『橋の下のおバカさん』 作者 空伏空人
一言『橋の下を覗いてみると(意外と着地できそう)と思うときがある』
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明日というものが考えられなくなったのは、いつ頃からだろうか。
昨日というものは考えられる。それは過去であり、存在していたものであり、頭の中に残っているからだ。
今日というものも考えられる。それは足元であり、存在しているものであり、目の前にあるものだからだ。
だが、明日というものはどうだろうか。
存在するかも分からない。
頭の中にも、目の前にもない。
なかったとしても、おかしくない。
……。
くだらないことを考えている。それは俺自身も分かっている。
失業中の身だから、そんなことを考えてしまうのだろう。
多分、精神的に疲れているのだろう。
疲れ切っているのだろう。
そんな時は時折、橋の上から下を覗き見たりする。
橋の下には明日はない。今が落ちて、亡くなってしまう場所だ。
そこに落ちたりしない限り、俺には明日がある。
そんな風に考える。
ごまかしている。
そんなある日のことだった。
無職でも生きていれば腹は減る。
じゃがいもとなすとなんか色々を買って家へ帰っていた俺は、やるせない気持ちを隠すように橋の下を覗きこんだ。
「ん?」
橋の下には当然のことながら川が流れている。それと同時に、少しばかりの空き地もある。
橋の付け根のあたりにある。夏になるとバーベキューをしに、俺なんかよりも明日がないかもしれない奴らや明日はあって幸せが続くのだろう家族がやってくる空き地だ。
そこに、一人の女の子がいた。
いや、それは特筆するほどのことでもないだろう。
それぐらいよくいる。俺だって子供の頃は川辺に一人で行って、水切りとかして遊んでいたし。
しかしその女の子は水切りをしているわけでも、バーベーキューをしているわけでもない。
じゃあ、一体なにをしているのかと言えば、掘っていた。
一心不乱に、一生懸命に、地面をスコップで掘っていた。
まるでそこには徳川埋蔵金か邪馬台国の証拠が眠っているとでも言わんばかりだ。
……。
気にならないと言えば嘘になる。
けれど、俺だってただひたすら穴を掘ることに熱中していた時期もあった。
とにかく掘って、掘って、掘って、硬くて掘れないところまでたどり着いたところまで行ったら、掘った地面を戻す。
ブラジルに行けるとは露とも思っていなかった。ただ、掘るという行動が楽しかったんだ。
娯楽が少なかった子供時代だからこそ、そんなことさえ楽しく思えたのだろう。きっと彼女もそういうものだ。そうに違いない。
そう考えて俺はさっさと自分の家に向かって足を進めた。
「よう、なにをやってんだ?」
そのつもりだったのだが。
いつのまにか。俺は橋の下にわざわざおりて、少女の前に立っていた。
少女というか童女というか。
小学校低学年ぐらいの女の子だ。
声かけ案件。
防犯ブザーがけたたましく鳴ってもおかしくないような状況だったが、運がいいことに女の子は防犯ブザーを持っていなかった。
俺が後ろから少し離れた場所から声をかけると、女の子はぴくりと体を動かして、ずっと動かしていたスコップを止めた。
首だけ動かして振り返る。
俺の引きつった笑みが、目に写っている。
「イモを掘っています」
「芋?」
「いも」
はて。
この子は一体なにを言っているんだろうか。
俺は川辺の空き地を見回しながら思う。
ここにあるのは普通の地面より少し硬めの地面と、雑草だけだ。
どう考えても芋が埋まっているとは思えないし、どう考えても芋が成長するとも思えない。
ここの土地は、食物を育てるにしては死んでいる。
しかし、女の子の目は真剣そのものだ。嘘をついているようにも、ほらをふいているようにも見えない。
