表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/22

『僕がキッチンに立つ日』 作者 しきみ彰



 僕は、年に数回キッチンに立つ。

 料理に関してはてんでダメで、妻に任せきりの僕だけど、これだけは自信があるんだ。


 それは、僕が小さいときに母から教わった料理。その後母が病気で亡くなったせいか、はたまた別の理由か。何はともあれそのレシピは、僕の記憶に刻み込まれているようだ。


 スーパーで買ってきた食材をテーブルに並べて、作業を始める。

 まず、ジャガイモの皮むきからだ。


 皮むきと言っても、包丁を使うわけじゃない。ぶきっちょの僕がそんなものを使ったら、食べれるところまで削ってしまうからだ。だからおとなしく、ピーラーで芋を剥く。妻みたいに、包丁でするするっと剥けたらいいのになーと毎回思うけど、仕方ない。

 ピーラーを使って皮を剥き、忘れないうちに芽も取った。実が意外と削げてしまった気がするけど、そのために多く買ってきたのでご愛嬌というやつだ。


 小さめの角切りにしたジャガイモは、水に浸けてアク抜きをしておく。はじめの頃は付けないままやって、色が黒くなったよなーと自分の成長を感じた。

 浸けたジャガイモは、さっとザルにあげておく。


 次は、僕の嫌いな玉ねぎだ。茶色い皮を剥くと、少し青みがかった白い実が出てきた。僕の天敵だ。


 玉ねぎを切るとき、毎回涙が出る。

 目を真っ赤にして、ボロボロ泣きながら玉ねぎを切る僕を見たら、妻は「何泣いてるのよ」と笑うだろう。それを想像して、なんとか痛みをこらえた。

 これさえ終われば、あとは炒めるだけだ。


 ジャガイモを耐熱容器に入れてラップをし、レンジで四分チンする。

 その間に、お鍋にバターを入れて玉ねぎを炒めた。火が通ってきたら、水を注いで固形のコンソメを入れて煮込むのだ。


 ここまで終わったら、少し休憩。

 キッチンのところに置いてある椅子に腰掛けて、ふう、と息を吐く。慣れない僕に、料理はなかなかの重労働だ。


 ここに椅子があるってことは、彼女もここに座って休んだりしてるのかな。


 そんなことを考えてくすくす笑っていたら、レンジが音を立てた。どうやら加熱が終わったようだ。

 容器を取り出しラップを取れば、湯気がもわっと立ち込めた。かけている眼鏡が真っ白になってしまう。

 それに苦笑しながら、僕はジャガイモを鍋に入れた。


 ジャガイモが崩れてくるまで煮込み、終わったら牛乳を注いで塩胡椒を振る。


 さあ。フードプロセッサーの出番だ。

 昔の人はこれをこしていたのだろうなーと考えると、文明の利器はすごいなーと素直に感心する。僕みたいなぶきっちょがこれを作れるのも、フードプロセッサーのお陰だ。これからは、フードプロセッサー様と崇めたほうがいいかもしれない。


