1話 赤い瞳
全ての種族は平等だと誰かが言った。
実際、この世界の殆どの種族が子供の頃からそう教えられているが、成長するにつれそれが誤りだと気付く。
しかし産まれながらにして、いや、生まれる前から平等でないと深く心に根付いている種族がいる。
そう、それが我ら「ヒューマン族」だ。
幼い頃から忌み嫌われ、蔑まれて育ってきた私たちは常に監視されている。男は畑を耕し、女は衣類をつくる。
それが「エルフ族」の王国、クラーロンの末端に囚われている私達が生きる道だ。
太陽光る朝、ひらひらと落下してくる花びら達が私を中心に踊っている。
手を差し伸べるとその中の一つが掌に舞い落ち、その様子はとても愛おしく、私を好いてくれているようにさえ思えてくる。
「美桜ちゃん、うちの子お願いしてもいいか?」
突然背後から聞こえて来た声は馴染みの深いもので、振り返る前に誰から発せられているものなのか判断がつく。
「大丈夫ですよ、平助さん。亜子さんの所に連れて行きますね」
「ありがとな」
そう言うと平助さんは手に抱えた赤子をそっと私に託し、歩き出した。
花びらを動かしていた風は止み、乾いた土の上に落ちる。平助さんが歩いた時にもう一度浮き上がった花びらは、先程までいた位置には到底届かず、再び地面に消えた。
彼が向かう先には、様々な年齢の男達が汗を流している。
まだ夜が明けて間も無いというのにせっせと畑を耕し、その近辺で他の作物に肥料をやる姿は昨日今日始まったことでは無い。
豊かな暮らしと生活の発展から置き去りにされたこの場所で、私達は命を全うする他ならない。
今にも崩壊しそうな建物が幾つか建っており、その中の一つの、古びれて重くなった扉を片手で力一杯開ける。玄関の大きさと草履の数は不釣り合いで、脱ぎ捨てられた草履は他の草履に乗り上がったり、不揃いだったり散々な有様だ。
赤子を抱いているのでそれらを整頓するのは諦め、少しの段差を登る。玄関から上がるとすぐ部屋になっており、今は女性達がまだ幼い子達を起こしている最中だった。
まだ眠そうな幼児は、私の腕を見ると目を瞬かせ、台風をも吹き飛ばしそうな勢いでかけてきた。
「あ、平助さんの赤ちゃんだ!!」
産まれたばかりの赤子は子供達に人気で、この子を撫でようと駆け寄ってくる。この小規模な集落では、住人全員が家族だとされているので、自分達に弟が出来て嬉しいようだ。
「みんな、おはようございます!」
この子達に負けないように、大きな声で挨拶をする。
「美桜ちゃんおはよーー!!!」
元気はつらつな幼児達は、声を揃えて何倍もの大きさで返してきた。無邪気な笑顔に、此方もつられて笑顔になる。
きゃいのきゃいのと赤子にちょっかいを出していくが、当の赤子は迷惑そうに顔をしかめている。しかし、気付いていないのだろう、赤子の気持ちをお構い無しに寄ってくるこの光景は、すっかり日常の一部に組み込まれてしまったようだ。
「ねえ、わたしがだっこしてもいー?」
二年前まで、今の赤子と同じ乳飲子だった女の子がそう聞いてくる。つられてか、ここにいる六歳未満の子供達が「ぼくも!」「わたしも!」と手を挙げていく。
「もうお仕事の時間だから、お昼ご飯の時にしましょうね」
「はーい…」
渋々幼児達は返事をすると、先程までの落胆が嘘のように消え去っていた。
短命ゆえ、十歳から立派な労働者と考えられるここでは、三つを過ぎてから仕事を覚え始める。朝から晩まで働く大人達と違い、この子たちは昼まで仕事を習い、午後からは未だ役立ったことの無い読み書きを少し習ったり、この集落の歴史を大人から習う。
ずっと、過酷な毎日を見てきた幼児達は、自分が働くことで少しでも家族の負担が減ることを、誰に教わるでも無く知っているのだろう。