本当に掘ったら芋がでてくると思って掘っているのだ。
世間では『今の子供は魚が切り身の状態で泳いでいると思っている』という言説が流れていて、いやいやまさか、今の子供をバカにしすぎだろう。さすがに魚の一匹や二匹、泳いでいる姿を見たことぐらいあるはずだ。水族館にも行かないのか? とか思っていたけれど、どうやら『どんな土地でも掘っていれば芋がでてくる』と考える子供はいるらしい。
おバカさんだ。
今の子供全員がこうだとは思っていない。
女の子はじろり、と俺を睨む。
「おじさんは誰ですか?」
「おじさんって、俺はまだ26だぞ」
子供のころは、26でもおっさんおばさんだったかもしれない。
そう言えば、そんな風に呼んでいた気がする。
それでも一応、自分の威厳を保つために文句を口にしつつ、上の橋を指さした。
「別に、特に用はないよ。ただ、橋の上から覗きこんでみたらきみがせっせと穴を掘っているのを見かけてさ。なにをしているのか気になったからなんとなく」
女の子はすくと立ち上がり、体の前面を俺に向けるようにして立った。
足はすり足で、後ずさっている。
警戒されてしまった。
俺は慌てて、自分が持っていたビニール袋からじゃがいもを取りだした。
「ほら、どうして芋がほしいのかはさっぱり分からねえが、ほしいならやるよ。そんなところ掘ってないでさ」
女の子は俺が差しだしたじゃがいもを見てから、首をふるふると振った。
「知らない人からモノを貰ってはいけませんと。お母さんから教えてもらいました」
「そこはきちんと教育されてるんだな」
「それに、芋は掘れます」
掘れば、芋はでてきます。
女の子は確固たる自信があるのか、そう言い切ってから俺から逃げるようにして川辺から去っていった。
……。
なんだったのだろう。
どうして、芋を掘ろうとしていたのだろう。
理由はさっぱり分からなかったし、おっさん呼ばわりされたし、なんだか不審者扱いされてたし。と散々な一日だった。
がっくりと肩を落として、俺は今度こそ、家に向かって歩きだした。
***
次の日。
明日を想像できない人にでも、明日は来るらしい。
俺は橋の下にいた。
あの女の子の姿はない。ここらへんにはホームレスもいないから、橋の下は静かだ。
あたりを見渡して、俺は地面を掘り始めた。
もちろん、あの子に感化されて穴掘りをやってみようと思ったわけではない。
いくら掘ってもブラジルには届かないし、芋だってでてきやしない。拳が入るぐらいの大きさの穴ができるぐらいまで掘り進んでできたのは、拳が入るぐらいの大きさの穴だ。
掘り終わると俺は、あらかじめ用意しておいたジャガイモをその穴の中に入れると上から砂をかけた。
もちろん、ここでじゃがいもの栽培を始めようとかそういうことを考えているわけではない。昨日、確固とした自信があるかのように「掘れば芋がでてくる」と言っていた女の子は、おそらく今日もここに芋を掘りにやってくるだろう。
こんなご時世だ。こんな人目がない場所に小さな女の子が一人で地面を掘っていたりしたら、なにかしらの犯罪に巻き込まれる可能性がある。だから、彼女が納得するように芋を用意した。
昨日はジャガイモをあげようと思ったら拒否されたが、今回は自分で掘り当てたものだ。知らない人から貰ったものではない。
これなら大丈夫だろう。
ふふふ、お前に最初に気づいた大人が善良なる無職こと俺でよかったな。
そうこうしているうちに、昨日女の子を見かけた時間が近づいてきた。慌てて近くの茂みに隠れる。
川辺の空き地の周りは整備なんて一切されていない、生え放題伸び放題の雑草が生えている。隠れるにはちょうどいい場所だ。
傍からみれば、俺も不審者だろう。無職だから、さらに不審者らしい。不審者で逮捕されるやつらは総じて無職だ。偏見だ。
