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『芋の思い出』 作者 西 勇士

URL:http://mypage.syosetu.com/848281/

一言:初めての参加です! 自分向上の為に書きました。

 芋を見ると、どうしても思い出してしまうことがある。

 あの子のことを……


 あれは確か富士の樹海での最後の訓練だったと思う。

 男女のペアを手錠で拘束して、富士の樹海を走破すると言う訓練、装備は非常用食料として軍用携帯食料レーション一個と二百五十のペットボトル一本で、その他は現地調達。

 到着地にペアで来ること、その際の生死は問わない。

 それがおれの最後の訓練の内容だ。


 おれがペアを組んだのは040と呼ばれる女だ、おれよりも二つ下で年は確か十四。

 セミロングの銀色の髪に大きな栗色の様な茶色い瞳が印象的だ。

 身体つきは服の上からでもわかるように華奢だ。


 彼女についてはいろいろな噂がある、元援交少女、ヤクザの情婦、大量殺人、等々。

 数え上げたら切りがない程の噂がある、だが、おれに言わせればここに居る連中は皆、同じ穴のムジナだ。

 そう言うおれも、人を殺してここに居る、ここに居れば、いや、ここで生き残ればおれの罪は消えてなくなるのだ。


「貴様らの最後の訓練だ、この訓練をクリア出来たモノが、人の超えた力を手に入れ、この国を護る力となる、最後の訓練だからと言って気を抜くな、この樹海には実弾を装備した兵士が配置されている、それらの障害を突破して、到着地点まで来い、いいな!」


 皆が一斉に敬礼する、実弾装備の兵士という言葉を聴いても驚きもなかった。

 いや、どことなくわかっていたのかもしれない、この訓練は最後の口減らしだと。


 これまでの訓練でも多くの同期が死んだ。

 二百人近く居た訓練生は最後のこの訓練にまでに八十人が命を落として、四十人が途中で脱落した。

 脱落したモノがどうなったかは、知らない。

 始末されたのか、そのまま解放されたのか、それもわからないのだ。


 だが、言えることがある、ここに居る人間は皆、何かしらの罪を犯して、その罪を消す代わりにここに居る、ここでしか生きられない者達。


 教官達は自分達の事を『ゴミ』と呼ぶ、『人間のゴミ』『社会のゴミ』『国のゴミ』いろいろな意味が込められている。

 まあ、つまりだ、おれ達は初めから人間として見られていない、人として扱われない。


『人になりたかったら、ここで生き残れ』それが耳にタコが出来るまで教官達から聴かされた言葉だ。


 おれは生き残り、ゴミから人になる、でも、最大の障害はこの相方だ。

 この厳しい山の中で生き残ることが出来るが正直不安だ、最悪の場合は死体を背負って到着地を目指さなければならない。

 それを考えると、余分な体力は使えない、どうクリアするか、どう突破するか、頭の中で作戦を練る。

 

 ぐうっうううーー


 盛大な腹の虫が森の中で鳴り響く。


 教官の怒りの声が森全体に響き渡る。


「また貴様か、040! 貴様は本当に飯を食うゴミだな」

「済みません、済みません!」


 おれの横でひたすら040は頭を下げ続ける。

 本当におれは生き残れるのかな?


 午後1500時をもって訓練開始。

 全三十八組が一斉に森の中を駆け抜ける、到着地は樹海の北富士演習場の近くの廃屋である。


 富士の樹海は夏場であろうとひんやりとして涼しかった。

 暫く進むと少しだけだが拓けた場所に出る、襲撃するならこのポイントだな。

 そんなことを考えていると隣のペアの男の頭が吹き飛ぶ、遅れて銃声。


 狙撃――


 殆どのペアが樹の影や倒木、岩陰に隠れるか、隠れそこなった数組のペアが次々と撃たれていく。


 おれは彼女を無理やり引っ張り、岩陰に身を潜める。


 どこから撃ってる?


