第21話
竜召の儀式が行われる祭場は、峻嶺な山々が連なる合間の崖の上にありました。
リーゼちゃんと二人、降り立ちました。
直径三メートルの円形の床は人工的に作られ、複雑な召喚呪文が描かれています。
崖っぷちには祭壇があり、陽の光を反射する宝玉が鎮座しています。
宝玉に魔力を流すと、床の召喚呪文が反応する仕組みになっていました。
ですが、気になるのがひとつありました。
〔にゃんか、変な匂いがする~〕
〔はい、でしゅの~。嫌な匂いでしゅの~〕
ポーチから顔を出したジェス君とエフィちゃんが、鼻を抑えています。
リーゼちゃんも不快な表情を隠してはいません。
「エルギラ。竜避けの植物」
「ですね。召喚の場には不似合いな植物です。これでは、竜は喚べません」
祭場の周囲と、至る階段の両脇に、ところ狭しと植えられたエルギラ。
通年、枯れる事なく咲き乱れる深紅の花。
人族には感じられない独特な匂いが充満していました。
竜召と竜避け。
相反する祭場の有り様に、どなたも異論は唱えなかったのでしょうか。
エルギラの匂いは、飛竜の理性を狂わせます。
祭場近隣に飛竜の姿が見えないのも道理です。
これでは、竜召の儀式が失敗するはずです。
「他者の悪意を感じますね」
エルギラの数は無数にあります。
一年や二年そこらで、自生したとは思えない数があります。
また、等間隔に植えられています。
人の手が入っているのは、一目瞭然でした。
「焼き尽くす?」
「どうでしょうか。エルギラ事態には害はありません」
「可哀想?」
「はい。出来るなら、環境に適した場所に植え替えてあげたいです」
森の妖精族の血が、ざわめいています。
植物が焼かれる痛みは、身に染みます。
リーゼちゃんの提案通りに、焼き尽くすのは簡単です。
エルギラの影響が払拭されれば、飛竜も飛び回り、竜騎士が誕生するでしょう。
けれども、排除して終わりとはいかないと思います。
何故に、祭場にエルギラを植えたのか。
誰の指示によるものなのか。
調べないとならないといけません。
「リーゼさんなら、エルギラの影響を受けない飛竜を喚べますか?」
「多分、喚べる。此方、窺う飛竜いる」
「それは、竜王姫の眷属になります?」
「肯定。気配、近い」
要は、エルギラの匂いが無くなればよい訳です。
風魔法で匂いを散らして薄くしてあげれば、他の候補者でも竜騎士に選ばれる機会を得られます。
そうなれば、ヴェルサス家には有利にことが運びます。
ヴェルサス家と対立するレンダルク家や、王家の鼻を明かす機会に恵まれます。
「リーナ」
「はい」
思考の海に落ちる私をリーゼちゃんが呼びます。
険を孕んだ声音に、注意が散漫になっていたのを、理解しました。
いけません。
ここは、禁則地でした。
侵入者なのは、私達の方です。
リーゼちゃんが階段側に回り、私を背に庇います。
ポーチを軽く叩いて、ジェス君とエフィちゃんに合図をします。
おとなしく、身を潜めました。
待つこと数分。
一人の竜人男性が、姿を見せました。
その腕に、エルギラの苗木を手にしています。
「おや。ここは、一本道。入口の門番は、誰か通したと報告がなかったけどね。何処から、来たのかな」
「教えない」
「まあ、わたしには関係がないか」
竜人男性は、無気力な様子で警戒する私達を見据えています。
身体つきが細身の男性は、悠々と歩いて近付いてきます。
ジェス君とエフィちゃんの警告がありません。
敵対する意思はなさそうです。
「でも、一応は忠告しておくよ。この場所は、王家の庭とも繋がっている。君達が、賊とは思えないけど、わたしが降りたら兵を差し向けるよ」
すれ違い様に垣間見た男性の瞳には、私達を映してはいませんでした。
覇気がない自然体で、エルギラの苗木を祭場の一画に植えようとしています。
「貴方は、何故にその植物を植えるのですか」
「? 可笑しなことを聞くね。祭場に植えるのだから、竜を喚ぶ為だよ」
「可笑しいのは貴方の方です。エルギラは、竜避けの植物です。竜を喚ぶべき場所に、相反する植物を植えているのに、気が付いていないのですか?」
「エルギラ? ユリギラではないのかい?」
男性が振り返りました。
その表情を見る限り、嘘は吐いてはいないです。
庇うリーゼちゃんの背中から、半歩右に逸れて対峙してみました。
竜人男性の身形は雑に見えて、質のよい衣服を身に纏っています。
門番が通したのであるなら、王族に当たるかと推測できます。
ですが、私達を見返す瞳には力がありません。
無気力さが現れていました。
「ユリギラではなくエルギラです」
「ん。間違いなし」
ユリギラはエルギラと似た名前ですが、科目は違います。
葉の形、花の色、咲く時期。
ひとつひとつ挙げていけば、違いがはっきりとします。
ですが、強いて言うのならば、どちらも竜と関わりがある植物なのです。
エルギラは竜避け。
ユリギラは甘い蜜を含む甘味。
とりわけ、飛竜が好みます。
「ユリギラの花は、淡い黄色をしています。深紅の花はエルギラです。エルギラの花の匂いを飛竜は毛嫌いしています。ですから、どれだけの実力者が喚ぼうとも、飛竜は応えません」
「その話が事実なら、わたしは無駄な行為に何年も費やしたことになる」
「貴方がどうやって、苗を手にいれたのかは聞かないでおきます。けれども、エルギラが自生しているのは、帝国領です」
「君の言う通りだよ。わたしは、帝国の知人からユリギラとして譲り受けていた。竜召の儀式を手助けする一因になればと思い、ユリギラを植え続けていた」
