『我が最愛のスターリームーン』 作者 ふにゃこ
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一言:さつまいもよりじゃがいもが好き、ポテトチップスとフライドポテトが好きです。人物名はじゃがいもの品種からもらったよ!
子供の頃、家族と出かけた見晴らしのよい丘の上に、一輪の薄紫の花が咲いていた。
妹が「かわいい花だね」と言ったので、彼は「そうだね」と答えた。
母親は穏やかに「その花は摘んでは駄目よ」と言った。
□■□
両親は意外とはやくに亡くなってしまったが、大人だからそういうものなのだろうとトウヤはなんとなく思っていた。
父も母も、病床で彼に向かって「おまえがここまで立派に育ってくれたら私はもう満足だよ」と微笑んで死んでいった。
村のはずれの小さな家で、彼と妹は慎ましく暮らしていた。
学校に行って、放課後に知り合いの店を手伝って小遣いをもらい、晩ごはんは交代で調理し、食べたら眠る。そんな毎日。
ずっと続くのだと勝手に信じていたその日常は、しかし唐突に終わってしまった。
「アカリ……まだ帰ってないのか? どこいったんだろ」
いつもなら妹のアカリはとっくに家に戻っている時間だった。だが、部屋の中は暗く、誰もいない。
「おーい。どこだよ」
家の中や、庭でも名を呼んでみるが返事はない。
不安になってトウヤはあたりを探すために外に出た。
知り合いをたずねても誰も行方を知らず、まさかと思って近隣の森に分け入るが、暗くてよくわからない。
「仕方ないな……明るくなってからじゃないと……なにやってんだあいつ……」
朝になって再び森に行き、そして彼は崖の下で落ちて冷たくなっている妹を見つけた。
もっとはやく探しに出ていれば、と何度も後悔したが、もうどうしようもない。アカリは村の管理する父母と同じ墓に埋められた。
しばらくトウヤは抜け殻のようだった。彼は兄でアカリは妹だった。父母がそうしたように、きっと年長の自分も妹より先に死に、妹を立派にここまで育てられてよかったと思いながら逝くのだろうと、なんとなくだがそれを疑ったことはなかったのだ。
食事も喉を通らない日を過ごしては、彼は幽鬼のような足取りで、妹の落ちた崖下に行き、そこで何時間もぼんやり過ごした。
「もし、そこの人。ちょっとすみません」
小さな声が聞こえたのを、最初はとうとう幻聴が聞こえ出したのかと思ったが、そうではなかった。
声の方を見ると、そこには小さな花があった。
薄紫の、星のかたちの花だ。黄色い花心、見覚えがある。
あのとき家族で見た花だ、とトウヤは思い出した。
「花がしゃべっているのか……?」
そっと腕を伸ばす。花はかなり萎れていて元気がない。
「聞こえますか……しゃべっているのは私です」
花の陰からひょこりと小さな生き物が表れた。
「どうかお水をください」
人間のような姿かたちをしているが、背丈は花と同じくらい。白と薄紫のストライプの、花弁のひらいたようなワンピースを着ていて、同じ柄の帽子をかぶっている。
「そこの大きいひと、ほんの少しでかまいません、お水をくんできてはもらえませんか」
「なんだおまえ……妖精か?」
「はい」
金色の巻き毛のふわりとした頭に、くりくりしたつぶらな瞳はふだんならきらきらしているのだろうがいまはあまり生気がない。
背中に、トンボのような網目の細長い透明な羽を四枚つけている。
その羽が、羽ばたこうとしては力なく、少し浮いては落ちるのを繰り返す。
「私はじゃがいもの精」
「じゃがいも?」
「この花はじゃがいもの花なんです。はじめて見ましたか? 芋の方は知っていても花は見たことがない人も多いみたいですね」
シンシアと名乗り、妖精はしゅんとして花を見つめた。
「気付いたらこんなところに生えてしまっていて……水はけがよすぎてすぐ乾いてしまうんです。たまに降る雨でしのいでいたんですが……水場が遠くて、私の体は小さいので足りるほど運べなくて……花の力がなくなると私も動けなくなってしまって……」
泣きそうな顔で、お水をどうか少しだけ、と懇願してくる。
「でも、俺がいまだけ少しばかり水をやっても、またしおれてしまうんじゃないのか」
「雨が降らなければ……そうなりますね」
シンシアはまたうなだれた。
「うちの庭に来いよ。俺が水をやってやろう」
トウヤは丁寧にそのじゃがいもの花を土ごと掘り起こし、庭に持ち帰って植え替えた。
毎日水をやったら花はすくすくと元気になった。
「君は男の子? 女の子?」
「性別ですか? 芋です!」
「そっか、芋か」
芋に性別はないよな、と妙に納得した。性別はないので、芋は自分で芋をつくり、株数をどんどん増やしていった。
「じゃがいもはとてもおいしいんですよ! 食べたことあります?」
「俺は肉食だからな」
「肉を食べたら野菜もちゃんと食べないと!」
妹の死んだ場所で見つけた、妹がかわいいと言った花。