 そんな冗談を脳裏に浮かべつつ、僕は鍋の中身をすべて注いだ。蓋をして、フードプロセッサーのボタンをオンにする。

 すると中の食材は、ものの数秒で滑らかなスープに変わった。


 それに満足しつつ、スープを鍋に戻す。

 そして少しのバターを入れ、加熱するのだ。コクが出て、美味しくなる。


 何度も何度も作っているからか、さすがに覚えた。代わりに僕は、これしか作れない。妻からしてみたら、なんで簡単な料理って思うだろう。


 でもそんな僕の料理を見て、彼女が喜んでくれるから。

 こんな僕の拙い料理を、美味しいって言って食べてくれるから。

 だからいつも、心を込めて作るんだ。


 温め終わったら、軽く味見をする。


 ん、塩が足りないかな。


 塩をひとつまみ入れてかき混ぜ、再度味見。今回はちょうど良かった。

 僕の舌は彼女が料理上手なので、無駄に肥えている。なので味付けはいつもバッチリだった。


 火を止めてから、深めの容器にスープをよそう。そこに乾燥パセリを振れば、ジャガイモのポタージュの出来上がりだ。


 熱いうちに持って行ってあげようと思い、お盆に乗せたそれを急ぎ足で運ぶ。

 隣の部屋の扉を開ければ、そこには僕の大事な妻がいた。


 彼女はたくさんのクッションを背もたれにして、本を読んでいる。僕が来たことに気づくと、とても嬉しそうに笑った。

 そんな彼女の笑顔が眩しくて、僕は目を細めてしまう。


「ジャガイモのポタージュ、作ってきたよ。調子はどう?」

「うん、昨日よりかは良いわ。心配してくれてありがとう」


 妻は本に栞を挟んでから、「良い匂いね」と声を弾ませた。

 それに対し僕は、胸を張って答える。


「今日も上手くいったから、美味しいと思う。さあ、召し上がれ」

「うふふ。いただきます」


 お盆を受け取った彼女は、スプーンをスープに沈め、持ち上げた。こぼれたものがひとしずく、ぽちゃりと落ちる。

 薄い唇でスープを一口飲んだ彼女は、嬉しそうに微笑んだ。


「うん、美味しい」

「そっか。良かった」

「つらいときでも、これなら食べられるの。不思議よね」

「そう言ってもらえて、僕は世界一の幸せ者だね」


 彼女はその言葉にふふふ、と笑うと、スープをすべて平らげてくれた。

 お盆を片付けてから戻ってくると、彼女は愛おしそうにお腹を撫でている。

 彼女のお腹は、服の上からでもわかるほど大きくなっていた。


 そう。彼女のお腹の中には今、僕と彼女の子どもがいる。時期が時期なので、そろそろ病院に入院するのだ。

 そんな寂しさもあってか、彼女は今日僕に、ジャガイモのポタージュを作って欲しいとせがんできた。それがとても愛おしくて、仕方なくなる。


 そんな風に視線を向けていると、彼女が目を丸くした。


「あ、蹴った」


 彼女の言葉に、僕は急いで側に膝をつく。

 そしてそっと、彼女のお腹に手を添えた。


 ――トンッ。


 彼女の言うとおり、お腹の中にいる赤ちゃんが蹴る感覚がある。

 それを感じて、僕は涙が出そうなほど嬉しくなった。

 そんな僕を見て何を思ったのか、彼女は僕の頭を撫でてきた。


「赤ん坊がもうひとり」

「……ええ!? それ、僕のこと!?」

「もちろん。ほんと、涙もろいんだから。パパ、また泣いてるよー」


 お腹をさすりながら、彼女がそうお腹の子どもに言う。それを聞き、僕は焦った。


「ち、違うよ! これはそう、玉ねぎのせい! 玉ねぎが目に入ったからいけないんだ!」

「うふふ、そういうことにしておきましょうか」

「信じてないなー!?」


 そんなやり取りをしながらも、僕は幸福を噛み締める。

 そしてそっと、お腹の中の子どもに語りかけた。


 君が産まれたら、また作るからね。


 まるで「楽しみにしているよ」とでもいうかのように。

 ぽんっと、手を蹴られたのが分かった――











 僕は、年に数回キッチンに立つ。

 そのときに必ず作るのが、ジャガイモのポタージュだ。


 妻の食欲がなかったとき。また、妊娠中のつわりがひどいとき。

 妻や子どもが病気になってしまったとき。

 そして、作って欲しいとせがまれたとき。


 作る機会はそれほどないけど、何かあったとき、僕は必ずジャガイモのポタージュを作る。


 僕の料理を、彼女や子どもが喜んでくれるから。

 こんな僕の拙い料理を、美味しいって言って食べてくれるから。

 だから僕はいつも、たくさんの愛情を込めてスープを煮込む。


 それが、僕がキッチンに立つ日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