 少しだけ身を乗り出すが、どこにも見当たらない。

 偽装カモフラージュが上手いのか、それとも相当離れているのか、銃声と着弾の時差から考えると六百メートルは離れていると見ていいだろう。


 さて、どうしたものか、考えていると、ふと彼女がおれの裾を引っ張る。


「なんだ?」

「敵の位置、わたし、わかりますよ」

「はあ?」


 唐突すぎるセリフに一瞬だがわからなかった。


「そこの岩場です、一瞬でしたが、何かが光ったように見えました」

「本当か?」

「確証はありませんが」


 さて、どうしたものか、これを確かめるのにはどうしたらよいか。

 考えるよりも先に、彼女の方が動いた。

 隣のペアが意を決して飛び出したのを同時に、彼女はおれを引っ張り最初の撃たれたペアの骸に隠れるように女のポケットを探る。

 その間に同じように動いた数組のペアが居たが、最初に動いた隣のペアと、最後に動いたペアが撃たれその場に倒れる。


「何してるんだ! こんな所に居たら撃たれるぞ!」

「ありました、向こうの岩陰に!」


 おれと彼女が走り出そうとして立ち上がると、足に何かが絡まった感触が足元から来る。

 振り向くと、ペアの女の方がまだ息がある、微かに動く口が何かを語り掛ける。


――何を言っているんだ?