なんとなく妹の代わりができたような気がして、花の世話をするうちにトウヤも次第にもとの生活に戻れるようになっていった。
痩せこけていた妖精はだんだんとふっくらしてきた。トウヤの肩先をちょこまかと飛びまわれるまで回復した。
やがて、庭はかわいい紫色や白色の星のかたちの花でいっぱいになった。
「おや、トウヤさんなんだか元気がないですね」
「ああ、うん」
「どうしたのですか? いつもはお手伝いに行っている時間では」
「ああ……うん、ちょっとな。もう来なくていいって言われたんだ」
「そうなんですか。転職ですか?」
「いや、ああ……どうしようかな。もう、どうしようか」
貯金は大してなかったのですぐになくなった。食べ物を買うお金もない。
「おともだちに少し頼んでみては?」
「それも……駄目なんだ」
空いた時間でトウヤは水車小屋なんかを立てたりして、じゃがいも畑の設備を充実させていった。
だが水しか口にするものがなくなり、トウヤもぼんやり庭に座ったまま花畑を眺めるだけの時間が長くなっていった。
「トウヤさん、あの……じゃがいもを食べてください」
「うん?」
「私を食べてください!」
とうとう、という感じでシンシアは切り出した。
「トウヤさんがこの花畑を大事にしてくれているのはわかっています……でも、じゃがいもは食べるためのものなんです! でんぷん質豊富で栄養満点なんですよ! ビタミン、ミネラル、食物繊維、とくにビタミンCとカリウムが花丸なんです!」
芋はどんどん増えていたが、トウヤはそれを植えるばかりで一切口にはしなかった。それを、シンシアは、親愛の情から自分を食べないのだとずっと思っていた。
たとえば人間が猫を食べないように。愛着の対象になってしまったから食べてくれないのだと。
「食べられてこそ芋の幸せなんです。私は、あなたに食べられるのなら、いなくなってもかまわないんですよ。根こそぎ食べて、おなかいっぱいになってください、どうか……! もう見ていられません、どうか!!」
黙ったまま、小一時間ほどトウヤはそのまま花畑を眺めていた。
やがて、ゆっくりと立ち上がった。
「そうだな。じゃあ、もう、食べてもいいかな」
手近な一株を掘り起こし、数個の芋を地面に並べた。
「おいしい調理の仕方を教えますね! もう、ほんとうにおいしいんですから、じゃがいもってものは! 煮てよし焼いてよし揚げてよしなんですよ! ……あっ、ちょっと、いくらお腹が空いてるからって生のままは……」
トウヤは牙のたくさんはえた裂けた口に、土の付いたままのじゃがいもを三つ放り込んだ。
ゆっくりと、噛みしだいた。ゆっくりと、飲み込んだ。
鮫のような頭部が数度、震えるように痙攣した。
関節のたくさんある外殻の十二対の腕が、がくんと跳ねた。
首もとを苦しそうに押さえ、うめき、少し吐血して倒れた。
じゃがいもは人類にとっては非常に栄養価の高い良質な食べ物であった。
だが、主に人間の死肉を食らう異形である彼らの種族にとっては猛毒だった。
お金がないとは言え、食べるものを自力で確保できなかったのは、単独での狩りが村の掟で固く禁じられているからだ。勝手な行動をして人間に村の在り処が知れれば村は焼かれてしまうだろう。
「どうか私を食べてください」
シンシアが何も知らずにそう言っているのはわかっていた、でも、彼にはこう聞こえてしまった。
「こんな苦しい世界で生き続けなければいけないのなら、私と一緒に死にましょう」
ああ。それはこの上なく甘美な誘いだった。
一面の白と薄紫の美しい花畑の中で。トウヤは、こんなに綺麗な景色を、立派にここまで育てられてよかった、そうぼんやり思った。
緑の海の中にたくさんの星が咲いている。まるで鮮やかな夜空を育てたような、充実した時間をシンシアはくれた。
もう満足だ。
ひとりで村を出ることも考えないではなかったが、あとに残したこの場所が村人たちに無残に荒らされるのは耐え難かった。
それなら、もう。もうこれで。
ここで、幸せだったこの場所を選べるのなら。
安らかな死に顔を見て、シンシアはやっと悟った。
こんな毒草を大量に育てていることが知られてしまったから、彼は村人たちから村八分にされてしまっていたのだ。
「私は……なんてことを……トウヤさん……トウヤさん!!」
大きな彼の体を、シンシアは動かすことすらできない。ただすがって涙をぼろぼろとこぼした。
「なんてことだ……私は毒だったんだ……ならばいっそ、彼を苦しめた村人全員、私を食べさせて殺してしまおうか……! イモォォ!! イモォォオォォオオォォォォ!!!」
「おや?」
その発狂した叫び声を通りすがりの陽気なパンダが聞いた。
「おいも! おいもがいっぱい!!」
※その後、発見された大量の食材はすべてスタッフが回収し、余すところなく美味しくいただきました。
フライドポテトとフカヒレスープ、ごちそうさまでした。
《了》