そんなことを考えているうちに、空き地に女の子は現れた。赤色のランドセルを背負っている。
昨日と同じようにシャベルを片手に持って、キョロキョロと辺りを見回している。
一応、警戒はしているらしい。俺という不審者は見つけられなかったけれど。
辺りを見回すことをやめた女の子は昨日と同じように地面をせっせと掘り始めた。
掘っては芋がないことに落胆して、埋めなおして、別のところを掘り始めて。
どうやら彼女はこの空き地ないを手当たり次第に掘りまくっているようだった。あれなら埋めたジャガイモを見つけるのも時間の問題だろう。
……。
そう、思っていたのだが。
空が紅くなって、カラスが鳴く。
「カラスがカーッと鳴いたら帰りましょう」
そんなことを、急に言い出したかと思うと、女の子は掘っていた穴を埋めて空き地を後にした。
結局、きょう一日でジャガイモを掘り当てることはできなかった。
砂場で一つの砂粒を発見することよりは簡単かもしれないけれども、それでも空き地に埋まっているジャガイモ一つを発見するのは、意外と難しいことだったらしい。
そりゃあそうだ。俺だって発見できる自信がない。
俺ははっきりと肩を落として、家に帰った。
次のことを考えなければ。どうやってジャガイモを発見させようか。
***
作戦名。
看板作戦。
内容、ジャガイモが埋められているところに看板を立てる。
……。
自分でも安直で、かなり怪しい作戦だと思う。
子供騙しも甚だしいというか、子供ですら騙せないのではないだろうか。という作戦を思いついてから、俺はすぐさま看板の作成に取り掛かった。
女の子はどうやら学校の帰り道にやってきているらしい。ということは分かっている。時間はあるにはあるのだが、いかんせん大工作業というものをやったことがなくて、少しばかり時間を要した。
つくった頃には、小学校の方が騒がしくなっている時間帯だった。ギリギリだ。
急いで川辺の空き地に向かう。昨日ジャガイモを埋めた位置を探そうと思ったが、どこに埋めたか全然思いだせない。確かに目印もなしにジャガイモを掘り当てるのは苦難のことだったかもしれない。
仕方ないので新たにジャガイモを埋める。その近くに看板を立てた。柱の木にベニヤ板を打ちつけただけの簡単な看板だ。これがまずどこに売ってあるのかすら分からなくて午前中を潰してしまった。はやめに店員に聞けばよかった。
ベニヤ板には。
『ここにイモが埋まってるよ!!』と、やはり子供をバカにしているとしか思えないような文言と、その下にパステルカラーの矢印を描いておいた。
これでうまくいったら、あの子は疑うことを知らない、恐ろしいまでのバカということになる。
「看板のいうことには従いましょう」
……。
バカな子でした。
しばらくしてやってきた女の子は、看板の存在に気づくと看板をみながらそんなことを言って、素直に根元を掘り始めた。
疑おうよ。昨日までそんなものがなくて、しかもそれが明らかに自分に向けてつくられたとしか思えない看板とか、疑う要素しかないでしょうに。
女の子をだましておいてなんだが、あの子の将来が不安になってきた俺である。
疑うことを知らない純粋なおバカさんこと女の子は根元を掘り進めて、見事俺が埋めておいたジャガイモを見つけて嬉しそうに頭より上に掲げた。
そして着ている服でついている土をはらったかと思うと(後で親に怒られるだろう)どこかに行ってしまった。
どこに行ってしまったのか。結局女の子はどうして芋を掘ろうとしていたのか、結局分からずじまいだったが、別にそれが知りたかったわけではないし、問題はない。
俺はそのまま家に帰った。看板は持って帰るのも面倒だったからそこに置いといた。
まだ今日は終わっていない。残念ながら。
