記された発言に、肝が冷えました。
神子は神の代弁者にして、権能を行使出来る、人に与しない至高の存在。
それを、人の手で管理する。
スキュラが言ったのと同じ内容なのに、頭痛がしてきました。
どうして、人族は他力本願で、己れの野心を満たそうとするのでしょうか。
清廉潔白な聖職者がこの有り様ですから、神国も中身は帝国同様に腐り果てた集団に成り下がったとしか思えないです。
呆れ果てたとしか、言いようがありません。
「あんた、親神に逆らって無事でいられるのか」
内情を暴露する海の女神に、親神様からの罰はないのか。
アッシュ君は、気遣って声を掛けました。
そうでした。
親神様に逆らえば、如何に上位の神であろうと創造神の立場から、何らかの罰が与えられるのは必定不可欠でした。
今更ながら、彼女の行く末が気になりました。
ですが、彼女はゆるゆると首を振ります。
「既に、この身は海の一族から追放されている。しかし、消えていく定めのわたくしに、世界神様は理と因果律を変え、神族から聖霊へと転化させる事で、海の楔を抜いてくださった。
ですから、心配はご無用です。序でに、この後に、調停者の神魔には、お父様やお兄様達への断罪を施行する様に指示が与えられるでしょう」
「海の一族が大量に減少するとなると、近海は荒れるだろう。その結果、無辜な民人に被害がでるのではないか?」
「その辺りは、わたくしは関与できません。ですが、お父様やお兄様が保有している神力を対価に、世界を安定するのでは?」
既に、海の女神では無くなられた彼女からは、同胞に対する畏敬の念は見られないです。
よほど、加護厚き種族が滅ぼされた怒りが凄まじいのでしょう。
一矢報いる姿勢に脱帽するしかありませんでした。
「わたくしの加護する娘」
「はい」
「最早、貴女を守護する資格はわたくしにはありませんが。貴女の幸ある未来に祝福を。この迷宮にて貴女を待つ従者の眠る階層を守る魔物は、貴女の保護者である神魔には勝てません。解き放たれた従者が封じていたあれも、忘れさられた神ですから、驚異にはなり得ません。迷宮の主が、いくら喚こうが気にしないで再会すると良いでしょう」
「ご助言ありがとうございます」
私に向けられる眼差しは、私に愛情を注いでくださる豊穣のお母様と同じく暖かな温もりを感じられました。
所謂、無償の愛情です。
柔らかな微笑みを魅せて聖霊へと転化した彼女は笑い、アッシュ君へと私を託す言葉を残して分体を消されました。
アッシュ君曰く、神族ではなくなった代償による力の減退の最中無理をして私に忠告をしてくれたようです。
私、豊穣のお母様だけでなく、彼女にも案じられていたのですね。
有難い限りです。
何だか、泣けてきてしまいました。
私の感情には敏感なリーゼちゃんが抱き締めて慰めてくれます。
恩返しは、彼女も望んではいないでしょうし。
私に出来る事は、幸福でいること。
それは、神子の立場からは難しいでしょうが、必ず幸福になって見せます。
今でも、満ち足りた人生を送ってはいますが、迷宮で再会する彼女を迎えて、一層の賑やかな生活を送るのを約束したい思いました。
ですから、今だけは感傷に浸らせてください。




