『僕がキッチンに立つ日』 作者 しきみ彰
僕は、年に数回キッチンに立つ。
料理に関してはてんでダメで、妻に任せきりの僕だけど、これだけは自信があるんだ。
それは、僕が小さいときに母から教わった料理。その後母が病気で亡くなったせいか、はたまた別の理由か。何はともあれそのレシピは、僕の記憶に刻み込まれているようだ。
スーパーで買ってきた食材をテーブルに並べて、作業を始める。
まず、ジャガイモの皮むきからだ。
皮むきと言っても、包丁を使うわけじゃない。ぶきっちょの僕がそんなものを使ったら、食べれるところまで削ってしまうからだ。だからおとなしく、ピーラーで芋を剥く。妻みたいに、包丁でするするっと剥けたらいいのになーと毎回思うけど、仕方ない。
ピーラーを使って皮を剥き、忘れないうちに芽も取った。実が意外と削げてしまった気がするけど、そのために多く買ってきたのでご愛嬌というやつだ。
小さめの角切りにしたジャガイモは、水に浸けてアク抜きをしておく。はじめの頃は付けないままやって、色が黒くなったよなーと自分の成長を感じた。
浸けたジャガイモは、さっとザルにあげておく。
次は、僕の嫌いな玉ねぎだ。茶色い皮を剥くと、少し青みがかった白い実が出てきた。僕の天敵だ。
玉ねぎを切るとき、毎回涙が出る。
目を真っ赤にして、ボロボロ泣きながら玉ねぎを切る僕を見たら、妻は「何泣いてるのよ」と笑うだろう。それを想像して、なんとか痛みをこらえた。
これさえ終われば、あとは炒めるだけだ。
ジャガイモを耐熱容器に入れてラップをし、レンジで四分チンする。
その間に、お鍋にバターを入れて玉ねぎを炒めた。火が通ってきたら、水を注いで固形のコンソメを入れて煮込むのだ。
ここまで終わったら、少し休憩。
キッチンのところに置いてある椅子に腰掛けて、ふう、と息を吐く。慣れない僕に、料理はなかなかの重労働だ。
ここに椅子があるってことは、彼女もここに座って休んだりしてるのかな。
そんなことを考えてくすくす笑っていたら、レンジが音を立てた。どうやら加熱が終わったようだ。
容器を取り出しラップを取れば、湯気がもわっと立ち込めた。かけている眼鏡が真っ白になってしまう。
それに苦笑しながら、僕はジャガイモを鍋に入れた。
ジャガイモが崩れてくるまで煮込み、終わったら牛乳を注いで塩胡椒を振る。
さあ。フードプロセッサーの出番だ。
昔の人はこれをこしていたのだろうなーと考えると、文明の利器はすごいなーと素直に感心する。僕みたいなぶきっちょがこれを作れるのも、フードプロセッサーのお陰だ。これからは、フードプロセッサー様と崇めたほうがいいかもしれない。
そんな冗談を脳裏に浮かべつつ、僕は鍋の中身をすべて注いだ。蓋をして、フードプロセッサーのボタンをオンにする。
すると中の食材は、ものの数秒で滑らかなスープに変わった。
それに満足しつつ、スープを鍋に戻す。
そして少しのバターを入れ、加熱するのだ。コクが出て、美味しくなる。
何度も何度も作っているからか、さすがに覚えた。代わりに僕は、これしか作れない。妻からしてみたら、なんで簡単な料理って思うだろう。
でもそんな僕の料理を見て、彼女が喜んでくれるから。
こんな僕の拙い料理を、美味しいって言って食べてくれるから。
だからいつも、心を込めて作るんだ。
温め終わったら、軽く味見をする。
ん、塩が足りないかな。
塩をひとつまみ入れてかき混ぜ、再度味見。今回はちょうど良かった。
僕の舌は彼女が料理上手なので、無駄に肥えている。なので味付けはいつもバッチリだった。
火を止めてから、深めの容器にスープをよそう。そこに乾燥パセリを振れば、ジャガイモのポタージュの出来上がりだ。
熱いうちに持って行ってあげようと思い、お盆に乗せたそれを急ぎ足で運ぶ。
隣の部屋の扉を開ければ、そこには僕の大事な妻がいた。
彼女はたくさんのクッションを背もたれにして、本を読んでいる。僕が来たことに気づくと、とても嬉しそうに笑った。
そんな彼女の笑顔が眩しくて、僕は目を細めてしまう。
「ジャガイモのポタージュ、作ってきたよ。調子はどう?」
「うん、昨日よりかは良いわ。心配してくれてありがとう」
妻は本に栞を挟んでから、「良い匂いね」と声を弾ませた。
それに対し僕は、胸を張って答える。
「今日も上手くいったから、美味しいと思う。さあ、召し上がれ」
「うふふ。いただきます」
お盆を受け取った彼女は、スプーンをスープに沈め、持ち上げた。こぼれたものがひとしずく、ぽちゃりと落ちる。
薄い唇でスープを一口飲んだ彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「うん、美味しい」
「そっか。良かった」
「つらいときでも、これなら食べられるの。不思議よね」
「そう言ってもらえて、僕は世界一の幸せ者だね」
彼女はその言葉にふふふ、と笑うと、スープをすべて平らげてくれた。
お盆を片付けてから戻ってくると、彼女は愛おしそうにお腹を撫でている。
彼女のお腹は、服の上からでもわかるほど大きくなっていた。
そう。彼女のお腹の中には今、僕と彼女の子どもがいる。時期が時期なので、そろそろ病院に入院するのだ。
そんな寂しさもあってか、彼女は今日僕に、ジャガイモのポタージュを作って欲しいとせがんできた。それがとても愛おしくて、仕方なくなる。
そんな風に視線を向けていると、彼女が目を丸くした。
「あ、蹴った」
彼女の言葉に、僕は急いで側に膝をつく。
そしてそっと、彼女のお腹に手を添えた。
――トンッ。
彼女の言うとおり、お腹の中にいる赤ちゃんが蹴る感覚がある。
それを感じて、僕は涙が出そうなほど嬉しくなった。
そんな僕を見て何を思ったのか、彼女は僕の頭を撫でてきた。
「赤ん坊がもうひとり」
「……ええ!? それ、僕のこと!?」
「もちろん。ほんと、涙もろいんだから。パパ、また泣いてるよー」
お腹をさすりながら、彼女がそうお腹の子どもに言う。それを聞き、僕は焦った。
「ち、違うよ! これはそう、玉ねぎのせい! 玉ねぎが目に入ったからいけないんだ!」
「うふふ、そういうことにしておきましょうか」
「信じてないなー!?」
そんなやり取りをしながらも、僕は幸福を噛み締める。
そしてそっと、お腹の中の子どもに語りかけた。
君が産まれたら、また作るからね。
まるで「楽しみにしているよ」とでもいうかのように。
ぽんっと、手を蹴られたのが分かった――
僕は、年に数回キッチンに立つ。
そのときに必ず作るのが、ジャガイモのポタージュだ。
妻の食欲がなかったとき。また、妊娠中のつわりがひどいとき。
妻や子どもが病気になってしまったとき。
そして、作って欲しいとせがまれたとき。
作る機会はそれほどないけど、何かあったとき、僕は必ずジャガイモのポタージュを作る。
僕の料理を、彼女や子どもが喜んでくれるから。
こんな僕の拙い料理を、美味しいって言って食べてくれるから。
だから僕はいつも、たくさんの愛情を込めてスープを煮込む。
それが、僕がキッチンに立つ日。