 おれは彼女の声のならない叫びを聞く。


「そ…… それ…… おばちゃんの形見…… 返して……」


 涙を浮かべながら彼女は語り掛けてくる、返してと。


「伏せて!」


 あの子の叫び声でおれは我に返る、040の方振り向くとこちらに飛び掛かりその場に倒れこむと同時に、地面が抉れるように弾け飛ぶ。


 狙われていた。


 おれがそう思った次の瞬間、040は信じられない行動に出る、まだ息の合った彼女を抱き起こしおれの達の盾にしたのだ。

 息の虫の彼女の唇がまだ動いている、返してと、でも、次の銃声と共に彼女の背中から血が噴き出ると同時に、唇は動かなくなり、瞳孔は完全に開き切った。


 おれは静かに彼女の瞳を閉じた。


「次の銃声で動きます」

「おい、お前――」

「行きますよ!」


 有無を言わさず彼女は銃声と共に走り出す、すると彼女は手の方を狙撃手が居るであろう方に向け、上下に動かす。

 よく見ると、小さな装飾された首飾りの鏡だ。


――あいつ、さっきの探っていたのはこれを取る為か。


 そのまま、彼女はその鏡を投げ捨てる、すると、その鏡は銃声と共に砕け散った。


「お前な!」

「なんですか、しゃべりながら走ると舌、噛みますよ」


 そう言って手錠で繋がれた左腕を040は引っ張る。

 おれは、怒鳴りたかった。

 何故あんなことをしたのか、どうして、お前は平然と人を見捨てられるかと、彼女は同じ訓練を受けた仲間なんだぞ。

 そう言いたかった、次の瞬間、体が浮く感覚でそれらの考えが一瞬にして消えてなくなった。


「なあッ!」


 小さな滝つぼに真っ逆さまに落ちたのだ。

 咄嗟に040を庇おうとしたが、逆に040がおれを抱き込むような形を取る。

 そのままおれ達は滝つぼに落ちた。


 あれはいつの事だろうか、よく思い出せない。

 父と母が不審な死を遂げてから、しばらくは施設で育った。

 そこで、おれは不思議な女の子と出会い仲良くなった記憶がある。

 名前はもう覚えていない、何という名前だったか。

 でも、その子のことでよく覚えているのは、芋料理だ。

 料理と言えるものではない、蒸し芋に塩を振っただけの、モノだ。

 でも、どうしてだろう、なんで、あれがあんなに美味しいと思ったのだろうか、今のおれには思い出せない、思い出すことが出来ない。


 鼻腔を擽るような良い匂いが眠っていた五感を呼び起こした。

 うっすらと開いた目には焚火の炎と040の背中が見えた。


「お前…… 何をしている?」


 040は振り向き、静かに笑顔を向けると正面へと向き直る。


「お前、敵地侵入地の行動規範の座学、聞いていたか? 火を使うって、頭、正気か?」


 彼女は振り向きもせずに答えた。


「さあ、知りません、わたしは食べ物に関して妥協したくないので」

「食べ物だ?」

「はい、待っていてください、今できますから」

「出来るって、何か?」

「ムフフフフンッ」


 040は不敵な笑みを浮かべながら彼女は見せびらかすように、どこから拾ってきたのか缶詰の中身を見せる。


「じゃぁあん! 軍用携帯食料レーションと芋の塩だよ!」

「……はあ?」


 数秒間の沈黙の後におれが出た言葉がそれだった。


「おい、待て、まさか、軍用携帯食レーション全て使ったのか?」

「うん、肉類が欲しくて」

「バカ! お前は本当にバカか! 食料はそれしかないんだぞ! これから先どうする!」

「別にいいんじゃない、飢餓訓練は受けたし、二日ぐらい大丈夫でしょうあなたは、わたしは無理だけど」

「だけどな――」


 その先の言葉は口封じに突っ込まれた芋の所為で言えなかった。


「--美味いな、これ」


 塩の味しかしないのだがそれなりの甘みがあった。

 どことなく遠い記憶を思い起こすかのような懐かしい味を思い出す。


「美味しいでしょう」

「でも、芋なんてどこで手に入れたんだ?」

「芋じゃないよ、これね、ユリの根だよ」

「ユリ? ユリって花の?」

「そう、ヤマユリの根、これをね、肉の水煮の煮汁で茹でて灰汁だししたら、どけて置いた肉と一緒に茹でるだけ、ユリの根って滋養強壮の成分があるから、いいかなって、思って」

「意外と博学だな」

「これでも、料理人を目指してますので!」

「そのなりでか?」


 040のスプーンの手が止まる。


「うん、このなりでも、こんな穢れた体と手でも、わたしは生き抜いて料理人に成りたい、わたしは、お父さんの様な料理人に成りたいの」


 040は黙って黙々と食べ始める、日が落ち始め辺り一面が暗くなり始める。

 流石に夜に火をつけるのはマズいということで消したが、真っ暗になると本当に何か出るのではないかと、思えるように、静まり返る。

 時折、遠くから獣だろうか何かの鳴き声が聞こえてくる。


 おれ達を繋いでいる手錠は頑丈でそう簡単に取れそうにない。

 まあ、取ったら即失格と言われているので誰も取ろうとしないだろうが。

 夜の内は動かない方がいいという話になり、おれ達は木の根の窪みに身を隠しながら交代で仮眠を取ることにした。

 最初は040が寝ることになったが、この森の中、夏場とは言え日が沈むと薄っすらと肌寒い中、堂々と040は鼾を盛大にかきながら寝ていた、訓練用に戦闘服とはいえ、薄着一枚で寝られるこの神経。


 こいつの心臓は剛毛が生えていそうだ。


 ふと、前にもこんなことが有ったような気がする、あれはいつだっただろうか、結構前の気がするがどうしても思い出せない。

 

