7話 善か悪か
その美少女が浮かべる笑みは初めに会った時のものではなく、眉間にシワを寄せた苦笑いだった。それでもなお、彼女が纏う魅力は全く衰えていないのだ。
「辛い、よね。美桜ちゃんの気持ち分かるよ」
美少女はそのままの表情で私を見下ろし、言葉を続ける。
「でもね、あたし達は立ち向かわなきゃならない」
「お願いします!貴方なら…魔法の使える貴方なら、助けて下さい!!!お願い、します、お願いします!」
涙で顔面を覆い尽くしながら、必死に頭を下げる。地面に頭を擦り付けながら、何度も何度もお願いしますと叫ぶ。口内に土が侵入し、歯をくいしばるたびにじゃりじゃりと音を立てる。
自分はこんなにも無力だったのか。こうやってほぼ初対面の少女に、醜くすがる事しかできないなんて。何故ヒューマンは魔法が使えないのだろう。何故プラーナを溜め込めないのだろう。
しかし、少女はますます顔をしかめた。
「無理だよ」
「お願いします、なんでも、しますから!!!」
私の叫びに少女は答えず、この場に立つ事が出来ているもう一人の人物を見た。
「滄波サン、どうするー?この転がってるエルフとヒューマン」
彼女が滄波に向けた顔は、私が湖で見た時と同じ人懐っこい笑顔だった。
「無論上に報告し、直ちに回収させる」
自ら息途絶えさせたはずのエルフの頭を、足で踏みつける滄波。さらに足に力を込めたと思うと、ぐしゃりと嫌な音と共に下から赤い血が飛び散った。
「相当嫌ってるんだね、らしくないよ?」
「フン…お前に俺の何がわかる」
「奥さんと娘さん、人質にされてるんでしょ」
その言葉が引き金になったようで、瞬く間に滄波は彼女の正面に移動していた。エルフを斬ったものと同様の剣を、彼女の目先に構えている。
「何故それを知っている」
しかし、彼女はその刃と猛獣のような視線を前にしても動揺せず、にっこりと微笑んでいる。
「当たり前でしょ?部下の情報を知らないとでも?」
急に真剣な面になった少女をみた滄波は、フンと鼻を鳴らすと剣を下ろし、荷馬車に繋がれている無傷だった馬を外し頭を撫でた。
主人を失った馬は、抵抗もせずにおとなしくしている。
「じゃあ、報告は滄波サンに頼むね。このヒューマンの子は私が預かる」
話の矛先が急にこちらへ向き、反射的に少女を見つめる。少女がローブの内側から何かをこっそり取り出す素振りをしたのを、私は見逃さなかった。
と、同時に身の危険を察し、肩が小さく震えた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ〜」
私の反応を見た少女は、隠すのをやめ堂々とソレを取り出した。山吹色の液体が入った小瓶は、少女の手の中で今か今かと出番を待っている。
きっと、これを飲んではだめだ…。そんな予感から、私は口を硬く結んだ。少女は口角を上げながら私に近づき、耳元で囁いた。
「残念、ハズレだよ」
小瓶の蓋が開けられ、一気に内部の香りが飛び出してくる。
自然界にこんな香りがあるのだろうか。鼻腔をツンと刺激してくるが、決して嫌な匂いではない。流石に強すぎるが、量を調節すればきっと安らぎを与える香りになるだろう。
薄れゆく意識の中で、微かに滄波の声が聞こえた気がした。
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「ん……夢?」
長い長い何かを見ていたような気がする。思い出そうとしても、霧がかかったように遮られてしまう。
思い出すのを諦め、上半身を起こした。私の上に被さっていた厚みのある布が落ちた。どうやら私はふかふかとした台の上で眠っていたようだ。
膝辺りまである高さの台は、私の体温で暖かくなっている。ギジリと音をたてながら台をおりると、壁に布がつるされていた。布の中心を掴むと、二つに分かれている事がわかった。
すると、頭の中にふっと誰かの声が聞こえたきがした。
「これが、かーてん…」
過去に、誰かがそう教えてくれたような気がする。いや、確かにその人が楽しそうに話していたのだ。しかし、それが誰なのかはわからない。
虫に食われた本のように、所々は思い出せるのだが、確信に迫る頁が見つからないのだ。
かーてんなるものを、両端に引いてみる。
「眩しい、です」
やはり、かーてんの先に、外に繋がる小さな扉があった。しかし、人が通り抜けられる大きさではなそうだ。
しかも、何故だかその扉はつるつるとしていて、太陽の光が部屋に入ってくるのだ。光の反射であまり見えないが、もしこの扉がクリスタルのように透明な素材だとしたら、扉を閉めたままでも外の景色が見られるのではないだろうか。
もしかしたら、私は死んでしまったのだろうか?初めて見るものの連続で、目にするもの全てに興奮しているのだ。
知りたい、もっとこの世界の事をしりたい!