さて、これからどうしようか。
……。
そんな風に終わるとばかり思っていたんだが。
「なんであいつ、まだいるんだ?」
数日後。俺はまた橋の下を覗き込んだ。そこには見覚えのある女の子がいた。
あの子だ。片手にシャベルを持って、看板の前に立っている。
あれ、もしかしてあの子。まだ来ていたのか? 一回掘ったら満足してもう二度と来ないとばかり思っていたけれども。
こうなるとなんだか、悪いことをしてしまった気分になる。
あのまま一度も芋が出てこなかったら女の子はいつか諦めてあの川辺の空き地にやってこなかっただろうに、一度餌を与えてしまったせいで、何度もここに来てしまうようになってしまったらしい。
いや、もちろん餌が出てこなければ女の子は餌が出てくるまでずっとここにいた可能性ももちろんあっただろうけれども。
それでも、女の子に無責任に餌を与えてしまった俺のせいであることは確かだ。
しまったな。せめて看板は片づけておいた方が良かったかもしれない。
そんな後悔の念が湧きでるが、わきでたところで、なにかが変わるわけでもあるまいて。
仕方ないから、俺は新しいジャガイモを買いに向かった。無職で暇人でよかった。と少しだけ思った。
ダメだろう。
***
ジャガイモを埋めて、女の子が現れるのを待つ。
女の子は現れると看板の前を掘って、ジャガイモをとりだす。
何度も掘られているせいか、そこの地面だけえらく柔らかくなっていた。
しかし何度も同じところからジャガイモがでてくることに違和感は覚えないのだろうか。
ゲームのモンスターみたく、何度も出現するものだとでも思っているのだろうか。
だとすると、本当になんにも知らないおバカさん認定したくなる。
何度もジャガイモばかりだと面白味がないな。と思ってサツマイモを埋めてみたこともある。
「ジャガイモはこんなに紫色ではありません」
掘りだした女の子はサツマイモをみると、そんなことを言って捨てた。
その感想だとサツマイモを知らない。みたいになるんだが。まさかな。
しかしどうやら彼女がほしい『芋』というのは『ジャガイモ』であるらしい。
しかも、何個もほしい。貰える限りほしい。
いや、はじめの頃と比べると女の子は『芋を手に入れること』に楽しさを見出しているのではなくて『芋を掘り出すこと』に楽しさを見出しているようだったけれども。
掘っているうちに目的と行動が逆になってしまったのだろうか。
ともかく。
ここまで来ると気になるものである。
彼女はどうしてジャガイモを掘ろうと思ったのか。
そして。
その掘ったジャガイモはどこに行ったのか。
それを知る権利は、ジャガイモの提供者こと俺にももちろんあるはずだ。
思い立ったが吉日と誰かが言っていた。
明日なんて来るかどうか分からないから、やろうと思ったことはすぐやろう。という意味合いだ。
多分。
少なくとも俺はそう解釈している。
そんなわけで、今日も今日とてジャガイモを看板の下に埋めて(よくもまあ、撤去されないものだ。怪しさ満点なのに)今日も今日とてやってきた女の子は迷いもせずにその看板の下を掘り進めて(よくもまあ、疑いもしないものだ。怪しさ満点なのに)ジャガイモを掘りだして、自分の服で土を拭いた彼女は、すたすたといつも通りどこかに行ってしまった。
俺は追いかけていることが分からない程度離れた場所から、彼女を追いかけた。
女の子は自分が追いかけられているとは全く思っていないようで、後ろから追いかける俺のことを振り返って確認したり、防犯ブザーを鳴らしたりはしなかった。
ただし、追いかけている姿がかなり不審だったようで、どこぞの善良なる市民が警察を呼んだようだった。
「きみ、なにしてんの?」
「……なにしてんでしょう?」
そう言われると困るものがあった。