 三時間程して彼女を起こして、おれは眠りについた。

 その日久しぶりに夢を見た。

 遠い日の夢。


 十歳の冬、父と母が不審な死を遂げてからおれは山奥の施設に入れられた。

 不愛想な父には親類はいなかった、さらに母方の親類はおれを引き取るのを拒んだ。

 どうやら、父と母の関係を母方の親類は良く思ってはいなかったらしい。

 おれは山奥のこの小さな施設で四年間過ごすことになった。


 その四年間はあまりいい思い出はなかった。

 入所初日に母がくれた大切なアクセサリーを施設で威張っていた同い年のガキに隠されたからだ。

 おれはそのガキの顔面に思いっきりに拳を殴り付けてやった。

 相手は鼻の骨を折る重体、止めに入ろうとした取り巻き達も返り討ちにして同じく病院送りにしてやった。

 おれは、一人になった。

 施設では誰もおれに近づかなかった。

 近づこうともしなかった、近づけば何をされるのかわからない。


 でも、そんなおれにも一人だけ近づいてくる奴が居た。

 施設の子ではない、山を隔てた向こう側の街に住む少女。

 そう、ちょうどこいつの様な銀色の髪の色をした。


 おれはそこで目を覚ました。

 朝日が周囲を照らして、朝霧が幻想的な世界を作り出している。

 ふと、隣を見ると何かを捌いている、覗き込むと捌いていたのは蛙だった。


「それ食うのか?」


 おれの質問に040は笑顔で答えた。


「うん、蛙の肉ってね鳥みたいな味がするんだよ! サバイバル訓練の時に食べたモノの中で蛇の次に美味かったし!」


 おれはサバイバル訓練での生の蛇を捌いて生で食ったことを思い出す。

 

「おれはどれも美味くなかった」


 おれの言葉を無視して彼女は真剣な目で蛙を捌いていく、いつの間に作ったのか石包丁で皮と身を切り離し、その身を火にかける。


「また、調理し終わったら直ぐに消せよ」

「はーい」


 彼女は緊張感のない返事をして調理を続ける、昨日の肉水煮レーションの残りを塗り付けて、彼女は蛙の肉を焼き始める。

 辺り一帯に香ばしい匂いが立ち込め、口の中に唾液が込み上げて来る。

 肉の水煮だと言うのにどうしてこうも食欲を誘うのか。


「はい」


 そう言って040はおれに蛙の肉を渡した。

 小さな身であるが貴重な蛋白源である。

 おれは口に入れると、パサパサした肉のイメージとは裏腹に脂身がある味、肉の水煮の油が油っ気のない蛙の肉にこってり感を出しているのか。


「美味いでしょう」

「ああ」

「どうだ、褒めろ!」


 笑顔で言う彼女を見て、おれは思わず言ってしまう。


「お前、普段は頼りないようフリをしているか?」と。


 040から笑顔が消えた。

 おれは、直感的にこの先は訊かない方がいいと悟った。

 この先は人の心に入り込む可能性がある、ここに来た時から暗黙の了解で過去を詮索しないと言う『ルール』があった。

 それを破ったモノは必ずと言っていい程、訓練中の事故や自殺、あるいは行方不明となった。

 誰かそうしているのか、誰かやったのか、どうして自ら命を絶たなければならなかったのか、わからないが人の詮索して欲しくない過去を知るのはその覚悟が必要だと、ここでの生活でおれは知った。