ありがたいし、実際私がこのくらいの年齢の時は同じように思っていたれけど、今思えば幼い子が労働することは褒められたことでは無いのだ。
彼らの手を借りなければならない程、人は欠落しているのだが、どうにもやりきれない気持ちになる。
「じゃあ、いってきまーす!二人ともあとでねー!」
そう言い残し、幼児らは、ぱたぱたと外へ駆けてゆく。
「いってらっしゃい、無理はしないでくださいね」
その場に残ったのは、私と赤子と、最初に抱っこしたいと言った二歳の少女だ。
女の子は、なんとも言えぬ表情で他の子らが働きに行くのを眺めていた。
本来なら、私が女児に衣類の織り方を伝授するのだが、赤子が誕生してからは此方につきっきりだ。稀に他の女性と交代して仕事もしているのだが、幼児達の世話係に任命されたので、此の頃は仕事をする回数は減ってきている。
幼児らと入れ替わるように、女性が部屋に入ってくる。手には、私の抱いている赤子より、数十日前に産まれた子を抱いている。
「おはよ、ふあぁ〜」
挨拶をし、豪快に欠伸をしたこの女性、亜子さんは腕の中の子に母乳を与え始める。
「真子、いっぱい飲んで大きくなるのよ…」
真子と呼ばれた赤子は亜子さんの実子であり、我が子を大切に育てる亜子さんは、母に強さが滲みでている。
「抱っこしてみますか?」
私が二歳の女の子に問いかける。
「うん!」
元気よく答えた女の子を確認した後、私はそっと彼女の膝に赤子をゆだねた。緊張した面付きで受けとったが、赤子は嫌な顔せずにじっとしている。
他の幼児が仕事に取り組んでいる中、この女の子は毎日退屈で仕方ないのだろう。この子は幼いながらもしっかりしているし、三児の母である亜子さんもここにいるので二人に任せ、私は昼食の準備をすることしばしばある。
亜子さんが真子ちゃんに母乳を与え終わると、今度は私が抱いていた赤子に母乳を飲ませる。女の子は少し名残惜しそうにしていたが、ごくごくと飲む姿に興味津々なよう。
こちらの赤子は、亜子さんがお腹を痛めた子ではなく、平助さんの奥さんは別の人なのだが、既に他界している。
この集落の至る所にエルフの王国、クラーロンから強制的に設置された球体のクリスタルが設置されていて、それを通して監査しされている。集落から出ようとするとクローランから使者がテレポートしてきて、集落から出ようとした反逆者と、無差別に住人一人を選び見世物の様に殺す。
平助さんの奥さんはその憎むべき制度によって、反逆者では無いのにかかわらず、赤子を出産して間もなく殺されたのだ。
私の曽祖父の代から一人も反逆者がでなかったので、この事件の後再びクローランとエルフへの恐怖が蘇ったのであった。
そして週に一度、クローランの使者やってきて無理難題を言い渡されるのだ。次に使者が来る日までに達成しないと、住民全員が酷い罰を受けるのだ。
「申し訳ありません…亜子さんばかりに負担をかけてしまって」
今まで受けて来た屈辱が頭に過るが、ふと我に返る。
「いいのよ、今母乳が出るのはあたしだけだし、平助くんの子供も私の子供よ」
そう言ってニカッと笑われると、私の不安がほんの少し抜けていく。常に栄養が足りていないこの集落だが、自分の手で子を育てられる事が何よりの幸せなのだろう。
かくいう私も、亜子さんに感謝してもしきれないほどお世話になった。
「あんなに幼かった美桜ちゃんも、ずいぶんお姉さんになっちゃって」
カラッとしていた亜子さんの笑顔は、悪戯そうな笑顔に移り変わっている。
「亜子さんも、大人の魅力が年々増加してますね」
対抗しようと、からかうように亜子さんが弱い言葉を言う。
「言うようになっちゃって!」
このやろうっ!と、肘でツンツンと私をつついてくる。私が母と引き離された時、亜子さんは丁度今の私と同じ年頃だった。早くに出産していた亜子さんは、多忙ながらも私の母代わりにってくれたのだ。
