2話 受け継ぎし飾り
目が覚めたのは、ほんの少しのもの音が原因だった。暁の空はまだ暗く、子供達も規則正しい寝息をたてている。
しかし、私と一緒に子供の面倒を見ている大人の姿が見当たらない。
目 をこすりながら子供達を起こさないように戸を開けると、住民が何かに群がっている事がわかる。ふと目を桜の幹に移動させた時、それの異変を感じた。
「どうしてクローランからの使者がここにいるのです!」
住民をかき分け、人集りの中心に到達すると、明らかに住民ではないものが立っていた。それが身に纏っている淡い橙色のローブには、クローランの緑紋章が胸元に飾られている。みるからに高級な素材は、私たちの集落でしか取ることができない。奴が来ているローブも、私達が命をかけてこしらえたものであり、それをやすやすと感謝もなく着用している事に怒りが沸き立ってくる。
奴はローブに縫い付けているフードを深く被っており、こちらからでは表情がわからない。
「なぜ使者様がここにいるのです?」
今日は週に一度の使者が来る日では無い。ましてや、住民の反応をみるに誰かが殺された訳ではなさそうだ。
「美桜さん、ちょうど良かった!こいつらが献上の時期をはやめろって言うんだよ!」
集落の中で一番気の強い女性が声をあげる。献上の話となれば、私も黙っていられない。
「それで、何日早めるのです?」
すでに冷静ではなくなっているこの女性に話を聞いても、明確には伝わってこないだろうと、隣にいる亜子さんに尋ねる。
「それが…二十日後に献上しろと言うのよ」
普段の様子から遠ざかり、珍しく困惑した様子で返事が返ってきた。
「十五日!?そんな、作物や衣類をまとめるのに二日はかかるのですよ!!」
使者に向かって声をかけるが、何も反応を示さない。ここからクローランの城に向かうには、早くても二十日はかかる。今から出立しても到底間に合うはずが無い。
すると突然、集落中クリスタルが緑色に輝いた。複数あるクリスタルのうちの一つから人影が現れる。奴もまた橙色のオーブを着用しているが、ただ一つ人集りの中心にいる橙色と異なる所がある。
後から現れた方はフードを被っていない。だからこそはっきりと頭にあるそれが見える。私達とも、ましてやエルフとも違う獣の耳。そう、彼らは「ケットシー族」だ。
彼が現れた後、丸いクリスタル達は薄い橙色の光に変化する。もちろん、桜の幹下に設置されている物も例外では無い。
後から現れたケットシーは、以前からこの集落に派遣されており、確か名は、滄波〈ソウハ〉と呼ばれていた気がする。
「だからこそ、こいつがいるのだ」
滄波は、フードを被ったケットシーを指差ししながら言った。
「……」
フードは、自分に話題を向けられてなお無言を貫き通している。おそらく滄波の方が高い位についているのだろうが、無礼とも取れるこの態度を気にもとめず、言葉を続けていく。
「明日の早朝までに準備しておけ。何としても二十日までに献上しろ。さもなくば命は無いと思え。」
そう言い終わると、何処かで操作したのだろう、再びクリスタルが緑に輝きケットシー二人がクリスタルに吸い込まれ消えていった。クリスタルは吸い込んだ後、通常の透明に戻る。
この光景は何度も目にしているが、ケットシーがクローランに帰った事により、集落全体が緊張から解放されるのは毎回同じだったが、今回ばかりは不安が押し寄せてくる。
「二十日で城に行けるわけ無いだろ、あのエルフの猫め!!」
「それより、今は向かう準備をするしかないじゃないか。もし明日までに間に合わなかったらそこで殺されてまうかもしれない」
「そうだな。クソッ、俺たちもテレポートできたらいいのに!」
「嘆いたってしかたないでしょーよ。私達はテレポートを使うことができないんだし」
急な事態に、口々に不満を言い合う住民たち。その心情は充分理解できるのだが、もっと他に優先すべきものはたくさんあるのだ。しかし、最悪な状況だという事を今更ながら思い出す。
「二日後、あの赤目男がくるのですよ!明日出発してしまっては、女性しか残らないけど大丈夫でしょうか」
そう、昨日突如現れた不思議なあの男。憎悪を具現化したような表情をしたと思えば、何処か哀愁を帯びているようにも感じたのだ。十歳を過ぎた男達は献上にいく仕来りなので、赤目の男が集落に訪れた時、女性と幼い子ども達のみである。
そんな私の言葉で、ゆっくりと今置かれている状況を把握していく。
「明日までに準備をが出来ていないとケットシーに殺される。かと言って、あの赤の奴が集落に女と子どもしかいない事に気が付いたら、何をしでかすかわかんねー。クソッ、どうすればいいんだ!!」
誰も名案を見出せぬまま、時間が過ぎてゆく。やっと口を開いたのは、堅いがよく強面で、赤子を抱いている男性だった。爽やかな田舎の若者といった雰囲気の平助さんとは真逆である。安心しているのか、その筋肉質な腕に抱かれた赤子、真子ちゃんはぐっすりと眠っている。そう、彼は真子ちゃんの父親であり、亜子さんの旦那さんでもあるのだ。
「どちらにせよ、まずは明日生きる事を第一に考えましょう。今ここで考え込んでいては埒があきません」
巨体から発する声は野太く、物言いこそ丁寧なものの、言葉の選び方には少々棘がある。彼自身、決断力がある人なので、何もせずにただ棒立な事に呆れているのろう。
