『北々亭の芋祭り』 作者 永多真澄
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アンソロジーに向けて一言:特にひねりなく飯屋モノにしましたが、少しでも皆さんの小腹を刺激できれば幸いです。
「北々亭」は、住宅街の中にひっそりと佇む一杯飲み屋だ。ちょうど今頃、つまり夜の8時から10時あたりまでは、そこそこの人の入りがある。ま、いうなれば隠れた名店ってやつ。地元民に愛されて40年の、それなりに歴史を重ねた店だ。
かく言うオイラも常連ってやつで、よく同僚で幼馴染のカズちゃんと飲みに訪れてたりする。
今日もそうだ。いわゆる花の金曜日ってやつで、まあオイラたちは明日も仕事なんだけども、こうなっちゃ飲まずにはいられんべ、となって、なんやかんやでこの店に足が向いちまったってワケ。もうこれは、一種の習慣だねえって来る途中、カズちゃんと笑い飛ばしたりもしたりして。
そんなこんなで「北々亭」の、藍地に白文字の暖簾をくぐったのが、だいたい9時の15分前ってところかな。
「お、カズちゃんにタケちゃん。いらっしゃい。カウンターね?」
玄関戸を開けて真っ先にとんでくる、カウンター向こうの女将の元気な声。いやほんと、客商売するために生まれてきたような人でさ、これでもうすぐ八十にとっつくっていうんだから驚きだ。オイラもあやかりたいもんだね。
あ、ちなみにタケちゃんってのはオイラのことだね。
「だいぶ寒くなってきたからサ。なんかあったかいの食いたくなってね。おばちゃん、とりあえずビール。タケもそれでいいやろ」
「おっけおっけ。なーんも問題なし」
カズちゃんの得意技、席に着きしなビールの注文。ま、これがないと始まんない。オイラも指で輪っかを作ってオッケーのジェスチャー。というかもう、オイラたちの顔見た瞬間におばちゃんグラスの準備してんだもんね。
こういうの、常連って感じで得意な気分になるよ。
「はいどーぞ。今日のはね、里芋の煮っ転がしだよ」
手際よく、キリンラガーの瓶一つ。グラス二つで小鉢も二つ。ビールの栓を抜きがてら、小鉢を覗けば里芋が。ごろっと大ぶりうまそうで、味噌の香りがこりゃたまらん。
これには思わず唾を飲む。この店の何が良いって、通し一品から美味いんだ。互いにビールを注ぐのもそこそこに、これがなんの乾杯かさっぱりわからねども、カチンとグラスを合わせて、ギュッと煽る。
舌の上で踊り、すぐに喉の奥へ落ちていった金色の酒は苦く辛い。そのくせこれがまた美味いんだ。
いやァ、不思議なもんで、仕事終わりの一杯ってのは実にウマイ。これが日本酒だとか焼酎だとかになると重すぎて、酎ハイだと軽すぎる。ビールの持つこの絶妙な塩梅が、いっとう大切なんだよなぁ。
隣のカズちゃんをチラリ伺いみたら、やっこさんビールはそこそこに小鉢に夢中になってやんの。すごい勢いで芋が口ン中に消えてくもんで、まるで手品でも見てるようだったよ。
しっかしまぁ、毎度の事ながらうまそうに食うんだよなぁ。
実際美味いのは間違いないからな。オイラも喉ばっかり喜ばせてないで、そろそろ舌と腹を喜ばせてやるとしますか。
パキンと割り箸を割って、どれ一つと芋に手を出す。これ、わっかるかなぁ。里芋が、箸のつかむ力でギリギリ崩れない柔らかさに炊き上がってんの。ちょっと力を入れればすぐに割れるくらいの、絶妙な……ハフッ……ウン、びっくりするほど柔らかいのに、なんていうのかな、歯ごたえっていうか、里芋のシャキシャキ感がちゃんとあるんだよ。こりゃうめえ。
それにこの温度もいいね。熱すぎず、ヌルくない。ビールのお供になることを考え抜かれてるよ。その証拠に、ほら、もう無くなっちまった。
「おばちゃん、なんか今日オススメとかある?」
カズちゃんもすっかり小鉢は空にしちゃって、壁の品書き睨みながら聞いてたよ。オイラもつられて品書きに目が行ったんだけど、
「なんか今日、やったら芋料理が多いね」
そう、「北々亭」の品書きは日によって変わるんだけども、今日の品書きは上から下まで芋、芋、芋。