二十歳にもならない少女が、至極困難な事を平然とやってのけたのは、彼女だからこそ出来たのだろう。いや、私に披露している姿を見せないかっただけで、実際は苦しいものだったと思う。
改めて亜子さんに感謝をしていると、突然、耳を裂かれるようなおおきい音が鳴り響いた。
「なに!?」
和やかな雰囲気一転し、集落の至る所から何かが割れる音が鳴り響き、たちまち集落中から悲鳴が溢れかえる。日の光が入ってきていたはずの窓は光が奪われまるで夜のような闇に変化している。
赤子が大声で泣きだすと同時に、向こうで作業をしているはずの幼児達の泣き声も聞こえてくる。
二歳の女の子は、私にしがみつき心配かけまいと、必死に声をを殺している。
「どうしたんです!?」
赤子と女の子は亜子さんに託し、弾かれるように外へ飛び出す。裸足で踏んだ小石のせいで、溢れ出した血すら気付かない。
暗闇に慣れてきた頃に、ようやく散らばる輝きを失ったクリスタルの破片と、混乱する家族達が見えてきた。怯える者もいれば、戦おうとする者、威嚇をする者と様々だ。見慣れた人達の見慣れない表情が恐怖を煽っていく。
その中に見慣れない顔があった。その上と言うべきか。赤瞳の男が、空から私たちを見下ろしていたのだ。
男の存在を認識したとたん、先ほどまで空中に浮いていたはずの男が私の目の前きていて、悲鳴をあげる間もなく、気づけば右腕を捕まえられていた。
「女、来い」
その男の言葉からは、どんな感情を持っているのか一切想像できない。
「っ!!」
私の脳裏に、目の前で殺された平助の奥さんの姿が浮かぶ。
私も殺されるの?集落から出ようとした人もいないのに?クリスタルはどうして砕けている?
懸命に答えを探し当てようとするが、それどころでは無い。推測する事放棄し、この現状から逃れる事だけを考える。
「やだっ、離して…!」
しかし、ただただ恐怖で、やっと口から出た言葉も虚しく空に消えていくだけだ。
男は、視線を私の手の甲にむけると少しだけ表情を変えた。それに気付けたのは、お互い目を見ていたからだ。光が無い今、冷たい瞳に見つめられ恐縮し、目をそらす事さえ出来なかったのだ。
私が声を発した事がキッカケで、面喰らっていた住民たちも抗議をしだす。
「美桜ちゃんを離せ!!」
「この悪党めッ!」
住民達の叫びは次第に荒々しい言葉へと変わっていく。暴言の嵐に襲われても動じない男は私の腕を離し私にしか聞こえないこえで「うるさい、黙れ」と呟き、自身の左手を空にかざした。
突如、住民の声も聞こえないほど強い光が包む。
実際、住民達も驚愕し言葉を発していないだろうがそれすらも気付けないまま永遠のような、一瞬のような時が流れる。
しばらくすると少しずつ風景が戻ってきて、男の側から離れようとするがそれは叶わなかった。どれだけ力を込めても動く気配もなく、自然さえ移動させる事が出来ない。
初めてこの短期間に数え切れないほどの感情を味わった感覚は、私の知る限りの言葉では言い表せない。
しかし、混乱している一方で妙な事を考えている自分に気づく。
周りの住民達も石のように固まり、声も出せない状況は、外部から見たらどう思うのだろうか。
私達を支配しているエルフがこの光景を見たらどう反応するのだろう。ずっと支配してきた私達を、文字通りこの男一人で体全てを支配しているのだ。
いつの間にか眩い光は消えており、集落に男がやってきたころの闇に戻っていた。
「お前らは一生エルフの奴隷でいるのか?遥か昔からの屈辱を晴らす最初で最後のチャンスだ。種族一の知性と、相手の力量を測る能力に長けているお前らならわかるだろ?三日後にまた来る、それまでに決めておけ。この集落から出るか否か」
最後に男はそう問いかけると再び空へと戻り、霧のように消えていった。