亜子さんは、この人の自分を見失わない所に惹かれたようで、隣にいる私にしか感じられないほど小さく、顔を綻ばせてこう言った。
「大丈夫、あたしらが上手く対応しておくから任せときな!美桜ちゃんが初の献上同行で頑張っているのに、あたしらがあんな男に負けてられないさ!!」
亜子さんの勢いに、他の女性達もうんうんと頷き出す。それを見た男達は少し安堵する。
しかし不安は拭いきれない。あの男は素性知れず、クローランよりももっと残酷な可能性だってあるのだ。明確な目的がわからない相手の誘いに乗る必要はないが、やはり殺される可能性も大いにある。どちらにせよ、私達が城に向かわないという選択肢は用意されていないのだから女性達を信じる他ならない。
献上を促す理由も定かではなく、本来ならば献上の期間は随分先だ。作物や衣類の量も、現在献上できるもの全てを用意するように命令された。計画性のあるクローランからは考えられない。
実際、反逆者が出ないように労働時間は決められており、私達の睡眠時間は十分に取れているし、それだけに作業の質をあげさせられるなどの大変な労働を強いられる。住民は常にお腹を空かせているが、飢えるほど作物を取られているのではなく、残酷で辛い日々を送り、献上が終了して帰ってきた翌日に一日休暇がもらえる。この制度こそが、反逆者が少ない理由だと私は推測している。
極限に追い詰められてきた人々にとって、一日の休暇は楽園に感じる。そして反逆者と無関係の人間が殺されるあの制度。人の心を操る術は熟知しているのだろう。
荷台に荷物を詰めていくうち、いつの間にか日が天頂に辿り着いており、事情を説明された子ども達も手伝ってくれている。今回は献上期間が速いぶん、荷台に詰める荷物も減少しているし、日々鍛え上げてきた集落の団結力を存分発揮し、明日までに終わらせる目処が付いてきた。
「こっちは力のある俺たちがやっておくから、ご飯作りを手伝ってきておくれよ!」
「はい!そちらはよろしくお願いします」
そう 言葉を残し、その場を後にする。
集落に建つ建物の一つの調理場で、いつもの半分の人数で昼食の用意をしていた。茹でたり、焼いたりするだけのシンプルなものだが、いくら小規模な集落といえこの人数で用意するのは大変だろう。作物取りだし、手際よく千切ってゆく。
「あら、スピリッツがこんなところにいました」
お釜のフタを開けると隙間から、小さな光がひょこっと顔を出した。調理場から去っていこうとするが、慌てていて私の腕と軽く衝突してしまう。
スピリッツはぶつけた自分の頭をさすると、もう一度背中に生えた薄い透明な羽を羽ばたかせた。ようやく調理場から出られたスピリッツは、宙へのぼっていった。先程の子はこの村でよく見る桜のスピリッツで、私と非常に相性がいい。
「あんた、そのスピリッツにすごく好かれてるわよね、羨ましいな〜」
確かに、この子は私のいる場所にしか出現しない。スピリッツと触れ合いたい気持ちを押さえ込み、構う暇もなく次々と作業をこなす。
少人数で調理場を慌しく動き回っているので暑く、私は髪を束ねた。
「そういえばさ」
一人の女性が私の方によってきて、私に手を出すように言う。一通り昼食の準備は終了したのか、女性数人が此方を微笑ましく見ている。不思議に思いながらも私が両手を差し出すと、女性は何かを掌に乗せ、私の手をごとぎゅっと握った。
「これは何です?」
手を開くと初めて見たものが乗せられていた。
ガラスでできた桜の飾りに、銀色の鎖が通されている。きらきらと光を反射していて、桜の飾りをより一層引き立てていた。
「すごく綺麗…でも、首飾りにしては小さすぎる気がするのですが?」
身にまとう装飾品だと思うのだが、ガラスの桜も親指の爪ほどの大きさだし、通してある鎖の長さも頭を通るとは思えなほど短いのである。
「これはね、こうつけるのよ」
女性が私の頭に鎖を乗せると、ちょうど桜の飾りが額の中心にくるようになっていた。上辺りの後ろ髪をすくい、鎖を覆い隠すようにすくった髪をおろす。鎖にはピンが備え付けられており、動いてもとれる心配もなく、後ろ髪の下に留めているのでピンが見える心配もない。
「貴方の桜色の髪によく似合うわ!」
「でも、こんな汚れた古い袴を着ている私になんか似合わないですよ」
何年も使用している薄汚い袴に、この髪飾りが釣り合うことは有り得ない。そう言うと、女性は口角を上げたまま首を横に動かしている。そもそも、これをどうして私に付けたのだろうかと考えていると、女性は私の思考を読んだかのようにこう言った。
「それはね、さっきのスピリッツが持っていたの」
「え…あの子がですか?」
「ええ、この間物置に行ったらあのスピリッツがいて、慌ててでていっちゃったのよ。それで落としていったのがこれ」
あの子が持っていたのなら返さないといけないじゃないですか、と問おうとしたが、そんな心配は無用だったようだ。
「それはね、貴方のお母さんが持っていたものなの。あのスピリッツはお母さんとも仲が良かったから、見つけて拾ってくれていたのね」
これは、母の物だったのか…。ふと視線を移した先の物陰から、こちらを笑顔で覗いているスピッリツと目があった。その子は一瞬、しまったと言いたげな顔をしたが、もう一度笑顔になり手を振って去っていった。
私は桜の髪飾りを愛撫し、自身の桜色の髪を手櫛で髪を整えた。朧気な記憶の中の母に想いを馳せながら、少しの間、満たされたこの感情に浸っていた。