 040は黙ったまま、食べ残った骨を捨てる。


「ねえ、本当に罪って消えると思う?」


 唐突に出た質問に、言葉を喉の奥に詰まらせたかのように喋ることが出来なかった。

 それは誰しも思っていることであり、考えないことにしていることだ。

 だって分かりきっていることだから、罪と言うのはそう簡単に消すことはできない、書類上消せても心の奥にこびり付いた『罪』という意識は消すことは出来ないから。

 でも、040は本当に消したいのだろう、己の起こした何かの『罪』を。


「お前は何をしてここに来たんだ?」


 おれは踏み込んではイケない領域に踏み込んだ、

 それは暗黙の『ルール』を破るモノだが、おれは知りたくなったのだ、彼女のことが、とても。


「……わたしのお父さん、ロシア人なの」

「不法移民?」


 ロシア人と聞いて最初に浮かんだ言葉がそれだ。

 でも、040は首を横に振った。


「ちゃんとした人だよ、たぶん」

「たぶん?」

「札幌のロシア領事館の料理人だったの、お母さんはそこで働いていた日本人」

「それで?」

「お父さんとお母さんは領事館で出会って付き合ったらしいんだけど、公使の交代の時にロシアに帰ったんだって、その時、お母さんのお腹の中にはわたしが居て――」

「おい、随分とベタな展開だな、今どきのドラマでもそんなシナリオ、考えないぞ」


 そう言うと彼女は頬を膨らませてむくれ顔をする、その顔はまるで両頬に木の実を詰めたリスの様に可愛かった。


「結局のところ、お母さんはわたしを生み出した!」

「ここに来て随分投げやりになったな」


 さらに頬を膨らませる。

 なんだか和むな、この顔。


「お前の生い立ちはどうでもいいだよ、どうして、ここに連れられて来た?」

「わたし、お父さんを殺した人を殺したの」

「……復讐か?」

「そうかもしれない、でも、今思えば出来過ぎだったと思うよ、たぶん、わたしがそうするように仕向けられたような感じがあったから」

「でも、それは消したい罪になるのか? お前にとっては達成した目的だっただろう?」

「お父さんを殺したのか、お母さんだったとしたら?」

「えっ?」

「わたしのお母さん依存症気味の人でね、お父さんと別れた後いろいろな人と付き合ったそうだけど、でも、どれも上手くいかなかったんだって、そんな時にお父さんが日本に戻って来たの」

「何しに?」

「レストランを日本でやる為とわたしを探しに、なんでも、領事館の友人からわたしのことを聞いたんだってさ、で、お母さんはお父さんと結婚」

「なんだかわからんな、聞く限りではお前さんの家族が幸せになったと、エピローグが流れそうな感じだが?」

「世の中そんなに上手くいかないんだよね、お母さんの依存症がさ、酷くなってね、もうべったりとお父さんい依存してて、でも、お父さんはお母さんよりわたしの方をばっかり気に入して、それをさ、嫉妬したの、うちのお母さん。ある日ね、お父さんと二人で遊園地に行ったんだけど、その事にお母さんが酷く怒って、そん時は本当に怖かった」


 両腕で小刻みに震えだした肩を040は包み込むように抑える。


「そん時のお母さんの顔が今まで見たことのない程、怖い顔をしていて、今でも、頭の中にこびり付いているよ、あの時の顔」


 おれは何も言わなかった、何も言えなかった。


「で、事件が起きたの、お父さんが誰かに刺されたの」

「誰かって、もしかして……」

「お母さん、たぶん、確証はないけど」

「お前、確証もないのに自分のお袋、殺したのか?」


 040は黙って頷いた。


「どうしてまた……」

「わたしにとってお父さんは、わたしの全てだったから、物心付いた時からお母さんは男の家に入り浸ってから、家には帰らないし、居ても冷凍品ばかり冷たいごはんでさ、でも、お父さんは違ったの、どんなにお店が忙しくっても、わたしの為の温かいご飯作ってくれたし、誕生日にはケーキじゃないけど大きなパイを焼いてくれたし、わたしが厨房に入っても文句も言わないし、料理の指導もしてくれたし、本当に、わたしにとってお父さんは大好きなお父さんが全てだったから」


