3話 出発
翌日の早朝、住民が一ヶ所に集結する。
普段出られない集落の外に沢山の荷馬車が停まっていて、献上しに行かない女性達は、集落の境目で男性達と引き離されていた。集落と外との分かれ目を示すものは、膝辺りで紐が引っ張られているだけだが、もちろんそこを越えようとする女性はいない。
私たちの見送りに来た女性たちは、すでに紐を越えた男性達よりも落ち着いた顔をしている。家族や友人に別れを告げ、次々と荷馬車に乗り込んでゆくのを私はぼんやり眺めていた。
「体調には気をつけていってきてね。」
「ああ、お前も気を付けろよ。」
そんな会話が至る所から聞こえてくる。誰もが別れを惜しんでいるが、クローランからテレポートして来た使者によって強制的にその短い時間は終了する。
見慣れた橙色の服も今日は五着あり、その中に滄波もいたが、フードを被ったケットシーもいて、彼一人だけ異彩を放っている。赤目の男には劣るが、奴もまた多量のプラーナを持っているのが一目でわかる。しかし、その不気味な雰囲気とは裏腹に他のケットシーに比べずいぶん小柄だ。
「美桜ちゃん、平助さん。しっかり睡眠とってご飯も食べてね!!」
腕に平助さんの子供を抱いている亜子さんが、駆け寄ってきてくれる。すでに旦那さんと、今年十一歳になり、二回目の献上を迎えた第二子との別れは済んでいるようだ。
「うえぇぇぇん」
滅多に泣かない平助さんの子だが、別れを察したように泣き出してしまう。不憫に思った亜子さんは、最後にもう一度平助さんに赤子を抱かせた
平助さんに慣れていない手で預けられると、さらに大声で泣き出してしまう赤ちゃん。作物を作るのに忙しく、中々我が子を抱く事が出来ないのだ。平助さんと赤ちゃんの離れたくないという思いがひしひしと伝わってくる。
「元気に帰って、またこの子を抱くまでは元気にしておかねーとな!!」
明るく言った平助さんだが、その目は涙ぐんでいる。
「私も無事に帰り、今まで亜子さんに頂いたご恩を返すまでは元気でいないと困りますしね」
そう言葉を発した途端、急に外に出る実感が湧いてきて、思わず亜子さんをぎゅっと抱きしめてしまう。集落の男性陣の中に唯一、かつて一度もこの狭い世界を離れたことが無い女なのだから、不安になるなと言われても出来るわけがない。
過酷な生活ながらも、この場所に私は護られていたのだろう。
しばらく亜子さんに抱きついていると、ケットシーが来て馬車に乗れと催促してくる。仕方なく私は亜子さんから離れ、平助さんは名残惜しそうに赤ちゃんを託す。
一つの馬車に二人が操縦席に乗り込み、後ろの荷台で沢山の作物や衣類を城に運ぶのだ。私達を引く馬はこの集落で愛情を込めて育てた茶色の馬だが、クローランの使者達が乗馬している馬は毛艶がよく、貴族に飼われていると一目でわかる白馬だ。馬着にも豪奢な刺繍があしらわれていて、五匹の使者は10台弱の馬車の列を囲むように配置され、先頭にいるケットシーが出発の合図を出す。
後方にいる私達の馬車も音を立て動き出した途端、最後尾にいるケットシーが魔法を唱える。
「エアレイト!!!」
すると、ゆっくりと滑り出すはずの馬車が急速に走り出した。反動で前方へ体が危うく飛び出すところだったが、とっさに手綱を強く握る事で、落下は免れた。と、同時にふわふわとした感覚に襲われた。先ほどまで居たはずの集落がぐんぐん離れてゆき、姿こそはあるものの、見送ってくれている女性達を識別出来ないほどだ。慌てて周りの馬車を確認しても、此方と同様の速さで動いていて、驚きで操縦が少し乱れている。
さらに速度は上昇していき、まるで荷台など積んでいないような速度がでている。
「美桜ちゃん、これを持ってみろ」