「その方に騙されていますね。こんなに、エルギラが咲いてしまっていれば、匂いによる竜避けの効果が発揮してしまいます。儀式が失敗するはずです」
「間違いないんだね」
「貴方がいつ、エルギラを植えたのか知りませんが。植え始めてから、一度でも成功しましたか?」
「……」
沈黙は肯定ととります。
竜人男性の腕から、苗木が落とされました。
無気力だった竜人男性の顔が、憎い仇を見る眼差しに変わっていきます。
「ははは。愚かしい行為をわたしは、何年も信じてきたのか。大叔母の事を笑えないな」
自棄になる人は、どうして物に当たるのでしょうか。
竜人男性はエルギラの苗木を、何度も踏み躙ります。
苗木には罪はありません。
止めようとする私を、リーゼちゃんが制します。
〔駄目〕
〔苗木が可哀想です。悲鳴をあげています〕
〔駄目。じきに、狂気変わる〕
苗木を踏み躙るのに飽きたのか、竜人男性が徐に火炎の魔法を行使しました。
「燃やしたら駄目です‼ 異臭が酷くなるだけです」
私の忠告は遅かったです。
苗木は炎に包まれて、紫色の煙を産み出しました。
〔ふにゃあ。お鼻が~〕
〔息苦しいでしゅの~〕
花の匂いを百倍は濃縮した悪臭が、祭場に充満していきます。
すかさず、リーゼちゃんが風を支配して、悪臭が広がらないようにしてくれました。
エルギラは燃やされると、悪臭の煙を発生させます。
リーゼちゃんが竜体になり、高温の竜の吐息で一瞬の内に焼き尽くすのなら、被害はでなかったでしょう。
魔法による火炎では、エルギラの耐性が強すぎて、悪臭が撒き散らされるだけに終わります。
「ごほっ。な、何が……」
「エルギラは火炎耐性が強く、燃焼率が悪いのです。中途半端な火炎では、悪臭を産み出してしまいます。また、煙を浴びたら適切に処置しないと、飛竜や竜に害意を向けられます」
「何だって?」
「嗅覚が優れた飛竜に迂闊に近付いて、殺害される可能性が高いと言っているのです」
薬品が入った小型ポーチから、中和剤を取り出します。
専用の中和剤ではないので、焼け石に水でしかありませんが、しないよりかはましです。
煙を浴びない様に気をつけながら、中和剤を撒いていきます。
ここで、やってはいけないのは、水を掛けることです。
水を掛けてしまったら、一気に爆発します。
厄介な植物なのです。
〔ふにゃあ。ジェス、耐えられない。セーラちゃん。ごめんなさい〕
〔ジェス君?〕
にゃあ。
ジェス君が鳴くと、煙を吐き出す苗木が浮き上がり、四角い空間に切り取られました。
ジェス君の空間魔法です。
さりげなく、リーゼちゃんが煙を誘導して、竜人男性から目隠しします。
切り取られた空間は、一気に圧縮され消失しました。
〔リーゼちゃん。このまま、退避です〕
〔了承〕
リーゼちゃんの腕が腰に回ります。
軽く跳ねると、上昇していきます。
煙が晴れたら、私達の姿は遥か高見にありました。
真下では、竜人男性が私達を探しているのが見えました。
「リーゼちゃん。声を伝えてください」
「ん。了承」
「エルギラの煙を浴びたら、二月は飛竜や竜の前に姿を見せないでくださいね。匂いは湯浴みしても残ります。貴方がどうなろうとも、私達への責任転嫁はやめてください。忠告はしました。それから、エルギラをユリギラと称して渡してくる相手とは、縁を切られた方が身のためです」
姿は見えず声だけ聞こえる状態に、竜人男性は辺りを見回しています。
まさか、天高く空にいるとは思えないでしょう。
本当は、縁を切れとまで忠告する気はなかったのです。
事情は窺いませんでしたが、王宮には猟兵団がいました。
おそらく、彼等辺りから手に入れたのだと思います。
神国所縁のドラグースにおいて、帝国領から持ち出すことが出来るのは猟兵団ぐらいしかいません。
竜を狩るのを至上とする猟兵団が、竜避けの植物を知らないはずがありません。
その魂胆が何処にあるのかは、図りしれません。
エルギラの植えられた数から、かなりの年月を費やしているのが窺えます。
もしかしたら、王家のどなたかは竜王姫の呪いによる竜召の儀式の失敗を、エルギラを植えることで、名誉を守ろうとしていたのかもです。
それが、ヴェルサス家をも貶める行為に繋がっている。
根が深そうです。
王宮に同行したラーズ君が、持ちかえる情報が待ち遠しいです。
〔セーラ、薔薇が来た〕
〔光魔法発動しましゅの~〕
眼下に、深紅のローブを纏う人影が現れました。
エフィちゃんが、光りの屈折を利用した姿を見えなくする魔法を展開します。
なにやら、眼下では言い争いが始まっています。
エルギラとユリギラの違いを問い質しているようすです。
〔薔薇さんは、猟兵団ですよね〕
〔肯定。猟兵団、紋章見える〕
〔儀式の斎場にまで、入りこめることができるのですね〕
〔ん。仲、良好〕
斎場にまで出入りしている。
王家の信頼無くしては、出来ない行為です。
ヴェルサス家の竜召の儀式も、猟兵団がでばってくるのは目に見えています。
リーゼちゃんが飛竜ではなく竜王を召喚したら、竜狩りを狙う目的でしょうか。
どれだけの人数の猟兵団が滞在しているのか、気になってきました。
王宮のラーズ君が心配です。
帰宅を急ぎましょう。
リーゼちゃんを急かして、風に乗りました。
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