こんな真っ昼間から大の大人がコソコソと移動している姿はどうみても不審者と呼ばれても仕方ないものなのかもしれない。
「最近は物騒だからねえ。不審な人はすぐに通報されるんだよ」
「ははは、そうですか。警察も大変ですね」
「それで、あんたこそこそとなにしてんの?」
「散歩ですよ」
「電柱に隠れながら?」
「電柱を触るのが趣味なんです」
「その趣味も不審者と呼ばれていてもおかしくはないものだと分かるよな?」
「そうですね」
「警察さん、なにをしてるんですか?」
と。
声をかけてきたのは、誰であろう。件の女の子であった。
どうやら俺が警察に話しかけられているのに気づいて、戻ってきたらしかった。
警察が話していたりすると気になるものね。しかし困った。俺は一度だけだが、彼女と顔を合わせている。あれをもしも彼女が覚えていたら「どうしてここに俺がいるのだろうか」と不審がられてしまう。
バクバクと心臓を鳴らしながら彼女の様子をうかがう。
「…………?」
俺の顔を確認した女の子は、不思議そうに小首を傾げた。
あ、これは忘れてる顔だ。
忘れれるんだ。あれ。
自分で言うのもなんだけど、そうそう忘れれるものではないと思うんだけれども。
「(ごにょごにょ)ちゃん。用があるんじゃあなかったの?」
「あ」
女の子の名前を俺は知らない。
だからごまかすように小さな声でごまかす。
女の子は開いた口に手を添えた。かわいい。
「用があるのでした。それでは。急いで向かいます」
ぺこり、と頭をさげて女の子は去っていった。俺は彼女に手を振りながら、警察に向けて困ったように笑う。
「あの子、いつも指差し確認するみたいに独り言を言いますよね。癖なんですかね」
知り合いアピール。
それが功を奏したのかどうかは分からないけれども、警察は俺を解放してくれた。今度からは気をつけて追いかけなくては。
遅れを取り戻すべく、女の子が歩いて行ったほうに向かって走っていくと、ちょうど、彼女が家に入っていくのが見えた。
小さな家だ。
隣には畑がある。農家の家だろうか。
あの子。農家の子供だったのか。
……。
農家の子供が、川辺の空き地でジャガイモを掘るか?
謎は深まるばかりだ。
しかし家の中というのは個人的なプライバシーエリアである。侵入することものぞき見することもできない。そんなことをしたらさっきのようにはいかないだろう。一発で刑務所行きだ。
天井と食べ物がある分マシだ。という思考にたどり着くまではまだ落ちていない。天井と食べ物を買うだけの金だって、一応まだあるし。
だから俺は家の道で壁に背中を預けるようにして立って待っていた。
周りの視線の確認も怠らない。みんなが忙しいこの世界。歩いていないだけでも不審者扱いされる可能性もあるからだ。
キョロキョロしているのも不審者っぽいし、意味もなく有るき回るのも不審者っぽいかもしれんが。
どう動いてもあがいても不審者らしい。
そこまで来ると行動ではなくて、俺自信が不審者っぽいのではないだろうか。
そんな悲しいことを考えていると、件の女の子が家からでてきた。
また外に用があるのだろうか。
忙しい子供だ。
そう思ったのだが、どうやら彼女の用というのは――用があるのは、俺だった。
「まずは挨拶します。こんにちは」
「お、おう。こんにちは」
ぺこり、と女の子は頭をさげた。
その様子から見て、どうやら俺のことを忘れているらしい。
二回も会ってるのに。結構記憶に残る形で会っているというのに。
おバカさんだ。
「お暇ですか?」
「暇。だけど」
「外にいるあなたを家に呼べと言われました。入ってもらえますか?」
「いや、まあ。いいけど」
「それでは。失礼します」
再びぺこりと頭をさげた女の子はそのままどこかに走りだした。
もしかして、あそこは女の子の家ではないのだろうか。
「あ、なあ。おい」