ようやく見つけた『温かい場所』をいきなり失った彼女にとって、『温かい者』を奪った者は許せなかっのだろうか、それで、実の母親を殺せるのだろうか。

 たぶん殺せた『殺せたからこそ今、その罪を背負っている』のだ、彼女は。


「お父さんが亡くなって、お母さんが情緒不安定気味になって、しばらく、山奥の施設に入れられたけど――


 そこでおれは040を見る、040は俺を見ずに空を眺めていた。

 ああ、この顔、どこかで見たことが有る、この子はあの時の――


「伏せて!」


 彼女の叫び声と同時に040の肩を何かが掠める、掠めた先から深紅の様に赤い血が滲み出ている。

 敵、そう頭に過ぎるよりも早く、おれと040は動いていた。


「どうする!」

「逃げる!」

「同意見!」


 おれと040は走り始める、森の中を駆け抜ける。

 そうだ、小さい頃もあの子とこうして森の中を駆け抜けたような気がする。

 懐かしい記憶がどことなく蘇って来る、でも、肝心なことが思い出せない。

 あの子の名前が思い出せない。


「この訓練が終わったら、教えて欲しいことが有る!」

「何ィ!」

「お前のな――」


 背中に一瞬の激痛が走り、その後次第に生暖かい感触がする。

 撃たれた、背中を。

 弾は貫通して右脇腹か040と同じような深紅よりも濃い、赤黒の血が流れだしている。

 倒れそうになった体を彼女は支えてくれる。


「しっかりして!」

「死ねるか!」


 おれは040の声に応えるように大声を出した。

 足でまといになるモノか。

 おれは040の手を握り走り出す、どこか隠れる場所、どこか!

 水の匂いがした、どこから川が流れている。

 駆け抜けると小高い丘に落差がある滝に出る。


「へ、おれはどうやら滝に縁がありそうだ」

「えッ!」

「飛ぶぞ!」

「ま――」


 おれは今度は040を抱きかかえるようにして滝つぼに目掛けて飛び降りた。



 小さい頃の記憶と言うのは美化されやすいと言う。

 それは人間が求める本能だろうか、昔はこうだった、これがあった、これが有って楽しいかったと。

 あの時の記憶もそういう風に美化されたモノだったのかもしれない、この訓練までそう思っていた。

 

 でも、そうではなかった。

 あの子は居たのだ、ここに。

 だとしたらあの子に何と伝えよう。

 君が素晴らしいと言ったあの『山』はない、土地の再開発でゴルフ場になった。

 君が素晴らしいと言ったあの『川』はない、ダム建設で村ごとダム湖に沈んでしまった。

 君が素晴らしいと言ったあの『施設』ももうない、燃やされてしまった。


 そう、燃やされてしまった。

 あの施設は。


 目が覚めたのは、何かよい匂いがしたから、それは食べ物の匂いではない。

 女性特有の匂いと言うのだろうか、それとも、母性の匂いと言うのか、どれが正しいのかわからないが、とにかく、遠い日の記憶、母親に背中におんぶされている時と同じ匂いがした。


「目、覚めた?」

「ああ」


 おれは辛うじて声が出た、少し血を流し過ぎたのか頭がボーとしている。


「お前、ずっと背負ってたのか?」

「うん、早く小屋について怪我、見てもらわないと」


 おれはスタート時の『ダメな相方』と言う考えを捨てなければならない、おれは使えない奴と勝手に烙印を押して、生き残る方法の算段から除外していた。

 でもどうだ、蓋を開けてみれば彼女の方がおれよりも優秀だ。

 おれなんかよりも。


「なあ、一つ聞いていいか?」

「うん、何?」

「お前の名前……」

「それってさっき聞こうとしたこと?」

「ああ」


 040は無言のままおれを背負って歩き続ける。

 静か過ぎる夜の森はどことなく異様な恐怖を煽る。

 前の夜間訓練の時に教官が言っていたことを思い出す。


 闇に飲まれるな、闇を恐れる者から闇に飲み込まれると。


 だとしたら今のおれは闇に飲み込まれているのか、まあ、でもいいっか、男ながら情けないが彼女の背中のぬくもりはどことなく安らぐ。


「わたしの名前は、小屋についてから、教えます」


 瞼が落ちかけたところで彼女の声で辛うじて閉じずに済んだ。


「わたしも、一つ聞いていいですか?」

「……ああ」

「あなたは何をしてここに来たのですが?」


 おれは黙ってしまった。


「わたしは教えたんです、あなたも!」

「おれは人を四人殺した、あの施設の職員を四人」

「……」


 彼女は押し黙った。


「あの施設、寮長が変わってからおかしくなったんだ、職員もそっくり入れ替わってさ、何よりも今まで見つからなかった里親が次々と見つかってな、で、ある時、おれ、聞いたんだよ里親と寮長が話しているのを、アイツら、おれ達を外国に売り飛ばしそうとしていた」