語るにしてはあまりにも淡々としていて、話すにしては言葉に重みがありすぎる。
砕けたはずのクリスタルも、暗かった空も元に戻っていた。さらにクローランからテレポートしてくる気配もない。
再び混乱に住民が陥る中、即座に状況を判断したこの集落の若き長である平助さんはクリスタルが正常に作動しているかもしれない中で、これ以上の異変があるとクローラン見つかるといけないと、皆を効率よく指示していった。
その夜、不自然ではない人数で一軒の家に集まり意見を交換する。もちろん家の中にもクリスタルは設置されているが、伝わるのは映像のみで音声までは向こうに届かない事は長年の経験からわかっている。
以前から夜に雑談している事も多かったので、何ら不思議ではないだろう。
「あの赤目の男、どう思った?」
重苦しい空気の中、最初に発言したのは亜子さんだ。赤子をあやしていた彼女は、先程平助さんから事情を事細かく問い詰めていた。
「ワシがクローランの城に作物と衣類を献上しに行ったときに見たどの個体よりも、プラーナの量が多かったわい。」
亜子さんが先陣を切った事により、次々と意見が交わされていく。
「だけど、あんなに怪しい奴についていけないわ?」
「そうだそうだあんな奴信じらるわけないだろっ!!」
予想通り、赤目の素性がわからないうえ、やすやすとよそ者を信頼するほどバカではない。私達はかつての先人とはちがうのだ。
そして私は一番の疑問を口にする。
「あの男は…何族なのでしょうか?」
そう、私達と瓜二つの姿をしながらプラーナを貯める事が出来き、魔法の類を全く使えないヒューマン族とは明らかに違う。しばらくの静寂ののち、成人したばかりの女が口を開く。
「もしかしたら、ヒューマンと何かのハーフなんじゃないの?」
彼女は亜子さんの第一子であり、母親の強気な性格を受け継いでいる
確かにハーフなら私達と姿が似ている事に合点がいくが、果たして奴隷の私達と他の種族の間に子が出来るのだろうか。
通常ならすぐにその子は殺されるのだろう。ましてや、あれほどのプラーナを溜め込める子が生まれ流のだろうか…そう思ったのは私だけではないようで。
「稀に二種族の力を合わせもった子が産まれるらしいが、その子は弱体化するのが普通だぞ」
「普通じゃないからあれだけのプラーナなんだろ?」
皆んなが自分の主張を必死に伝えようとする中、弱々しい発言が心に酷く突き刺さる。
「でも、3日後に来たあいつに断わったら殺されるかもしれないわよ…!」
最初に考慮する最悪の可能性を、後回しにしてしまった事に対し、自分達がどれ程焦っていたのかを気付かされる。
再び不穏な空気が流れ、しばらくの静寂の後無理矢理、会議を続けようと一人の男が口を開いた。
「…あいつの言う通りこの集落を出たとしてもどうやってその後暮らしていく?それ以前にどうやって集落を出る?」
「そりゃあんた、クリスタルがわれたのを見ただろぉ!しかもクローランから使者がくる気配もなし。あの能力を使えば脱出出来るさぁ!」
やっと見つけた希望を口にした男だが、すぐにその可能性を潰される。
「いや、あれはおそらく一時的なものだろう。割れたクリスタルが戻ったのと、逃げるようにあいつが消えたのが証拠だろう」
確かに時間の誓約がなかったら、今日強引にでも集落から連れ出せたはずなのだ。
深く考えれば考えるほど迷宮へとはまってゆき、今夜は話がまとまらないまま解散となった。
子供達の面倒を見るため私は、今朝居た部屋へ戻る。私が戻る前から眠りについている幼い彼らは、私たちとは比べものにならないほど衝撃的だっただろう。
冷たい春の隙間風が頬を撫で、かたかたと脆い壁が音を立てる。
隙間風と同時に入り込んできた桜の花びらは、心を落ち着かせるには充分だった。
私はその場しのぎの布切れ一枚をかぶり、浅い眠りについた。