どこかに去ろうとしている女の子を俺は呼び止める。
女の子は立ち止まって、振り返る。
「呼び止められたら、止まって話を聞きましょう」
指差し確認するかのように言う彼女に、俺はなんとなく尋ねた。
「どうして、そんな行動のいちいちに指差し確認してるんだ?」
「なんでもすぐに忘れてしまうからです」
***
女の子はどこかに行ってしまった。
自分の家に帰るのだという。
自分の家は忘れないのか。と聞くとたまに忘れると返してきた。
そりゃあ、今さっき見たはずの顔も忘れるはずだ。
そんな忘れっ子な彼女が、珍しく忘れずに言ったお願いを聞いて、俺はさっきまで女の子がいた家の中に入った。
入っていいのだろうか。と少し躊躇したものの、ドアに触れると家の奥の方から「入っていいよ」という声が聞こえてきたから、家の中に入った。
しゃがれた声だった。年老いた男の、枯れた声。
力ない声。
家の中は静かだった。廊下を歩くたびにする足音が耳によく聞こえる。
「こっちだよ。こっち」
声がする方へと向かう。
廊下を通ってすぐ左に曲がった部屋に、声の主はいた。
声の通り、想像する通り、そこにいたのは高齢の男だった。
ベッドの上に寝転んでいる。
来客を歓迎しているようで、その笑みには優しさが感じられる。
それと同時に、弱さも感じられる。
顔はシワでしわくちゃで。
首は皮膚の内側が無くなってしまっているかのように、皮膚がたるんでいる。細くて、ついうっかり折れてしまいそうだ。
白髪は歳から自然と、という感じではなくて力がなくなってきてこうなった。と言わんばかりに一本一本が細い。
「そんなところに立っとらんで、そこにイスがあるだろう。そこに座りぃ」
老人は部屋にあるイスを指差した。
かけ布団から伸びる腕は恐ろしいぐらいに細かった。皮と骨だけ。という表現がこれほど似合う腕もないのではないだろうか。
衰弱。
その言葉が布団の上に横になっている。
そう表現するのが適切な気がした。
「じいさん、あんた」
「ん。ああ、気にするな。ただの老い先短い爺だ」
俺が腕を注視していることに気がついたらしい老人は、かかか。と笑いながらそんなことを言ってきた。
その笑い声も、弱々しかった。
呵々大笑とは、程遠い。
「あんただろう。あの子にジャガイモを毎日あげているのは」
「あげてねえよ。冬に備えて地面に埋めて備蓄しておいたら、毎日窃盗されているだけだ」
「かかか、じゃあ今日はその窃盗犯を追いかけてここにやってきたわけか」
「まあ。そうなるな」
「そうか。そうか。じゃあ、気になって仕方ないだろう。どうしてこの泥棒は、ジャガイモを毎日盗っていくのだろう。ってな」
老人は窓の外に顔を向けた。
俺は窓の方に近づきながら、窓の外の景色を確認した。
そこから見えるのは畑だった。
地面からたくさんのツタが生えている。
あのツタに見覚えがあったらどれだけ楽だろうか。俺は別に、そういうものに詳しいわけではない。
「ジャガイモ畑だよ。そこにあるのは。俺の畑だ」
困っている俺に呆れてか、老人はそう答えを教えてくれた。
そうか、そこにあるのはジャガイモ畑か。
ジャガイモか。
最近、なんだかジャガイモに縁のある毎日を送っている気がする。
しかしどうして、あの子はジャガイモ農家の老人に、ジャガイモを渡すなんてことをしていたのだろう。こっちの方がうまいぜじいさん! とかやっていたのだろうか。だとすると、恐ろしいぐらいに性格が悪いことになってしまうけれども。
「はっは、安心しろ。あの子はそこまで性格は悪くはない。終わってはいない。世間を知らん子ではあるがな」
老人は楽しそうに言う。
久方ぶりのあの子以外の来客に喜んでいる。という風に解釈していいのだろうか。これは。
俺は再び窓の外の畑に視線を向ける。
ジャガイモ畑。
