8話 急速な変化
「嫌あああぁぁぁぁぁ!!!!」
自分でも耳が潰れそうな程枯れた叫び声。じんわりと、音も立てずに咲く赤い血の花。
それは、温室で最上級の栄養を与えられてきた花ではなくて、時に踏まれながら必死に生きる事へ食らいついて来た花だと思った。それを感じさせない程、立派に凛と佇んでいる。
ありきたりな表現だけれど、これ以上彼を表すのに相応しい言葉は無いと思う。確かな根拠はないけれど。
あぁ、まだ言いたい事がたくさんあります。もっと一緒に話しましょう?
ねぇ、どうして笑おうとしてるのですか。痛みで顔が歪んでますよ?
エルフが彼の体から素早く刃を抜くと、今までゆっくりだった世界が動き出した。血の付いた剣が汚らわしいというように、エルフは剣を力強く振った。虚しげに空中を切った剣先から、彼の血が辺りに飛び散る。
そのうちの一滴が私の頬に飛び、涙のように流れていった。
「一真君ッ!」
力が抜けたのだろう、目を伏せ、荷馬車から前のめりに倒れてくる。
今まで役に立たなかった私の足は、瞬時に立ち上がり、彼を受け止める姿勢になっていた。
しかし、脱力しきっている男の体を私一人で支えれるはずもなく、二人とも倒れてしまった。
「おねがいします!!!!!!目を覚まして!!!!!!!」
私は上半身を少し起こし、私の上に向かいあって倒れたままの格好で絶叫する。彼の頬に手を当てるとすでに体温が奪われていっている事を、実感させられた。
しかし、苦しそうに唇から漏れる息は、彼がまだ生存している事を表していた。
「ごめ…んなさいっ…ごめんなさい!私のせいで、わたしがっ、いなければ!!」
彼は、間違いなく私のせいで大怪我を負ったのだ。その後悔と懺悔の気持ち、さらには目の前のこの状況で、ぐるぐると様々な思いが溶け合って一つの結論にたどり着いたのだ。
「美桜……?」
彼の口からあり得ないほどか細い声が、弱々しく鳴る。
「やだぁ、しなないで…、死なないで!!」
彼の表情が、ふわっとほころんだ。不思議な、感覚が私を襲う。彼の考えている事、此方の頭の中に流れ込んでくるのだ。
こんな状況なのに、やはりいつもと変わらない彼の姿に、自然と私の口角が上がるのを感じた。
「好きだよ、美桜。今までも、これからもずっと…」
私達は、最後の最後まで繋がっていた。お互いの考えている事が手に取るようにわかっているというのに、あえて彼が言葉を発したのは、彼らしいなと思った。
彼は最後の力を振り絞り、私の頭に手を伸ばした。それと同時に、私も彼の頭に手を添えた。そっと、産まれたての赤子を扱うように、または、この世で最も高価な品を手にするように。壊れてしまわないように、お互い最大の敬意と情を込めて撫でた。
なんだかくすぐったくて、涙でぐちゃぐちゃになった目と目を交わしながら笑いあった。
それ以降、彼の感情が私の頭に伝わってくる事はなかった。ぷつんと糸が切れた人形のように、彼はうなだれた。
「──────っ!!!」
声にならない叫びが、周囲を木霊する。
彼、一真はその鼓動を止めたのであった。
ふと我に返った時には既に、一真君の仇は息の音を止めていた。異変に気付いた彼の父は、その図体と比例して協力な力を持っていたようで、万が一の為に荷馬車に積んでいた武器がわりの農具でエルフを仕留めていたのだ。今も他のエルフと一線交えている。
対して平助さんの姿は見当たらない。まさかと思考と視線を巡らせば、案の定真っ赤に染まった平助さんが倒れていた。
まるで地獄絵図のようだ。ヒューマン、エルフのどちらも地面にひれ伏したまま微動だにしない。平助さんもそのうちの一人になってしまっていたのだ。
「ぐはっ……!」
「!?」
先程までエルフを押していたはずの、一真の父の呻き声が耳に入った。振りかえると、別のエルフが背中から肺へ剣を突き刺しているところだった。一真の父はニヤリと口を歪めると、倒れゆく自らの体の重さを利用して、前方にいたエルフの胸を突き刺した。