 あの時のショックは大きかった、それ程仲がよかったわけではないが、同じ釜の飯を食った仲だ。

 ここから出て新しい生活を送れているそう思っていた。

 でも違っていた、アイツらはおれ達子供を売り物にしたんだ。


『大丈夫か、こんな大手を振って人身売買など』

『大丈夫ですよ、案外この国は抜け目ないように見えて、結構抜けてますから』

『そうですね』

『そうですよ、我々はただ慈善事業しているだけですよ、その後のあの子達に何が起きようとも、我々の責務は果たしているのですから』


「おれは人間があそこまで腐っているのを初めて見たよ、だから殺した、アイツらを一人残らず、殺して、施設ごと焼いてやった、全部燃やしたんだ」


 そしておれとまだ売られる前の数名の子供と共に国に拾われた。

 そして言われたのだ、生き残ればこの子達は普通の生活を約束すると。


「おれは悔いるつもりもなければ、許しを請うつもりもない、おれは間違ったことはしていない、生き延びて、おれは新しい人生を歩むんだ」

「……そうですか」


 そのまま彼女はおれを背負い続けた。

 黙ったおれと背負う彼女。

 彼女は許しを願いここに居る、おれは新しい人生を歩む為にここに居る。

 おれ達は境遇は似ていても願うものは違うものかもしれない。


「わたし…… 施設にしばらく入れられたって言ってたじゃないですか、実はあの時、変わった子と仲良くなったんですよ、その子はいつも、森の中で施設の子とは相容れずという感じで、いつも空ばっかり眺めていて、わたしがその子に『何を見ているの?』って言ったらこう言ったんです」


 彼女は前を向きながら言った。


「あの空の雲って食べられるのかな」


 それはおれだ。

 ああ、やっぱりだ。

 この子はおれの思い出の子だ。


「お前、おれと一度会ったことないか、おれは――」

「見えて来ましたよ」


 いつの間に日が差し始めていた、浅い日が森全体を照らし始め、薄暗い森を明るくする。


「さあ、行こう、もう終わりだよ、これでわたし達は生まれ変われるんだよ」


 何とも情けないがおれは彼女に背負われながら小屋に辿り着いた。


 辿り着いた組は全部で七組十四人だった。

 三十八組中生き残ったのはこの七組だけ。

 生き残った組は誰もがボロボロであるが、何かしら絆を結んだという雰囲気を出していた。

 皆が互いを助け合って生き延びて来たのだ。

 それなりに友情が芽生えても仕方ないだろう。

 おれは応急手当をして、集合場所に来ていた。


 おれは彼女を見つけて隣に立った。


「傷は大丈夫?」

「何とか、まだズキズキ痛む」

「無理しない方が」

「名前」

「えっ?」

「まだ聞いてないだろう、小屋に着いたら教えるって」

「ああ、ええっとね、わたしの名前は――」

「諸君! よくここまで辿り着いた!」


 教官の太い声が森中に響き渡る。


「ここまで辿り着けたのは、諸君らのパートナーとの協力があってのモノである、これから先、諸君らが『社会のゴミ』『人間のゴミ』『国のゴミ』などから卒業してこの国を護って行くことになるだろう!」