そう言われると、あの整然と並んでいる草に見覚えがある理由が分かったような気がする。
なんだかんだ言って、近代化が進んでいるとはいえ、まだこの街にも畑や田んぼはあるし、子供の頃はたくさんの畑を見た歳な俺だ。
だからこそ、あの畑が今、誰かの手をかけられていないことも分かった。
ここ最近、誰も畑に手をつけていないのだろう。
整然と並んでいるジャガイモの葉の周りには、見覚えのあっても名前が分からない草がボーボーに生えていた。
いわゆる雑草というやつ。雑多な、その他大勢な草。
もちろん、そんなものが畑に生えていていいはずはなく、通常は早々に抜かれるはずなのだが。
「腰を痛めてしまってな。もう数カ月、この畑に入っていない」
「じいさん、人の心を読むのはやめてくれ」
「お前が分かりやすいのさ。そんな違和感を覚えている目で、畑を見てるやつがいれば、大体のことは分かる」
お前が知りたいのはあの子の行動の理由。だろう。
それじゃあ、始めようか。
回答編だ。
***
「あの子は近所の子だよ。見覚えもあるし、名前も知っている。有名な子だからな。スゴい頭が悪くて、そして行動も悪い子だった。
いわゆる悪ガキだな。
いたずらっ子でもいいかもしれない。
人ん家の庭に勝手に入って、柿を盗ったり、飼い犬を逃したり、壁に落書きをしたり、まあ、見ている分には楽しいというか、今時珍しい古風ないたずらっ子だな。という印象だった。
見ている分には楽しい。
だが、自分が被害を被った場合は話が別だ。
あの子はな、うちの畑に入って勝手にイモを掘りだしたんだよ。ジャガイモなんて、調理しなきゃ食えたものじゃあないものをだ。恐らく、掘りだすことに楽しさを覚えたのだろう。掘って、そのまま放置していきやがった。
それが数日だ。
楽しいいたずらっ子から、面倒なクソガキに印象は変わる。
四日ほど続いたその日。
俺はあの子が来るのを畑で待っていた。あの子はのこにことやってきたかと思うと、おもむろにジャガイモを掘り始めた。
俺はもちろん怒ったさ。
こら、そこのクソガキ。お前、なにをしているのか分かってんのか。
ってな。
するとあの子はびっくり驚いて逃げだした。逃がすわけにはいかなかった。しっかり叱っておかないと、またやってくるだろう。
そう思って、俺はあの子の背中を追いかけた。足元は見えていなかった。足元には、ジャガイモがあった。あの子が勝手に掘りだしたやつだ。
それからは、まあ、予想がつくだろう。
盛大にこけた老人は、こうして寝たきり生活になってしまったのさ。
雑草が生えてくる畑を見ながら、ベッドの上で歯がゆい毎日を送っていた。
そんなある日だった。
数日前だ。
あの子がうちに現れたのは。
勝手に入ってきたんだ。
ただでさえ怒っている相手が、急に、自分の家にやってきたんだ。
俺は腕を振り上げて怒ろうかと思ったんだが、それよりも先にあの子は俺に対してジャガイモを渡してきたんだ。
うちのジャガイモじゃあなかった。
品種が違った。
ずいぶん安いジャガイモを食ってるんだな。あんた。
ジャガイモを持ってきて、なんか話して帰る。それが数日続く。
クソガキはとても面白い子だった。
忘れっぽくて、おバカな子だった。
そして今日。
家の外にあんたがいるのが見えた。
なんとなく分かったよ。
ジャガイモの提供主があんただって」
「……あの子さ」
俺は言う。
「川辺の空き地を掘ってたんだよ。掘ればジャガイモがでるって」
「なんだ。うちの畑はあんな痩せこけた土地と一緒だと思われたのか」
それは心外だな。と老人は笑う。
しかしなるほど。ジャガイモにこだわった理由は、持っていく相手がジャガイモ農家だったからか。
そりゃあ、この状況でサツマイモを持ってきても、意味は分からない。