同じ荷馬車に乗り込んだ平助さんが操縦しながら差し出したのは、出発前に私が友達から受け取った黄色の果物だ。疑問に思いながらも果物を手に取ると、平助さんが私に果物を持たせた理由に気付く。
「この果物、どうしてこんなに軽いのですか…」
見た目こそ良く慣れ親しんだ果物だが、あるはずの重さが全くない。
エアレイトと魔法を唱えたのは、あのフードを被ったケットシーなのだが、奴は何事もなかったように白馬に跨っている。すると、前にいるケットシーが声を上げる。
「我々ケットシーの中で最も飛び抜けているコイツの技だ!!エアレイトは重力をほぼ無効化することが出来るのだ!それをコイツがお前らの荷台にかけてやったんだ」
そうフードのケットシーを見ながら言う。
この数の重力を一人で変えるなど相当な技術がないと不可能なのだろう。私にはエアレイトという術がどれほど一般的なのかはわからないが、集落に来たケットシーが話していたのを聞いたことがある。ケットシーは変換術が得意で、実際はそこにあるのに無いように見えるというものらしい。おそらく、実際は重力があるのに重みを認識出来ないのだろう。自然の理には誰も逆らえないのだから、重力自体を無くすことは出来ない。
しかし、フードは相当な術の使い手なのだろうが、いかにも自尊心の高そうな滄波が得意げに話す様は少々腑に落ちない。実力が全ての使者にとって、他のケットシーが自分よりも優秀なケットシーに嫉妬するのを集落で長年見てきた。週に一度ケットシーが二匹テレポートして来るが、仲間のケットシーにも敵対心をいだいているようだったのだから、私は今の状況に戸惑いを隠せない。
「こりゃあ、本当に短期間で城まで着きそうだな」
操縦に集中しながらぽつりと平助さんが呟く。馬は速度を落とさずに平地を走り続けているので、下手をしたらまた振り落とされそうになるかもしれない。確かにこの速度なら期限に間にあいそうだ。
「しかし、思ってたよりも何も無いですね。出発してから数時間走り続けてますけど、これじゃあ集落から見える景色と変わらないですよ」
これだけの距離を進んできたのに、ずっと緑の平地が一面に広がっているだけで特に変わった事は無い。
知 らない世界に踏み出すのは勇気が必要だったが、外の世界に憧れもあったのも事実だから、初日から期待を裏切られ少し気が抜けてしまう。
「クローランは面積がとても広いからな、未開発の地も多い。中心部に行けば街も沢山あるぜ」
「そうなんですね、少し楽しみです」
そう発言すると、平助さんの表情が苦いものへと変わる。過去の献上で何かあったのだろうか。これ以上質問するのはやめたほうがいいと判断し、即座に話題を変更させる。
そうたわいのない事を話しているうちに、随分遠くに来た。何も無い平地だったが、だんだんと緑が見えてくる。生い茂る木々が森の周りを取り囲んでいて、私は初め森を避けて通るのだと思っていたが、今も森の方に真っ直ぐ進行しているので、その予想は大きく外れてしまった。
少し接近すると、その森が相当巨大な物だと思い知らされた。まるで外部からの侵入を防ぐように生えている木々は迫力がある。しかし、その中に一箇所だけぽっかりと穴が開いていた。
荷馬車が通るには問題無い空間だが、それ以上のものは、通る事が出来ないだろう。もうこの頃には、出発当初の青空ではなく、ケットシーのローブと同じ橙色になっていた。速度を落とさない荷馬車と共に森の中に入ると、驚くべき風景を目にする事になった。
「すごい…!あっちにも、こっちにも、見た事のないものがたくさんありますよ!!」
献上しに行った男性たちから話を聞いていたが、本当にこんなに綺麗な植物が実在するなんて、目の当たりにして尚信じられない。そびえ立つ巨大な木々のおかげで、陽の光は一切入ってこない。だが、植物が各々光を放っているのでとても神々しく、前進するのに困らない明度を保っている。