今の煮っ転がしはもちろんあったし、じゃがバターだとかコロッケだとか、芋天に肉じゃが、ポテトサラダ。スイートポテトや大学芋なんて甘味に、かわったところだとフィッシュアンドチップスなんてものまである。
常も芋料理はそこそこにあるとはいえ、今日はまたえらく大盤振る舞いだ。
「嫁の実家が芋農家なもんやから、ドサーッと送ってきたんよ。ウチだけじゃ食べ切れんから、お客さんにもおっそわけ」
なーるほど、聞けば納得の理由だ。去年ここの一人息子が嫁をとったのはおばちゃんに聞いてたけど、そうか芋農家。なるほど、なるほど。
「おっそわけってゆーても、ちゃあんと金はとるんやね」
なんて茶化してみたら、おばちゃん、
「そら商売やからね。代わりにうんまうもん作ったげるから、じゃんじゃん注文しられぇ」
なんて言って元気にカラカラ笑った。ちくしょう、好きだなあ。
「それじゃ、じゃがバターとコロッケ。あと、この煮っ転がしもう一鉢」
「俺も俺も。芋天ってサツマイモ? そいじゃー、芋天も。あと、おでんね。ジャガイモの」
カズちゃんに乗っかって、オイラも食べたいもの頼んじゃう。おばちゃんは笑って、厨房に引っ込んでった。ちょっと一気に頼み過ぎちまったかもなって思ったけど、ま、こんなもんでしょ。
「はいこれね、まずじゃがバターね」
「まってましたぁ」
一番先に出てきたのはじゃがバター。いっぺん塩茹でしてからオーブンで焼いたジャガイモに、バターをのっけただけだってのに、どうしてこんな美味いんだろ。塩加減が絶妙なのかもな。溶けたバターが絡まって、ちょうど良い具合の塩辛さ。これがもうちょっと塩くどいと台無しだし、かといって薄味すぎると粉吹き芋になっちゃうもんな。あれはあれで好きだけど。
それになんてったって、ジャガイモのホクホク具合がすごいんだ。さっきの里芋と違って、こっちは芋のシャリシャリ感が皆無に近いほどやわらかくって、口に放り込んだらホロっと崩れる。新じゃがだからかな、ほのかな甘みが堪んない。
「芋天、前に置くからねぇ」
息つくまもなく、次にやってきたのはサツマイモのてんぷらだ。みてよこの分厚さ。写真で伝えらンないのがこれほど悔しいって事もないよ。平皿に、親指の長さほどで切りそろえられたサツマイモがこれまた丸ごと一本。豪快だ。
堪らなくなってさっそく箸を伸ばしたら、これがまた、分厚いくせに硬くない。薄い衣がサクッと音を立てて、吸い込まれるように歯が芋に沈み込んで行っちゃうの。アチッ、アチチ……熱いけど、うめえ!
「タケ、俺にもひときれくれよ。すげえ美味そうだ」
「もってけもってけ。うめえぞぉこの芋天。揚げたの、おばちゃん?」
カズちゃんもハフハフいいながら芋天にむしゃぶりついて、見事にご満悦って様子。そりゃそうだ。こんなにうめえんだもんな。
「んや、ヤスだよ」
おばちゃんがすごく嬉しそうに笑って言うのは、ヤスってのがここの一人息子だからだね。つまり次代の店主ってわけだ。オイラも鼻が高いよ。なんたってヤスちゃんも幼馴染だからなぁ。
「腕、上げたなあヤスちゃん。良い嫁さんも貰って、おばちゃんもこれで安心できるんじゃないの?」
「そやねえ。これでいつおっちんでも悔いはないわ」
「いやいやァ、それはオイラたちが困るよ」
おばちゃんの得意のすぐ死ぬ攻撃にも、なんというか穏やかな心もちで返すことが出来るね。いやほんと、ヤスちゃんめでたい!
そんなこんなで降って湧いたような芋祭りに、オイラの顔も芋みたいにホクホクだ。なんて、言いながらチビチビやってたら、あっという間に瓶がすっからかんになっちゃった。
「おばちゃん、ビールも……」
空になった瓶を掲げて注文しかけて、おっと待てよと急停止。どうせ今日は芋祭り、ならばとことん芋でいこう。
「やっぱし芋焼酎、水割りで!」
「あいよー」
「あ、俺も芋焼酎。タケと同じで」
かんらかんらとおばちゃん笑って、思わずカズちゃん後を追う。冴えないおっさんふたりして、粋な料理に舌鼓。
今夜もまだまだ宵の口、宴は続くよいつまでも。