「あんたのおかげで、あの子は毎日ここに来るようになったよ。老いぼれ爺にはもったいないぐらいの楽しい時間だ。まあ、一向に謝ってこないのは気になるがな」
「忘れてるんじゃあないか? あの子、俺の顔を覚えてなかったし」
「ははは、どれだけバカなんだ。あの子は」
「将来が不安になる程度には」
「それは大変だな。俺と違って、先があるのにその先が不安だとは」
「……老人特有のその死にますジョーク。俺はあんまり好きじゃあないんだよな」
明日を想像できない自分を想起してしまって。
明日がない老人と自分は変わらないのだと言われているような気がして。
老人は目をまん丸にしてから笑った。
朗らかな笑みは、終わりを暗示。
「俺はな、これでも一応『生涯現役』を掲げて生きてきたんだ」
老人はその枯れ枝のような腕を天井に向けて伸ばす。
「しかし今はどうだ。俺はもう現役じゃあない。『生きている限りは現役でいる』ということはつまり『現役ではないということは生きていない』ということになる。俺はもう、死に体なのさ」
老人ジョーク。
ここに冴え渡り。
笑えねえ。
「まあ、死ぬ間際にあの子と話せたのはラッキーだったな。楽しかった。謝ってもらってないのは、心残りだが、まあ、別にいいさ」
「あの子さ」
「ん?」
俺は老人ジョークが嫌いだ。
自分の実態を見せられているようで嫌いだ。
だから。
俺はそれを否定する。
「はじめは多分、謝りにきたんだと思うんだ」
「それは驚きだ。あの子にも謝る気持ちがあったのか」
「人並みにはな。バカだけど、忘れっぽいけど、気持ちはある」
「つまりなんだ」
老人は言う。
「あの子は許してもらいに、ここに来たのか」
「そう。あの子はジャガイモを勝手に掘っていたことを許してもらいに来た」
「そっちなのか?」
「そっちだろうな。そうじゃあなかったから、いちいちジャガイモなんて掘って持ってこないだろう」
ジャガイモを掘ったことを怒られた。
だからそれを許してもらうために、掘ったジャガイモを返しにきた。
新しく掘り直しては、返したことにはならない。
それはおバカなあの子でも理解できることだった。
だからこおの街にある数少ない地面がある川辺の空き地を掘っていた。
彼女の少ない頭脳と知識を総動員した結果『土の下にジャガイモはある』という答えが見つかったから。
ちなみに今言っていることは口から出たでまかせだ。
あの子の行動と、頭の悪さと、老人の話を総合して勝手につくった想像の話だ。
まあ、間違いではないと思う。
「しかしまあ、おバカなあの子のことだ。どうせ、当初の謝ることなんてもうすっかり忘れているだろう」
それでもまあ。と俺は言う。
「ジャガイモ掘りが楽しいことと、じいさん、あんたと話すのが楽しいことは覚えているはずだよ。そうでなかったら、毎日来たりしないはずさ」
だからさ。
あの子はまた明日もやってくるぞ。
明日も明後日も明々後日も。
それなのに、じいさん。
あんたいなくなっていいのか?
あの子は、どう思うのかな?
きょとんとしていた老人の顔は、しだいにおかしそうに笑いだした。
俺は意味が分からず、首を傾げる。
なんだよ。どこか面白いところでもあったのか?
「いや、なに。あんたのその、つまらなそうな顔から『明日』とか『明後日』とか『明々後日』とか、未来の話がでてくるなんて、おもわなかったもんでな」
***
数日後の話。
偶然たまたま件のジャガイモ畑の近くを通った俺は、ジャガイモ畑の中で収穫をしている老人と、その手伝いをしている女の子の姿を見かけた。
イモの収穫って意外と楽しかったよな。
サツマイモとか。
あれはジャガイモだけど。
ジャガイモはこんなに紫色ではありません。
「ふむ」
腕時計で時間を確認する。
今日の時間は残り少ない。
明日、俺も手伝ってみるのも面白いかもしれない。