エルフの絶叫と一真の父の雄叫びはこの場を包み込み、やがて消えていった。
「おじさんっ…!!!」
一真君や平助さんだけでなく、おじさんまで倒れてしまうなんて。もともとただの奴隷だ。戦闘経験も皆無に等しいのに、遅れをとらずに戦ったのは彼の才能だろう。
幸か不幸か、この場に残るヒューマンは私のみになってしまったようだ。他の仲間たちも既にうずくまって動かない。仮に生きていたとしても、時期に死ぬのは目に見えている。
もう、死ぬ覚悟は出来ていた。今の私ではエルフを倒す事が出来ないのは十分承知しているし、何より一真君を始め勇敢に死んでいった仲間達を裏切るような、みっともない悪足掻きはしたくない。
それでも、怖い。赤目の男が現れた時もそうだ。一度死の恐怖を味わっているのにもかかわらず、全身がガクガクと震えている。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
だけど、もう直ぐ会えますよ、一真くん…。
「はああぁぁ!!!」
威勢のいい太い声が後ろから響いてきた。ケットシーで使者である滄波だ。彼はエルフからの攻撃をするりと避け、エルフの首を刎ねた。
赤黒い血と共に生首が宙に浮かび、やがて音を立てて落下した。それが空で飛んでいる最中、ギョロリと目玉が私の方を向き、目があった。
あまりにも非現実的な光景に、私は硬直してしまった。
そんな事を気にも留めず、滄波は次々とエルフを武器も使わずになぎ倒していった。
「お前だけでも殺してやる…!!」
迂闊だった。滄波の想定外の強さに目を奪われていて、背後に忍び寄る影に気づかなかった。
つい先程、同じ手口でやられそうになって一真君が命がけで守ってくれたのに……。自分が死ねばよかったのに……。
「あれ?」
ここに来て、やっと気持ちが矛盾している事に気がついた。死を覚悟した筈なのに、今、自分の命を惜しんでいたのだ。
本当は死にたくないのに、死んでもいいなんて嘘をついていた。
「とんだ偽善者ですね…」
そう言って私は、精一杯の皮肉を込めて微笑んだ。勿論自分に向けて、だ。自分が死ねばよかったなんて、心から思っているのだろうか?私が助かって良かったって、一切思わなかった証拠なんてどこにもない。もしかしたら、頭の片隅でも彼が身代わりになってくれてよかったって、思ったかもしれないのに。
全てがわからない。そして永遠に解る日は来ないのだろう。
しかしこれだけは譲れない。彼がそうしたように、私も死ぬ時は笑って死のう。
次の瞬間、私の背中に剣が突き刺さる、筈だった。
突き刺さったのは、私ではなくエルフの方だった。
「何故だ…!?」
彼の疑問は最もだ。滄波は向こうで他のエルフと闘っている最中だし、エルフを突き刺せる人物は、立ち位置的に私しかいない。
しかし、その私が刺したのでは無いのだから何故、としか言いようがない。
ただ呆然と眺めていると、エルフが倒れるのと同時に、一人のケットシーが現れた。滄波以外の使者は、ケットシーがエルフに手を出してはならないという掟から、攻撃するのを躊躇っているうちに殺されたことは明白だ。
私が始めに背後のエルフに気づかなかったのは、隣に走っていたケットシーがエルフに斬られたからなのだ。
現に、一真君が亡くなった後確認した時には、数人のエルフとその父と滄波、そして私だけだ。
滄波以外に複数いたエルフは、倒れていたと記憶している。
「あなたは……!」
強い風が吹き、ケットシーが被っていたフードが脱げる。
奴は…彼女は、橙色の髪のをもっている、愛らしく美しい少女だった。
「また会えたね、美桜ちゃん」
森中、湖で会った美少女。
しかし、手の甲にはあった筈の金木犀の印が消えており、無かった筈の茶色の耳が生えている。
まるで、ヒューマンからケットシーに生まれ変わったかのように。