至る所に生えている木の中に、他のと明らかに違う特徴を持った木があった。一房に七つのみが付いておりそれぞれ違う色に輝いている。他にも、様々な形で発光しているキノコや草花も存在し、たくさんのスピリッツ達が飛び回っている。この光景に目を奪われていると、馬の走る速度が徐々に遅くなっていき終いには停止した。
「このあたりで休憩だ。ここで一夜を過ごすぞ」
と、先頭にいたケットシーが叫ぶ。太陽の光がなく、時間感覚を失った住民達は言われるまま荷馬車から降り、食事と寝床の用意を行っていく。ここでの食事は普段よりさらに質素なもので、一人に両手より一回り小さい果物が一つ与えられるのみで空腹を満たす。
だが、ケットシー達は私達がつくった大事な献上物を次々と食べていき、そのせいで毎年クローランから献上物が定められた量に達していないと怒りを買っていたそうだ。
ただし、今回は献上期間が早められたので定められた量よりも少なくてすむので、なんとか誤魔化せそうだ。
「美桜、水浴びをしてきたら?」
「水浴びですか?」
亜子さんの旦那さんが、向こうから話しかけてくる。
「毎年ここで夜を明かすのだが、向こうに湖があってな。去年はここまで来るのに三日はかかっていたが、今回は数時間で着くとは…。とにかく、水浴びするのは恒例なんだよ。ここからは見えねーから安心して入ってきな」
平助さんにそう言われ、湖の場所まで案内される。透き通った碧をした湖心が躍る。湖周りには沢山の白い花が咲き乱れていて、相変わらず神秘的だ。
「じゃあ、ゆっくりな」
平助さんが見えなくなったのを確認すると、するりと袴を落としてゆく。花の光に照らされ、肌が剥き出しになってくる。
集落にとって希少な水がこれほど溜まってい事に驚き、恐る恐る片足を湖に沈めると、ひんやりとした感触が伝わってきた。春のこの季節に入るのは少し寒いが、全身水に浸かるのは初めての経験だ。しかも、この風景の中に身を委ねるとなんとも言えぬ感動が沸き起こってくる。
すると一匹のスピリッツこちらに飛んできた。私が手を出すと、その指先に止まる。
「ここのスピリッツは人に慣れているのですね。うちの集落にはスピリッツが少ないし、中々姿を現してくれないんですよ」
そう話しかけると、スピリッツは手のひらまで移動していきちょこん座り込んだ。
「え?ここにはあまり人がこないから寂しい?そうですか…こんなに綺麗な森なのにどうしてでしょうね」
うーんと、腕組みしながら首を傾げるスピリッツ。 私の掌から降り、水面に足を着けて跳ねる。
「もしかして、一緒に入りたいのですか?だめですよ、羽が濡れてしまっては飛べなくなっちゃいます」
くすくすと笑みを零していると、突然声が後ろから聞こえてくる。
「あなた、スピリッツの気持ちがわかるの?」
スピリッツは驚き、草花の中に隠れてしまい、私は慌てて後ろを振り返ると、見た事のない女の子が立ってた。
「隣、失礼してもいいかなっ?」
私の返事も聞かないうちにばしゃりと水音を立てながら腰を下ろす。
ふわふわとした肩まである橙色の髪を左右二つに分け、上の方に束ねている。目尻が上がったバイオレットの瞳は、周りの花に負けないほど輝いている。
この森全てが彼女を引き立てるために存在しているように感じるほど美しく、さらには愛らしさも兼ね備えている。華奢で見たところ私よりも身長が高く、手足も長い。
透き通った肌の上には、何も衣服を着ておらず、その整った体型を惜しげもなく披露されている。
これほどまでに女の子に惹かれたのは始めてだ。
「私と同じヒューマンですよね?どうしてこんな所にいるのですか?」
つい、そう問いかけてしまう。