そう思った矢先、大きい方の扉がガチャリと開いた。そちらはこの部屋に出入りするための扉だろう、それには見覚えある。
入って来たのは、バイオレットの瞳に橙色の髪を二つに結い上げた、可愛らしい少女だった。
「目、覚めたんだね」
ゆったりとした口調で微笑む少女は、何故か安心したような雰囲気を漂わせていた。
「貴方は、誰ですか…?此処は何処ですか?」
美しい少女の瞳孔が、一瞬大きく見開きゆらゆらと揺れた。しかし、何事もなかったように私の問いかけに答えた。
「私は雨に花と書いて、雨花と読むの、名乗るのが遅くなってごめんね」
ききなれない名前に首を傾げる。が、更に疑問な点がある。
「どうして、遅くなったと謝るのですか?私たちは初めて会って、直ぐに貴方は名乗りましたよね?」
「あたしからも質問していいかなっ?キミの名前を教えて」
嫌な所を突かれてしまって少し下を向く。
「確かに、名を訪ねたのに自分が名乗らないとダメですが、その…。わからないんです、自分の名前が」
目覚めてからずっと感じていた。かーてんの話をした人の事も、自分の存在でさえも、思い出せないのだ。
「やっぱり、記憶喪失なんだね、ミオウちゃん」
「ミオウ…?それが私の名前なのですか?貴方は私の知り合いなのですか??」
次から次へと出てくる質問。もっと、聞きたい事が沢山あるのだ。
しかし、肝心のゆいふぁさんは首を横に振って、申し訳なさそうな顔をした。
「あたしはクローランに行く途中の草原で、倒れそうな貴方を見つけたの。そこでキミはあたしに『私を助けて、私は…ミオウはエルフを倒すまで死ねない…です』って言ったの。そこでキミは倒れて気を失って、あたしが此処まで連れてきたってわけ」
「そんなっ…!どうして私は倒れそうだったんです!?どうして私はエルフを憎んでいるんですかっ!!!」
何しろ、心辺りが全く無いのだ。自分が誰かを恨んでいる事実に戸惑ってしまう。エルフは私に何をしたのだろう。ずっと、エルフを恨んで生きてきたのだろうか?それとも、自分が倒れる前にエルフに何かされたのだろうか。
わからない、思い出せない、私はこれからどうしたらいいのだろうか?
私の明日に、光はあるのだろうか…?
「あたしの大切な人もね、エルフに殺された事があるの。ミオウちゃんもそうなんじゃないかな?」
「私の、大切な人がエルフに…」
「実はキミを見つけた時、ミオウちゃん以外にも倒れている人がいたの」
「その人達はもしかして…」
ゆいふぁさんは、答えのかわりに俯いた。きっと、助かったのは私だけなのだろう。どうして私だけ助かったのだろう。いくら考えても答えが出ない事はわかっているのに、それでも考えずにはいられない。
そして、ゆいふぁさんは私に手を差し伸べた。
「そこでね、あたしはキミに提案する」
この少女は善なのか悪なのか。
「あたし達、一緒に」
私には全くわからないけれど。
「世界を敵に回してやろうじゃないッ!」
この子を信じてみたいと思った。