 そうだ、おれ達はもう、『ゴミ」ではない人間に戻れる。

 おれは彼女を見た、彼女もまたこちらを見ていた。

 ふと、どことなく動悸が激しくなる。

 彼女の顔を見ていると顔が赤くなる。

 あれ、これってもしかしてのもしかしてか。

 おれは深呼吸して彼女を見ると、向こうもまた顔を赤くしていた。

 これってもしかして、おれって。


「なあ、もしよかったらだけど」

「うん」

「今度、ちゃんとした料理……食べさせてれくれないか」

「うん」


 おれは心の中で喜んでいる自分がいることに気付く。

 ああ、間違いない。

 おれは彼女を――


「では、諸君、最後の卒業試験だ! 今からナイフを渡す、このナイフで」


 おれは彼女の再び見る。

 訊こう、君はあの時の君なのかと。

 教官の話が終わったら、訊こう、もしそうなら、あの時からおれは――


「パートナー同士で殺し合え」




 

 おれは今、芋を洗っている。

 昔のことを思い出すのは決まって芋を洗っている時だ。

 都内の一土地にあるレストランでおれは今、働いている。


「今日の予約、夕方六時からニ十組七十七名、八時台、三十四組百二名、合計百七十九名!今週最後の大山場だ、皆さん、これを乗り切って、楽しい週末に迎えるように!」

「はいッ!」


 厨房とテーブルは弾丸が飛び交う世界よりも過激だ。


「次の仕上がりは!」

「五十秒!」

「パスタはどうした!」

「二つ上がります!」

「リゾットは!」

「既に八人前出来てます!」


 おれは八皿のリゾット渡し次の作業に戻る。

 一つの工程に五分以上掛けるわけにはいかない、メインの付け合わせとリゾットがおれの仕事場だ。

 二つの同時にこなせるまで大分時間がかかったが、なれと言うのは怖いものだ。

 オーダーを聴いて直に必要なモノが頭の中に浮かびどれとどの位置に食材があるか頭で考えるよりも体が先に動く。

 あの子が目指してたいた世界におれは今居る。


 あの最後の試験でおれは彼女を殺した。

 心臓に刺さったナイフから零れ落ちる赤い血が今でも脳裏にこびり付いてい居る。


「すまない、おれは生きたい、生きたいんだ!」


 人間の本能と言うのは怖いものだ。

 生きたいという思いはこうも先ほどまで感じていた心を捻じ曲げてしまうのだから。


「謝らないで…… これがわたしに下された罰なら…… 受け入れるべきだから」

「すまない、すまない」

「あのね、たぶんだけど、わたしとあの子を勘違いしているよ」

「えッ?」


 彼女は掠れるような声で言う。


「わたしも君とはあの施設で会っているの、君はいつも空ばっかり眺めて、でも、わたし一度だけわたしにくれたモノがあるでしょ、今は失くしたけど、もらったアクセサリーごめんね」

「そんな、こと……」

「あのお礼をずっと言いたかったけど、でも、君はいつもあの子と森で遊んでいたから」

「そんなことどうでもいいよ」

「ねえ、耳を近づけて……」


 おれは耳を近づける、彼女の掠れそうな消えそうな声で言った。

 彼女の名前を――


「あの、芋料理は、その子から教わったの、ねえ、どこかで会えたらお礼言ってくれるかな?」

「うん、言うよ、絶対に言う」

「ありが――」


 彼女の言葉は言い切れる前に事切れた。

 おれはどうしてこうも忘れていたのだ、おれの友達は彼女だけじゃなかった、この子もまた友達だったじゃないか、どうして、今の今まで思い出せなかった。

 おれは泣いた、その場は共にパートナーを失った者達の声でこだましていた。



 おれは彼女がなれなかったモノを目指した。

 国はそんなおれにこの店を紹介してくれた、ここで一から働けばいいと、履歴を偽装してこの店に入って既に二年が過ぎた。

 料理は奥が深い、彼女が目指したかったのは良くわかる。

 仕事は厳しいし辛いし理不尽なことが多いがそれでも、温かい食事をして笑顔になる客の姿を見て、『また来ます』その言葉がどんな辛さも忘れさせてくれる。

 お前も見たかったんだろう、この笑顔を。

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