どこからどう見ても、私と同じ種族だ。彼女の右手には確かにヒューマンの証がある。
クローラン以外にも、私たちのようなヒューマンの集落が多数存在している。私の集落以外ヒューンに会うのは始めてで少し緊張するが、この少女の仲間らしき人達は見当たらない。もしかすると、この子も私と同じく献上同行者じゃないだろうか。
「貴方こそ、どうしてここにいるの〜?」
ちょこんと首を傾げ、逆に質問で返されてしまった。少し怪しいと思いつつも、同胞に出会えたことの嬉しさが勝ってしまう。
「クローランに献上しに行っている途中で、今夜はここで夜を明かすらしいです」
正直にそう言うと、少女の目はきらりと輝いた。
「でも、女の子はキミだけなのはどうして?」
「私のご先祖様は昔集落の長だったらしく、その代から現代に至るまで桜一族は毎年一人、献上に同行しなければいけないと定められたのです」
止むを得ない理由があり、去年までは私の祖母が同行していたのだが、今年の初めに祖母が病気で亡くなったため、私は今回が初の献上となる。
ヒューマンは他の種族と違い、全員が自然の生物の生まれ変わりある。現に私は桜の生まれ変わりであり、桜だった頃の記憶は無いがヒューマンは右手の甲に、桜の模様が浮び上がっている。
長い年月をかけて生きている集落の桜も、桜一族が滅びない限り、いずれは私の血族になるのだ。そんな桜に、特別な感情を抱き、また桜自信が私を好くのは至極当然の事だろう。
あの小さい真子ちゃんだって、母の血を引いて蝶の印を手の甲に持っているし、旦那さんと一緒に献上している十一歳の長男は、雫の印を持っている。男の子なら父の、女の子なら母と同じ模様をもって産まれてくるのはヒューマンにとって常識だ。
目の前にいるこの少女も、私と同じ花の生まれ変わりのようで、手の甲には橙色で小さい花が幾つも描かれている。
「これ食べるっ?」
突然の言葉に驚いたが、私は頷き右手を差し出す。彼女の両手には光る丸いものが載せられていた。
「それはさっきの七色の木の実!頂いてもよろしいのですか?」
返事の代わりに微笑み、赤色の実を私に差し出す。潰れないようにそっとつまみ、目を瞑りながら口に放り込む。
「お、おいしいです!!」
口 の中に甘みと程よい酸味が広がっていく。未知のものを食べる楽しさに夢中になってしまう。そんな私の反応に満足したのか、少女はさらに実を差し出す。
「色ごとに違う味がするんだよ!おすすめは橙色」
彼女は青の実を自分の口に入れ、橙色の実を私の唇の向こうに押し込む。弾けるようなみずみずしさに、先ほどの実と違った美味しさを感じる。
「あなたのその飾り、すっごく可愛いね!!桜、好きなの?」
にっこりと人懐っこい笑顔で問いかけてくる。
なんとなく、この髪飾りは肌身離さず持っていたいので、水浴びにも外さず付けていた。
「はい、桜は私にとって何よりも大切ですから。あなたは…金木犀の人ですよね?」
私の集落には金木犀は無いが、植物の本で一度見た事がある。
「う、うん…そうなの、やっぱり大切よね!!」
そのぎこちない返事と共に、彼女は手の甲を隠す。
違和感があったものの、私の集落には同じくらいの歳の子がいないから、こうやって話しているのがとても新鮮でそんな事どうでもいい。
いつまででも、話していたいのだが、そうもいかなかった。
「おーい、美桜ちゃん!!大丈夫かー??」
遠くから平助さんの呼ぶ声が聞こえる。どうやら長居しすぎてしまったようだ。
急いで湖から上がり、布で体を拭き袴に袖を通す。
「また会えるといいですね!では、失礼します!」
軽 くお辞儀をすると、湖の中から少女が手を振ってくれる。
「またすぐに会えるよ、美桜ちゃん♪」
その少女の言葉は風にかき消され、私まで届く事は無かった。